《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 44 「あがない」の意味を探ってみよう

「あがない」の意味を探ってみよう

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問次郎……答五郎さん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

 

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答五郎……おめでとう。今年も、ミサについて探究していくことにしよう。2週間休ませてもらったけれどきょうは、「感謝の典礼」の4回目。前回は、現在の「感謝の典礼」になっていく最初のころ、使徒たちの時代には、「主の晩餐」とか「パンを裂くこと」と呼ばれていたというところまで見たね。

 

女の子_うきわ

美沙……はい、その前にこの晩餐を定めたというイエスのことばもふり返りました。その説明で使われた「あがないのいけにえ」の「あがない」ということばがまだよくわからなかったのです。

 

 

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答五郎……そうだったね。イエスが、パンについて「これは、わたしの体である」と言い、ぶどう酒の杯について「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言っていた(マタイ26・26~27)。ほかでもいろいろな言い方があるが、まとめて、これは、「あがないのいけにえ」の意味だと説明したところだね。

 

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問次郎……「あがない」という用語は、教会に来る前は使ったことも聞いたこともなかったのですが、教会に来てずいぶんと聞くようになりました。

 

 

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答五郎……「あがない主」キリスト、という言い方は聞いたことがないかな。

 

 

女の子_うきわ

美沙……少しはあるかもしれませんが、「救い主」キリスト、という言い方のほうはよく聞くので、同じ意味なのかなとも思っていました。

 

 

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答五郎……「あがない」という語は、日常では使われなく、古語みたいだが、れっきとした日本語だし、漢字にもある。ちょっと書いてみようか。二つあるのだよ。「贖う」と「購う」。

 

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問次郎……「贖」は難しいですが、「購」は、購読とか、購入で使う字ですね。

 

 

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答五郎……そう、「あがなう」も、もともとは相当のお金を払って、あるものを得るということ、簡単にいえば「買い求める」とか「買い取る」とか「買い戻す」という意味なのだよ。二つの漢字とも「貝」偏なのは、貝が貨幣のような役割を果たしていた名残なのだね。

 

女の子_うきわ

美沙……教会で、「贖い主」という字を見たこともあります。

 

 

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答五郎……そうだね、聖書の訳や教会用語として漢字で書く場合は「贖う」とか「贖い主」と書くことになっている。けれど、常用漢字ではないから、平仮名で「あがなう」とか「あがない」と書くね。『あがないの秘跡』とか『人類のあがない主』といった文書のタイトルで見かける。

 

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問次郎……そもそも「買い求める」「買い取る」という意味の単語が、聖書というか教会では、イエス・キリストに関して使われるのですか。

 

 

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答五郎……聖書では、お金を払って奴隷を解放するという意味の単語を使って、神による救いを表現するという伝統があるのだよ。旧約聖書の『出エジプト記』で述べられている古代イスラエル民族の体験がこのことばで記憶されているのだよ。

 

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問次郎……古代エジプトで隷属状態にあったイスラエルの民がモーセに率いられてそこから脱出するというあの有名な出来事ですね。ということは、「あがない」とは解放という意味なのですか。

 

 

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答五郎……たしかにその意味がひとつに含まれるけれど、もう一つの側面、「買い取る」とか「買い戻す」という意味も、ここには含まれている。つまり、エジプトから脱出することができて解放された民は、それで終わるのではなくて、神の民とされる。「あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト記19・6)という言い方で書かれているのはそのことだ。

 

女の子_うきわ

美沙……解放されて、自由にされたというだけでなく、そこで神との関係が出来てくるわけですね。

 

 

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答五郎……そのしるしとして、契約が結ばれるのだね。そこで、いけにえの血が祭壇つまり神のほうと民のほうに半分ずつ振りかけられて締結が完了する(出エジプト記24・3~8参照)。イエスが「契約の血」ということばで自分のことを言うとき、この契約のことが暗に思い出されているわけだよ。

 

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問次郎……すると、人間の商売用語といえる言葉を使って、神によって不自由な状態から解放されて神のものとされるということ全体が言われているわけか。

 

 

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答五郎……そう、一種の譬えといえる表現なのだよ。神との関係が含まれることばだから「解放」でも「買い戻す」でもなく、日本語的には古語のような「あがない」ということばが使われるのかもしれない。たとえば、年間主日のミサで唱えられる叙唱1の中心文を読んでもらえるかな。

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問次郎……はい。「主・キリストは、過越の神秘によって偉大なわざを成しとげられ、わたしたちを罪と死のくびきから栄光にお召しになりました。わたしたちは、いま、選ばれた種族、神に仕える祭司、神聖な民族、あがなわれた国民と呼ばれ、闇から光へ移してくださったあなたの力を世界に告げ知らせます」

 

女の子_うきわ

美沙……ちょうど、出エジプトの出来事と同じようなことが、キリストによって行われて「わたしたち」が神の民とされていることを言っているのですね。「あがなわれた国民」と言われる意味は、きょうの説明でよくわかりました!

 

 

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答五郎……キリストのわざはもっと偉大なのだけれどね。そのことを伝える意味で「あがない」には、もう一つの意味合いが含まれる。マタイによる最後の晩餐でのイエスのことばにも含まれていた「罪のゆるし」という点なのだ。それについては、次回考えてみよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 43:「感謝の典礼」の生まれたての姿

「感謝の典礼」の生まれたての姿

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答五郎……ミサの「感謝の典礼」に目を向けて3回目になるね。前回は、その全体像の根底にイエスが行っていた食事の動作の記憶があるということを見たのだったね。

 

 

女の子_うきわ

美沙……はい、いろいろな儀式やことばが連なっている式次第の中心にイエス・キリストがいて、そのイエスとの食事の動作なのだと考えると、理解しやすくなるかもしれないと思いました。

 

 

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答五郎……きょうは、新約聖書を手がかりにして「感謝の典礼」の始まりに思いを馳せてみよう。問次郎くん、1コリント11章23節から25節を読んでもらおうかな。

 

 

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問次郎……はい。「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました」

 

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答五郎……そう。パンを「わたしの体」、杯を「わたしの血によって立てられる新しい契約」と告げたところで、ここが聖体の制定、主の晩餐の制定と呼ばれていることは知っているだろう。

 

 

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問次郎……はい、ミサの中でもそのようなことばが告げられていますから。

 

 

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答五郎……同じような内容がルカ22章14~20節、マタイ26章26~29節、マルコ14章22~25節にもあって、制定の意味がそれぞれに語られている。美沙さん、ルカ福音書による最後の晩餐のところを頼む。

 

 

女の子_うきわ

美沙……はい。「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である』」

 

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答五郎……マルコ、マタイの記述との比較は省くけれど、「わたしの体」とは「あなたがたのために与えられる」もの、「わたしの血」についても「あなたがたのために流されるもの」とあるところからパンとぶどう酒の杯で表されているのは、イエス自身のいのちのことだとまず考えられるね。

 

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問次郎……「あなたがたのため」というところが重要なのですね。

 

 

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答五郎……そう。自分自身の生涯全体そして最後の十字架上での死が、「あなたがた」つまり弟子たち、ひいてはすべての人のために与えられるささげものであること、罪のゆるしをもたらす(マタイ26・27参照)、つまり、あがないのいけにえであるというイエス自身の自覚、そして新約聖書に反映しているように、使徒たちの理解も告げられていると考えられるのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙……「あがないのいけにえ」……まだ、あまりよくわかっていないのですが、ともかく、そのような意味合いをこめて、そのあと、「信仰の神秘」と歌われ、「主の死を思い、復活をたたえよう」とみんなが唱えるのですね。

 

 

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答五郎……十字架上の死は復活と一つのことで、それを含んでの「わたしの体」「わたしの血」だよね。「あがないのいけにえ」であるキリストの死と復活によって、神と人類の間に新しい契約が打ち立てられたということが、このパンとぶどう酒の杯で表されているのだよ。

 

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問次郎……12人の弟子たちとの会食がとても大きなスケールの出来事となっている感じがします。

 

 

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答五郎……そもそも、まずキリストの十字架での死、それは復活と切り離せないから、キリストの死と復活全体が、人類史的な意味をもつ出来事、さらには宇宙論的な出来事というべきものなのだよ。

 

 

女の子_うきわ

美沙……それほどスケールの大きな意味深い出来事を記念するために、パンとぶどう酒の杯による食事を行いなさいとイエスが言われたこと、それが「感謝の典礼」の制定ということでしょうか?

 

 

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答五郎……そう。だから、「感謝の典礼」は、イエスの出来事、その生涯の意味を思い起こしながら神に賛美と感謝をささげる祈りを行って、パンと杯をいただく食事をすることがもとになっている。そのかぎりは、外観としては、会食、祈りを伴う宗教的な会食儀礼だったということだ。

 

女の子_うきわ

美沙……そういう行いだから「主の晩餐」と言われているのですね。

 

 

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答五郎……パウロが1コリント11章17~22節でいうのは、共同体の中に分裂があるとしたら、一緒に集まっていても「主の晩餐」を食べることにはならない、ということで、主の晩餐で一つのパンを裂くことはキリストの体にあずかること、賛美の杯は、キリストの血にあずかること(1コリント10・14~18節)だと強調している。何のための主の晩餐なのか自覚を求めているのだよ。

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問次郎……最近、ミサでよく聞く、「主の食卓」という呼び名もあるのですか。

 

 

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答五郎……1コリント10章21節で、「悪霊の食卓」つまり他の宗教の神々に供えられたものを食べる食事との対比で語られている。いろいろな教えの流れの中で、キリストを記念し、キリストの体と血にあずかる食事型典礼の意味が説き明かされているともいえるね。

 

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問次郎……それと、当時のコリントの教会でのあまりよろしくない状態も浮かび上がってきて、それはそれで興味深いです。

 

 

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答五郎……使徒言行録2章42節の簡潔な記述「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」というところの「パンを裂くこと」も主の晩餐を指しているといわれる。ほかに2章46節、20章7節にも同じ言い方が出てくる。

 

女の子_うきわ

美沙……ほんとうにキリストが中心となっている食事、会食ということが、「感謝の典礼」の始まりだったですね。「あがないのいけにえ」という意味はまた今度お願いします。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


赤いアドベント・クランツ~~チロルでの思い出

石井祥裕(カトリック東京教区信徒/典礼神学者)

今は昔、もう30年近く前のこと、オーストリアはチロル州インスブルックでの留学生活の思い出を掘り出してみますと……。緯度が稚内ぐらいのところにあるインスブルックは、12月となれば、日没がぐっと早まり夕方といってもとっぷりくれた夜の風情。旧市街にはアドベント・マルクト(市)が店開きしていました。グリューワイン(ホットワイン)というものを知ったのもそのマルクトでのこと。今では、日本でも知られていて、教会のクリスマスのパーティでも振る舞われるようになりましたが、あの頃は珍しく、シナモンの香りの利いた赤ワインが少し寂しくなりがちの冬の夜の気持ちも温めてくれました。

1980年代の終わり、あの頃の日本は、もうクリスマス商戦が盛んなころ、そしてバブルに湧く時代、クリスマスが恋人たちの祭として賑わっていた時期でしたが、そこから渡った伝統的カトリック地域のチロルは、ずっと以前からの質素ですが味わい深い慣習の数々でこの日本人留学生を迎えてくれました。

この季節、アドベント・ジンゲンというミニ・コンサートが主だった教会で行われます。ローカル新聞の催し物欄を見て出向いてみると、バロック式の聖堂にかならずあるカンツェルという説教壇(会衆席の左側の上に階段であがっていく壇)に民族衣裳をまとった若い女性が二人昇り、透き通った歌声でいくつかの歌を披露します。日本では、大々的にクリスマス・コンサートと銘打ったさまざまなコンサートがある季節ですが、素朴な声だけの歌での催しも降誕祭を迎える気持ちを浄め深めてくれました。歌われていた歌はラテン語のものも近世に作られたドイツ語のものもあったかもしれませんが、曲名までは覚えていません。美声を披露するというショーではなく、ほんとうに「神さまにおささげします」という控えめな歌唱や祈りでした。その聖なる美しさにあふれた「天使」たちの姿が心に残っています。

待降節になって教会のミサに行くと、4本のろうそくを据えた大きな輪が吊り下げられています。赤いろうそくでした。いうまでもなくアドベント・クランツ(「待降節の冠」の意味)。待降節の4回の日曜日ごとに一本ずつ点灯されていき、降誕祭の近づきを示し、それを迎える気持ちを高めていくという慣習です。

アドベント・クランツについて少し調べてみました。
この言葉がドイツ語であるように、考案者はルター教会の神学者、教育家ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヒャーン(生没年 1808-1881) 。1833年に彼は、貧しい子どもたちを集めて、古い農家「ラウエス・ハウス」で世話をしていたそう。クリスマスを待ち望む子どもたちのために、1839年に、古い車輪から木の冠を造り、そこに、20本の小さな赤いろうそくと、4本の大きな白いろうそくを付けアドベントカレンダーに仕立て、待降節の間毎日次々とろうそくに点灯。なかでも待降節主日(日曜日)がわかるように大きなろうそくにしてあったといいます。12月25日が何曜日に来るかで、待降節の総日数は少ないときで18本、多いときで24本になるのでそれに合わせて数は変わりました。ここから4つの日曜日分だけの4本のろうそくを据えるアドベント・クランツにかわり、1860年頃からは、葉のついたもみの木の枝で作られるようになったようです。ルター教会全般に広まっていき、1925年、ケルンのカトリック教会でも行われて以来、ドイツ語圏のカトリック教会、そのほかの国々にまで広まっていきます。

アドベント・クランツの象徴的意味についてはさまざまな解釈を加えられていきますが、あくまで信仰生活上の慣習なので、規定的なものはありません。自然な解釈として、クランツの円は、永遠性の象徴、4本のろうそくの4は東西南北の四方という意味で全世界、ろうそくは世を照らす光キリスト、もみの木の葉の緑は、希望や生命のしるし、であることは考えてよいでしょう。

ろうそくの色についてはさまざまな慣習があるようです。そこに典礼色(祭服の色)を反映させるというところに多少典礼とのつながりをつけていることがわかります。ノルウェーのルター教会では、4本とも紫色。スウェーデンのルター教会では、第1のろうそくが伝統的に楽園の意味の白、他の3本は紫だそうです。カトリックの慣習では、待降節主日の典礼色にちなんで、4本のろうそくのうち第1、第2、第4は紫色で、待降節第3主日は「喜びの主日」(ガウデーテ)とされ、祭服もバラ色を使ってよい日であるところからバラ色にする例があるといいます。アイルランドのカトリック教会では、中央に5本目として白いろうそくを立てる習慣があるようです。多くの場合、4本のろうそくは、紫、赤、バラ色、白で彩られ、この順序で点火されていくようです。

きわめて珍しい例かもしれませんが、チロルなど山岳地帯では、4本のろうそくは伝統的に赤で、そこにキリストによって人類にもたらされた愛と光が象徴されるということです。この赤いアドベント・クランツこそ、私がインスブルックでも見たものでした。赤という色は殉教者の血や、聖霊降臨のさいに炎のような舌として聖霊が降ったことから、今でも殉教者祝日や聖霊降臨の主日の典礼色ですが、チロルの赤いろうそくもまた、救い主の到来への渇望とすでに来ておられる喜びが結びついたような、そして冬の寒い中での暖炉の熱のような、不思議なパワーを感じさせました。

アドベント・マルクト、アドベント・ジンゲン、アドベント・クランツなど待望を彩る時期を終えて迎えた主の降誕は、夜半の荘厳ミサが終わり、家路に着くとその夜中から26日までは、人っこ一人いなくなったかのように車もなく、静かな日々が過ぎています。それはまた信仰生活と社会生活がひとつに溶け合っていた(当時の)チロルのクリスマス。心洗われるような三日間です。

 


《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 42:根底にあるイエスの食事の記憶

根底にあるイエスの食事の記憶

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答五郎……さて、探究は「感謝の典礼」にいったところだが、いいかな。式次第順に見ていくこともひとつの方法だけれど、まず「感謝の典礼」全体を見渡すということが大事だよ。その成り立ちを考えるということかな。

 

 

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問次郎……つまり歴史ということですね。

 

 

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答五郎……たしかに成り立ちは歴史ともいえるのだけれど、その歴史を上から眺めるというよりも、今のミサの形、式次第として展開される感謝の祭儀の流れというか構造というか、いわば“つくり”を見るということかな。

 

 

女の子_うきわ

美沙……今のミサの姿を思って考えていればいいのですね。

 

 

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答五郎……そう、それをいつも念頭に置いておいて考えてほしい。まず「感謝の典礼」の式は、おおまかに言うと「供えものの準備⇒奉献文⇒交わりの儀」というふうに展開していく。

 

 

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問次郎……見た印象だと、共同祈願のあと、献金があって、それから、パンとぶどう酒と水をもって奉仕する人と、集められた献金を入れた籠などが会衆席後ろから前の司祭のところに届けるという動きになりますね。

 

 

女の子_うきわ

美沙……式次第を見ると、奉納行列とあるところですね。

 

 

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答五郎……そう、「奉納」という言葉はとても日本語的なのだけれど、ラテン語の原語を直訳するとここの部分が「供えものの準備」となるのだよ。ここからの大きな流れをとり結ぶところにひとつの祈願があるのだが……。

 

 

女の子_うきわ

美沙……奉納祈願ですね。

 

 

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答五郎……そう、いわば奉納行列で始まり、奉納祈願で結ばれるところまでが「供えものの準備」の部。それに続くのが「奉献文」、最後が「交わりの儀」だ。

 

 

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問次郎……聖体拝領のところですね。

 

 

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答五郎……そう、簡単にいえばその部分なのだが、その締めくくりはどうなっているだろう。

 

 

女の子_うきわ

美沙……「拝領祈願」ですね。

 

 

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答五郎……こうした祈願が式の区分の目印になっていることがわかるだろう。ところで、「供えものの準備⇒奉献文⇒交わりの儀」という流れの中で、中心となっているものはなんだろう。

 

 

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問次郎……パンというか聖体でしょうか。

 

 

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答五郎……そうだね。基本的にはね。そして、そこにはぶどう酒もセットされていることを見てほしいね。     いずれにしても、この「感謝の典礼」の中では、パンとぶどう酒の杯が祭壇に用意され、それら     の上に司祭が祈り、皆に分けていくという流れだろう。祭壇ももともとは食卓なのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙……ああ、そうなると、感謝の典礼全体は、祈りを一緒にした食事のような流れですね。

 

 

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答五郎……そう。そこで思い出してほしいのは、福音書にたびたび触れられるイエスが中心に行う食事のときの動作だ。もちろん、最後の晩餐で、この感謝の典礼を制定したといわれる部分もそうなのだが、たとえば、マルコ福音書6章30~43節の「五千人に食べ物を与える」という箇所の中の41節を読んでごらん。

 

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問次郎……はい。「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された」

 

 

124594答五郎……ありがとう。パンに関してみると「取って、賛美の祈りを唱え、裂いて渡した」という行為が浮かび上がるだろう。もちろんその前にパンが用意されていたということがあるけれど。実はこのような動作は、同じようにパンで多くの人を満たした話のほかにも、最後の晩餐(マルコ14・22。ほかマタイ、ルカの同様の箇所)、それからエマオに向かう弟子たちに復活したイエスが現れた場面でも(ルカ24・30)でも出てくる。

 

 

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問次郎……なにか特別なわけがある動作なのですか。

 

 

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答五郎……いやぁ、あの時代のユダヤ教の信仰生活の中で神を賛美しながら食事をするという会食儀礼のようなものが、たとえば過越祭の食事とか安息日の食事というふうに、豊かに行われていたらしい。その中に、食べ物を手にとって神に祈りをささげてから皆に分けるというのは、当然の動作だったようだ。

 

女の子_うきわ

美沙……でも、イエスの食事のときの動作は、さりげなく繰り返されている分、とても印象深く伝わりますね。

 

 

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答五郎……そうだろう。そして、準備されていた食べ物を手にとるまでの部分、そして、手にとって祈りをささげる部分、それを分けていく部分を大まかに分けることができるとすれば、それが、感謝の典礼の三部構造の背景というか根源にあるというふうに考えることができるのだよ。

 

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問次郎……式次第を見ていると、いろいろな言葉や歌や祈願があって、複雑そうに見えますが、「感謝の典礼」の根底には、イエスとの食事、主の食卓があるのですね。

 

 

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答五郎……主の食卓、主の晩餐、パンを裂くことと初期に呼ばれていた事実を次回は見ていこう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 41:「感謝の典礼」に入ろう

「感謝の典礼」に入ろう

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問次郎……答五郎さん、お久しぶりです。

 

 

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答五郎……おお、問次郎くん、久しぶり。どうしていた?

 

 

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問次郎……いやあ、答五郎さん、「ことばの典礼」を扱っている間、後ろで聞いていたではないですか。美沙も一緒でしたよ。話していたのは瑠太郎くんと、聖子さんでしたけれど。

 

 

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答五郎……ああ、そうだったね。美沙さんもどうも。それに、瑠太郎くんと聖子さんも後ろにいてくれるのだね。でも、「感謝の典礼」に関しては、おもに問次郎くんと美沙さんと語り合いながら、一緒に研究していくことにするね。

 

 

女の子_うきわ

美沙……よろしくお願いします。まず「感謝の典礼」という名前についてお聞きしたいです。

 

 

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答五郎……そうだね。「感謝の典礼」というのは、ミサの式次第の区分でいえば3番目。「開祭」「ことばの典礼」、そして「感謝の典礼」、最後に「閉祭」とくる。「開祭」と「閉祭」が対応しているように、「ことばの典礼」と「感謝の典礼」は対応し合っているともいえる。

 

252164

問次郎……でも、なぜ、ミサの中で「感謝」ということがとくに言われるのでしょうか。

 

 

124594

答五郎……たしかにね。感謝することは一般的なことだよね。ここで特に「感謝の典礼」というのはどうしてかということだね。元の言葉がヒントになる。ここでは「エウカリスティア」だ。ラテン語でもそのまま使われているが、ギリシア語だよ。キリスト教にとって、とても重要な言葉なのだけれど、聞いたことは。

 

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問次郎……最近の本の中で、ときどき目にする気がします。

 

 

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答五郎……そう、簡単に訳せない面もあるから、最近は片仮名で「エウカリスティア」と書かれることも多いかもしれないな。ところで、「感謝の祭儀」ということばを聞いたことはないかな。

 

 

女の子_うきわ

美沙……ミサの最後のほうで、司祭が「感謝の祭儀を終わります。行きましょう。主の平和のうちに」というときのことばですね。

 

 

124594

答五郎……そう。ここではミサ全体が「感謝の祭儀」といわれている。ただ「エウカリスティア」は第一には「感謝」の意味なのだけれど、それだけでは尽きない意味がある深いことばなのだよ。その意味深さを知ることが「感謝の典礼」の部を探究する一つの目的になるほどだよ。

 

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問次郎……さっそくわからなくなりました。「感謝の祭儀」と「感謝の典礼」とは同じなのですか、違うのですか。

 

 

124594

答五郎……簡単にいえば、「感謝の祭儀」はミサ全体、「感謝の典礼」ははじめにいったように式次第の区分の3番目を指す言葉だ。でも、ミサ全体の名もほとんど同じになるわけだから「感謝の典礼」の部分がミサの肝心なところであり、核心をなしているということは想像がつくだろう。

 

女の子_うきわ

美沙……感謝、というかエウカリスティアが重要なのですね。どのように理解していったらいいのでしょうか。

 

 

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答五郎……実は、手がかりはやはり聖書なのだよ。そして、ほんとうに深く知るためには、旧約聖書の律法の中で献げ物に関するところ、たとえばレビ記などが記している律法や、詩編の中の神を賛美したり、神に感謝をしたりするところとかがやはり大切な背景になってくる。

 

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問次郎……旧約聖書まで探っていくとなると、大変ですね。一朝一夕にはいきません。

 

 

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答五郎……でも、一日一日、少しずつでも読んでいかないとね。旧約聖書はそうやって親しんでいくと、新約聖書全体、そして教会が行っている典礼の理解も深まるというものだ。

 

女の子_うきわ

美沙……ええ、もちろんそれはそれで頑張ってみたいと思いますが、それでも、わかりやすく教えていただきたいのも、本音です。

 

 

124594

答五郎……そこまで丁寧に求められたら、わかりやすい理解のしかたも考えてみなくてはね。実際、教会の歴史の中でエウカリスティア、つまり「感謝」という意味のギリシア語が典礼自体や典礼での祈りについて使われていたらしいのは2世紀といわれている。

 

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問次郎……そんなに古いのですか。

 

 

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答五郎……そうなんだ。2世紀初めか前半の文書とされている『十二使徒の教え』や2世紀半ばのユスティノスの『第一弁明』、これについては「ことばの典礼」の研究のときにもなんども触れただろう、それらの中で感謝の典礼の初期の祈り方や行われ方が伝えられているのだけれど、ともかく「エウカリスティア」という言葉がキーワードになっているのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙……そうですか。すると、今、日本の教会で「感謝の祭儀」とか「感謝の典礼」という言い方をしているのは、そのような初期の言葉遣いにならおうとしているからなのですね。

 

 

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答五郎……そうだと思うよ。また『ローマ・ミサ典礼書』のラテン語の言葉遣いに倣っているだけなのだけれど、それでも、「感謝」という意味をクローズアップさせたのは大きかったと思う。「感謝」はなんといっても、ミサの祈りの基本だからね。

 

女の子_うきわ

美沙……ミサは神の恵みに対する感謝の祭儀で、その中心が「感謝の典礼」にあるのですね。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


ハロウィンと諸聖人をめぐる謎

いったいハロウィンとは何なのか。キリスト教とは関係があるのかないのか。その起源を調べてみると、どうしても教会の祭日「諸聖人」との関係を見なくてはならない……。そう思って両方を調べていくとどちらも謎めいてくるのだ。少し長くなるが、それぞれの起源に関する情報を吟味してみよう。

 

1.ハロウィンの起源をめぐる謎

(1)一般的な起源論

一般的に信じられている概要という情報は、こんな次第である。ハロウィンは、古代ケルト人の祭りに起源がある。それはもともと「サーウィン祭(サムハイン)」と言う。ケルト人の暦では、新年は11月1日に始まり、その前日10月31日の夜は聖なる日とされていた。その日死者の霊がこの世とあの世の境界を自由に往来する。中には悪さをする霊魂が来ることもあり、それらをだますために魔女や骸骨などに扮装するのだ。簡単にいえばそのような宗教的起源をもつ。そして、この祭りがキリスト教の諸聖人の祝日とつながり、諸聖人前夜祭と位置づけられて広まり、現在に至るのだ……という。ハロウィンという今日の名前自体、オール・ハーロウズ・イブ(=諸聖人前夜祭)から来るのもそのような経緯を示している。しかし、ハロウィンという習俗を教会が受け入れていることは少ない。

ケルト人の祭りは、その後ブリテン諸島で伝承されていたが、17世紀以後は、イングランド南部で廃れたのに対して、スコットランド、アイルランドを中心に続けられていた。19世紀になるとアメリカ合衆国に移住したスコットランド人やアイルランド人を通じてハロウィンの慣習が持ち込まれ、最初は違和感をもたれていたようだが、20世紀には全米的に受け入れられ、コマーシャリズムとも連動し現在に至るという。1990年代からこの米国型ハロウィンがヨーロッパにも進出しているらしい。

 

(2)近代の民俗復興の産物らしい

ハロウィンとキリスト教の関連を強く論ずる説は、宗教民族学や民俗学でいわれているもの。11月から新年を数えるケルト人のいわば生命更新儀礼として死者にまつわる祭りがあり、この日を教会が諸聖人、ひいては死者の日の規準になったのだと見ている。

しかし、最近は、このようなハロウィンのケルト由来を疑わしいとする説が有力になりつつある。サーウィン祭=サムハイン自体、史料的に不確かだという。ケルト人の死者の祭りは、逆に、中世後期にすでに西方教会で一般化していた11月1日の諸聖人や11月2日の死者の日の影響を受けて生まれたとまでいうのである。アイルランドは、もっとも早くキリスト教が浸透した地域だからである。ハロウィンは、むしろ、近代のケルト文化ルネサンスの産物で、19世紀に取り上げられて結晶し、20世紀に普及したというのは、教会や家庭、地域での世俗的習俗としての展開ぶりから、この説は納得できるものがある。教会との疎遠感もわかる。

 

2.諸聖人の祭日の起源をめぐる謎

このように、ハロウィンの起源論に関してつねに参照される11月1日の諸聖人の祭日。実はこの祭日の起源論にもケルト起源説がたびたび浮かび上がる。ところで、「諸聖人」の祭日は、現在の日本のカトリック教会の名称。ラテン語では、Sollemnitas Omnium Sanctorum, 英語では、Sollemnity of All Saints, またはAll Saint ‘s Day、ドイツ語でもAllerheiligen と「すべての聖人の祭日」なので全聖人祭ともいえるので、そうしてみる。以下、ドイツや米国の主要なカトリック大事典から起源論情報を整理してみると:

 

(1)聖霊降臨の主日の次の主日

すべての聖人のことをまとめて祝うという慣行の最初の証言は、400年前後のヨアンネス・クリュソストモスという教父のもの。アンティオキアかコンスタンティノポリスで聖霊降臨の主日の次の主日が「全聖人の主日」と呼ばれていた。どの程度普及していたかは不詳だが、復活節の趣旨を引き継ぎ、キリストの復活に全聖人が参与しているという意味をよく示すものであることは確かで、ビザンティン典礼の教会では、現在もこの日を全聖人の主日として祝う。日本のハリストス正教会の用語では「衆聖人の主日」と呼ばれている。西方でもこの聖霊降臨の主日の次の主日を「諸聖人の日」として祝う慣行が伝わっていたことが5世紀から7世紀の史料に見える。

 

(2)5月13日というローマの記念伝統

しかし、ローマでは別な伝統が浮かび上がる。609年か610年に教皇ボニファティウス4世(在位年608~615)がビザンティン皇帝フォカス(在位年602~610)からパンテオン(万神殿)を譲り受け、教会堂に建て替えて「おとめマリアと全殉教者のための聖堂」として建設、5月13日に献堂された。以後、5月13日に全殉教者ひいては全聖人を記念したという。ただし、単なる献堂記念日だったという説もあるし、この日付の起源についても二つの説がある。ローマ古来のレムリアという5月9、11、13日に祝われる死者の悪霊を宥める祭祀に関連があるという説、他方、5月13日は以前からシリアで全殉教者を記念する日であり、それを踏まえてこの日がその聖堂の献堂日になったという説もある。ただこの聖堂との関係でローマには5月13日の記念日が伝統となっていったようだ。

 

(3)11月1日の全聖人祭は8~9世紀に成立

ヨーロッパの教会で11月1日という日が浮かび上がるのは8世紀末のこと。

一つにはアイルランドの司教・修道院長であったオエングス(生没年750頃~824頃)が書いたアイルランドやローマの諸聖人に関する『祝日考』という書物。7~8世紀のアイルランドでは、4月20日にヨーロッパの全聖人を祝っていたが、800年に近い頃から11月1日の全聖人祭が生まれたと報じている。

トリーアの黙示録写本。黙示録7章9-11節の挿絵。あらゆる民族から選ばれた人々によってたたえられる小羊。キリストと諸聖人の集いの原風景といえる。

同じ8世紀末にイングランドのヨークで作られた暦にも11月1日の全聖人祭の記録がある。これを有名なアルクイン(生没年730~804)が奨励し、友人のザルツブルクのアルノ(785年より司教、798年より大司教)も当地で11月1日に諸聖人祭を祝った。ヴィエンヌ司教アド(在職860頃~866)がルートヴィヒ1世敬虔王(生没年778~840、皇帝在位814~40) にこれをフランク王国(西ローマ帝国)全土に広めるように請願。これを受けてルートヴィヒ1世が835年の勅令で11月1日を全聖人の祝日とするよう全国に義務づけた。その後、ローマでも教皇グレゴリウス7世(在位年1073~85)がローマ伝来の記念日5月13日より11月1日を優先するように定め、以後、ヨーロッパで一般化した。こう見ると、アイルランド、イングランドの慣行が全ヨーロッパに流入し、やがてローマに逆輸入されていったという景色が見える。

なお、11月1日の全聖人祭の翌日11月2日は10世紀の終わりからベネディクト会クリュニー修道院でのすべての死者を追悼する日としての実践が始まり、やがて全ヨーロッパに浸透するようになる。

ちなみに教皇シクストゥス4世(在位年1471~1484)が全聖人の祭日に八日間の祝いを付加し、1955年まで続いていた。日本語の旧称「万聖節」という呼び名はこの八日間を含めてのものであったわけだ。

 

(4)なぜ11月1日になったかは闇の中

では、なぜ、ヨーロッパで11月1日が全聖人祭として定着したのだろうか。11月1日の祝いの起源はどこにあるのか。これについてはおおまかにケルト起源説とローマ起源の説の二つがある。

ケルト起源説は、ハロウィンの起源として論じられるケルト暦での新年への移行儀礼「サーウィン祭(サムハイン)」を前提として、この日にアイルランドの教会で全聖人祭が設定され、そこからイングランドを経て、大陸ヨーロッパへ伝わったのではないかという説。

それに対してローマ起源だったという説もある。きっかけとして言及されるのは教皇グレゴリウス3世(在位年731~741)が732年にローマの聖ペトロ大聖堂(現サン・ピエトロ大聖堂)に「すべての使徒、殉教者、信仰告白者、そして全世界のすべての義人と完徳の人々のため」の礼拝堂を献堂したという事実。献堂式の日が定かではないが、当時イングランドのヨーク司教エグベルト(在職732~766)がグレゴリウス3世から大司教の位を授けられるというやりとりがあり、彼がローマの上述の礼拝堂の献堂日を踏まえて11月1日の全聖人祭を移入したのではないかという説である。

 

3.謎が謎を呼ぶ、ハロウィンと諸聖人

こういうわけで、11月1日の諸聖人祭(全聖人祭)の起源が最終的にはどこにあるのかは不明というしかない。ケルト暦との関連性は自然なので、それを重要視すれば、現在11月全体を死者の月と考える慣習までそこに由来するのかと思ってしまうが、はたして? いずれにしても、アイルランドやイングランドからヨーロッパ全土に広まっていたという流れは当時のキリスト教のヨーロッパでの広がり具合から見て、肯定できるものがある。ただし、アイルランド土着の宗教を何とかキリスト教化しようとして発生したわけではどうやらないらしい。ハロウィンが土着宗教の要素をもっていたにしても、ハロウィンという名前が11月1日の諸聖人祭(全聖人祭)の存在を前提としているのであり、そのかぎりはやはり再構成的な祭礼行事ではないのかと考えられる。

一方、教会の諸聖人祭も今日ではいささかインパクトが弱い。特別なことが行われるわけではなく、ただミサの祈りや聖書朗読がそれをテーマにしているだけである。どうしてか、それは、ミサはいつも奉献文の中で、諸聖人やすべての死者のことを祈っているからである。ミサがいつでもキリストの復活祭(死と復活の神秘の祝い)であるように、これとの関係の中で諸聖人祭でもあり、すべての死者の追悼ミサでもある。

起源論としては、謎めいているハロウィンと諸聖人の関係だが、少なくとも諸聖人の記念はキリストの神秘でいつも息づいている。

(石井祥裕/典礼神学者)

 


《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 40:朗読後の「神に感謝」

朗読後の「神に感謝」

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答五郎……さて、「ことばの典礼」だけでも20回目になるが、きょうはもう一度ふり返ってみて、さらに気になるところがあったら考えてみよう。

 

 

 

聖子……見学していて気になったのは、朗読後のところね。

 

 

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答五郎……はぁーん。あそこか。

 

 

聖子……ええ。第1朗読や第2朗読で、朗読が終わると隣にいる、……侍者だったかしら、侍者が「神に感謝」と言うと、みんなが「神に感謝」と言うのが多いかしら。でもある教会では、侍者が「神に感謝」と言ったあと、黙っていることもあるわ。また、ある教会では、朗読者自身が「神に感謝」という場合もあって、さらにみんなが「神に感謝」と答えているところもあるし……。

 

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答五郎……そう、たしかにいろいろなやり方があるね。気になるかい。

 

 

聖子……そう言われると……。朗読の中身のほうが大事なのよね。でも、終わったあと、「神に感謝」と言ってよいのか、よくないのか、迷ってしまって、ほんとに落ち着かないわ。

 

 

 

瑠太郎……福音朗読のあとには司祭が聖書を掲げながら「キリストに賛美」といって、皆も「キリストに賛美」と声を出して答えていますね。

 

 

聖子……それで、なんとなく元気も出るというか、しまるというか。ずっと黙っていたわけだから、声を出して答えたいというのも自然な感情でしょ。

 

 

 

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答五郎……実はね。こういう事情があるのだよ。日本語版『ミサ典礼書』、今行われているミサの基だが、ここでは、朗読が終わると、朗読者は何も言わず、侍者が「神に感謝」と言う、ということになっているのだが、会衆はこれを唱えるというふうにはなっていないのだよ。

 

聖子……実際そういうふうにやっている教会もあるわけだから、『ミサ典礼書』に忠実というわけね。 でも、どうしていろいろなやり方になっているのかしら。決まりを無視しているというわけ。

 

 

 

瑠太郎……侍者が言うのは決まりに従っているにしても、一同がさらに「神に感謝」と言うのは、自然な心理からなのではないでしょうか。今のミサは、いろいろなところで、会衆の応唱ですか、この一同の元気な答えというのが大事な部分になっているようですし。

 

 

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答五郎……朗読後のほんの一言に関してなのに、日本の教会では、不思議に大きな討論のテーマになることがあるのだよ。

 

 

瑠太郎……朗読の中身のほうが重要だと思うのですが。

 

 

 

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答五郎……たしかに。実は、ここのところ、『ローマ・ミサ典礼書』ラテン語版、つまり教皇庁の典礼秘跡省から出されている各国語版の底本では、ここの部分は、朗読者が「Verbum Domini 」=「主のことば」(「主である神のことば」の意味)と唱え、それに対して会衆が「神に感謝」と答えるというふうに規定されているのだよ。

 

聖子……そうなの。じゃ、朗読者は何も言わず、侍者が「神に感謝」と言い、会衆は言わないという規則は日本の教会だけで決めたことだったの?

 

 

 

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答五郎……そうなのだよ。どうしてかというと、神のことばを聴いて、沈黙を保ったまま黙想することができるように、という意図だったらしい。

 

 

聖子……それだったら、いっそのこと、朗読が終わったらなにも言わないほうがよかったじゃない。

 

 

 

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答五郎……それは一理ある。たしかに侍者が「神に感謝」と言うことにしたために、どうしてもみんなも唱えないと落ち着かないというふうに思われたらしい。他の司式者との対話句と同じようにね。もっとも、ラテン語版には、「神に感謝」を会衆が唱えることになっていて、大方の各国語版も同じようにしているから、外国人の司祭方をはじめ、それを当たり前と思う人が多くいるから、そのやり方が続いているとも考えられているよ。

 

 

聖子……結局どうしたらいいの? まちまちのままでいいの?

 

 

 

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答五郎……とうぶん続くだろうね。近い将来期待されている日本語版『ミサ典礼書』の改訂では、ここの部分は、ラテン語版と同じように、朗読者が「神のことば」(たとえばだけどね)と唱え、会衆が「神に感謝」と答える形にしていくことが予想されている。

 

瑠太郎……ずっと聞いていたのですが、むしろ重要なのは、やはり聖書朗読の中身だと思います。今回、いろいろと学び、教会で聖書が読まれるときは、神が語る、キリストが語る、聖書朗読、とくに福音朗読の中にキリストがおられるのだということが、ぼくにとっては、重要でした。

 

 

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答五郎……たしかに、答唱詩編でも、アレルヤ唱でも、福音朗読のあとの説教でも、信仰宣言でも、そして共同祈願でも、そこにキリストがいるということを意識することが大事だね。

 

 

瑠太郎……ことばで行われるこの式の流れを通じて一貫しているのは、やはりそこにキリストのことば・声・祈り・教え・行いの跡がはっきりと示され、響いて、自分たちを刺激し、力づけていくということではないでしょうか。

 

 

 

聖子……それだけ大事なら、やっぱり「神に感謝!」とみんなで叫びたいわね。

 

 

 

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答五郎……ありがたい二人の言葉だ。では、少し休んで、次からは、「感謝の典礼」という部分を見ていくことにしよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 39:奉献文にもある“共同祈願”

奉献文にもある“共同祈願”

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答五郎……共同祈願のところを見てきて4回目になる。前回、「困難に悩む人のために祈る」という意向3の趣旨を考えるための参考に、ビザンティン典礼の奉献文「バシレイオスのアナフォラ」の一部分を見てみたところ、瑠太郎くんから、共同祈願と奉献文の関係について質問されたのだね。

 

瑠太郎……はい。今はミサの「ことばの典礼」の最後の部分にあたる「共同祈願」を考えているところで、急に奉献文の例があがったのでちょっと驚きました。

 

 

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答五郎……奉献文については、やがて扱うことになる「感謝の典礼」の中心的なところなので、あとでゆっくり扱うことにしているのだが、共同祈願との関係で少しだけ前もって見ておくことにしよう。奉献文は、ミサの見学でだいたい聞いて親しんでいるだろう。

 

瑠太郎……はい、特に「わたしのからだ」というところや「わたしの血の杯、……新しい永遠の契約の血」はとくに厳かな気持ちになります。

 

 

 

聖子……鈴も鳴るし、皆深々とおじぎをするし。少し緊張するわ。

 

 

 

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答五郎……そこは、聖別句といわれるところで、秘跡制定句と説明されることもあるのだけれど、たしかに奉献文の中心だ。そのあと、「信仰の神秘」「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」となるだろう。

 

 

 

聖子……そこ歌うわよね。感動が極まっているという雰囲気のところね。

 

 

 

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答五郎……そのあと、第二奉献文でいえば、「わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます」とあり、そして、そのあとに「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように。」とあるだろう。この「一つに…」という趣旨から続きがあるのだよ。

 

瑠太郎……「世界に広がるあなたの教会を思い起こし、……」の祈り、そして「また、復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟とすべての死者を心に留め……」という祈りのことですね。このあたりは「取り次ぎ」とも呼ばれています。

 

 

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答五郎……そう。その「取り次ぎ」の祈りについて『ローマ・ミサ典礼書の総則』79にきれいな説明があるので、聖子さん、読んでみてくれないかな。

 

 

 

聖子……ええ、ここね。「取り次ぎの祈り-この祈りは天上と地上の全教会の交わりの中で感謝の祭儀が行われることを表し、キリストのからだと血によって得られたあがないと救いに参加するよう招かれた教会と、生者と死者を問わず、そのすべての構成員のために、奉献が行われることを表現する」。ふうっー、ちょっと難しいわ。

 

 

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答五郎……要は、「感謝の祭儀」は天上と地上の全教会、生者と死者を問わず教会の全メンバーによって、その全員のために行われるということを言っているのだよ。「全教会とそのすべての構成員」のために祈るというところは、「ことばの典礼」の共同祈願と似ているだろう。とくに意向1の「教会の必要のため」という趣旨と重なっている。

 

瑠太郎……でも、ここは全教会といって、やはり信仰者のことを前提としているのではありませんか。教皇や司教、またマリア、ヨセフ、使徒、聖人などのことをいうとき、それに復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟というときには。

 

 

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答五郎……でもね。教会のことを狭く考えているとも思われないのだよ、典礼の祈りは。すべての人は神に招かれているという前提で祈っている。福音も聖体もすべての人の救いのためだという精神で祈っているのだよ。神に賛美と感謝をささげ、そして横のつながりでの祈りをしているのだから。

 

瑠太郎……それで、ビザンティン典礼の奉献文(アナフォラ)では、そのような取り次ぎの祈りの中で、困難な状況にある人たちのことも祈っているのですね。

 

 

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答五郎……そう、「取り次ぎの祈り」とはわかりやすくいえば「教会共同体のための祈り」なんだ。キリストを中心とする共同体としての連帯性のもとで祈るという意味では、本来「すべての人のための祈り」である共同祈願と性格としては共通なのだよ。

 

聖子……じゃあ、ミサでは共同祈願が2回あるといってもいいわけ?

 

 

 

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答五郎……そういえるかもしれないね。「ことばの典礼」の共同祈願は、その日の神のことばにこたえてする「すべての人のための祈り」だとすれば、奉献文の取り次ぎの祈りは、「感謝の典礼」でささげられる「すべての人のための祈り」つまり共同祈願というふうにね。

 

瑠太郎……こういう言い方もできませんか。福音にこたえて祈る共同祈願と、聖体のもとで祈る共同祈願というふうに。

 

 

 

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答五郎……なるほど! ずいぶんミサの核心に入ってきたね。たしかにミサには「みことばの食卓」と「キリストのからだの食卓」があるといわれることがあるね(総則28参照)。それぞれの食卓からささげられる共同祈願ということになるね。

 

 

聖子……だんだんともう、「感謝の典礼」のことが気になってしかたがないわ!

 

 

 

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答五郎……そうだね。でも「感謝の典礼」のことに入る前に、次回もう一度「ことばの典礼」全体のことを振り返っておくことにしたいな。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 38:「困難に悩む人々」のために

「困難に悩む人々」のために

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答五郎……共同祈願のことを考え始めて3回目だね。前回は、「すべての人のための祈り」という共同祈願の特質が、意向1では「教会の必要のため」と意向2では「国政にたずさわる人々と全世界の救いのため」という二つの側面から考えられていることを見たね。今回は、意向3の「困難に悩む人々のため」という側面について考えてみよう。

 

瑠太郎……この部分では、最近では『聖書と典礼』の例文などで内戦や自然災害などで苦しんでいる人、病気で苦しんでいる人などはよく言及されている気がします。これも教会の伝統なのですか。

 

 

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答五郎……実は、前回も引用した「テモテへの手紙 一」2章1~2節で、とくにあげられているのは「王たちやすべての高官のためにも」ということだから、困難に悩む人々のことが特別にあげられているわけではないのだけれどね。実際に困難に悩んでいる人を助けることについての教えは、イエス自身が示しているよね。

 

瑠太郎……はい、イエス自身が、あの当時の社会のなかでさげすまれている人と一緒に食事したり、病気の人をいやしたりしていました。

 

 

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答五郎……それに、たとえば、マタイ25章31~46節の最後の審判についての教えの中でも、飢えている人、渇いている人、旅をしていて宿のない人、服のない人、病気の人、牢獄に入れられている人を助けることは、「わたし」(イエス)を助けることだと語られている。これら「最も小さな者の一人」を助けることがイエスを助けることだといわれているのだよ。

 

聖子……教会の歌で「小さな人々の」という歌があったわね。「♪小さな人々の一人ひとりを見守ろう、一人ひとりの中にキリストはいる」(『典礼聖歌』400)

 

 

 

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答五郎……そう、その歌はまさにそのマタイ25章の教えに基づくものだよ。
ちなみにね、前回も見たユスティノスの『第一弁明』(67章6節)ではね、日曜日の礼拝集会では施しを集めて困難にある人を助けたということが書かれている。「次に、生活にゆとりがあってしかも志ある者は、それぞれが善しとする基準に従って定めたものを施します。こうして集まった金品は指導者のもとに保管され、指導者は自分で孤児ややもめ、病気その他の理由で困っている人々、獄中につながれている人々、異郷の生活にある外国人のために扶助します。要するに彼はすべて窮乏している者の世話をするのです」とね。「孤児ややもめ」とは、旧約聖書の時代から社会的弱者の代表のように言及されている人のことだし、そのあとのところは、さっきのマタイ25章の教えとも対応しているのがわかるだろう。

 

瑠太郎……そうしたことは、教会の実践として勧められていることですよね。それが共同祈願の意向にも反映しているということですか。

 

 

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答五郎……「すべての人」に目を注ぐということは、さらに「さまざまな状況や境遇にあるあらゆる人」にも目を注ぐということだし、その場合、祈りによって支えるべき人は、おのずと何らかのかたちで困難な状況にある人ということになるだろう。それは、さまざまあるし、むしろ、それぞれの共同体の中で具体的な状況を考えていっていいようなものだよ。

 

 

聖子……ときどき、何かの献金日にちなむ意向が例文としてあがっているときがあるわね。先週(10月22日=10月の最後から2番目の日曜日)は「世界宣教の日」となっていたわ。

 

 

 

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答五郎……これは、世界中の宣教活動のために霊的援助と物的援助をともにしようという意味で、とくに物的援助のために献金を集めるよね。でも、そのような事業には霊的援助が不可欠だろう。そこで、なるべく献金日が定められているときには、そのことを共同祈願の意向に反映しようという姿勢から例文があげられているわけだよ。困難に悩むという原則を広い意味で考えていることにもなる。どのような宣教活動にも、困難はつきまとうからね。

 

瑠太郎……その意味では、共同祈願は教会の実践の心を表すものともいえるのですね。

 

 

 

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答五郎……そういう見方は大事だね。祈りは言葉だけで終わるものではないからね。実はそこで参考になるのは東方教会の奉献文なんだ。8〜9世紀頃にまとまったとされるビザンティン典礼の奉献文「バシレイオスのアナフォラ」には、王や皇帝のための祈りもあれば、教会を構成するほんとにあらゆる人々のことが祈られている。その広がりの中で困難に悩む人たちのことも祈っている。試しに訳した文章があるので、その部分を、聖子さん、読んでもらえないかな。

 

 

聖子……はい、ここね。「(神よ、汚れた霊によって苦しめられた人々を解放し、航海する者たちとともに航海し、旅する人々と道をともにしてください。身寄りのない子どもたちを保護し、とらわれ人を解放し、病気の人を見舞ってください。裁きの場に置かれている人、追放されている人、あらゆる困難と不幸の中にある人々を心にとめてください」。いいかしら。

 

瑠太郎……たしかに、聖書の教えとつながる内容もあるし、世の中にいつもいる弱い立場の人々のことが触れられていますね。教会はイエスや使徒たちの時代からずっと変わらずに、いつもこのような人たちのために祈り、援助しているということでしょうか。

 

 

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答五郎……助け合うという実践にこめられる心を表すために祈りが行われるし、また祈ることによってみんなを実践へと動かしていくこともあるだろうね。

 

 

瑠太郎……答五郎さん、今、読んだ例文は奉献文のものだと言いましたよね。奉献文と共同祈願は別なものと思っていたのですが、関係があるのでしょうか。

 

 

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答五郎……ほう、そのことか。その点は次回に考えてみよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

 


日本とキリスト教の道半ば

石井祥裕

所属教会で歴史の学習会を実施している。その中で教会書的に知っていた「島原の乱」に関して、研究が目覚ましい変貌をとげていることを知った(書籍紹介参照)。大きな視野で語ってくれる著者たちから示唆を受けて、目を開かれるところは多いが、島原天草一揆として今は呼ばれるこの事件の全貌も意味もなお捉えがたい。専門の歴史家ではないので、研究者の示唆に頼るしかないが、しかし、それでも、歴史認識を刺激してくるいくつかのポイントがある。

神田千里『宗教で読む戦国時代』(講談社選書メチエ、2010年)

この一揆の主導者たちの意図においては、信仰運動として、宗教運動として、徳川幕府の迫害・禁教政策に抵抗して起こしたものという面が確かにあった。その場合、宣教師の指導がなくなった信徒だけの集団としてのある種の信仰の変質の予兆もあったようだ。同時に、かつての信徒組織(コンフラリア)のきずなの存続という面もある。キリシタン史の転換期の到来である。もちろん圧政下での生活の困窮が動機となった参加者もいた。一揆集団は混成集団で、雑多な人々がいたことは矢文の史料も物語る。その人々を統合するためにも、主導者たちには宗教的(キリシタン的)理念を強調していったようである。そこにはキリシタン宣教黄金期の記憶も投影されたことだろう。キリシタン宣教師と信徒が活躍していた時代が壮絶な終わりに向かっていく。そこには信仰の苦悩と同時に哀しさが漂う。

一揆集団は、客観的には混成体だったかもしれないが、真実の信仰心から参加していた者もいたことはたしかである。矢文史料の一つにみられる「宗門さえお構いなくしていただければいうことはありません」という声。また混成集団をまとめるために腐心した一揆主導者の意識を伝える『四郎法度書』にある「互いを大切に思って意見を交わすべきである。城内の者は、後世までも友達なのだから」という言葉も、原城に籠もった集団の中にある人々の意識の一端を示す。「大切」とか「友達」という言葉の用法はとても近代である。幕藩体制から敵視された原城内の人々には意識や動機の多様性も含めて近代性が感じられる。

幕府のキリシタン弾圧は、この事件後にも一区切りを迎える。1639年のペトロ岐部の処刑もその局面でのことだ。宣教師の時代が終わる。宣教師自身の棄教(転びバテレン)が見られるのもその時期。遠藤周作が『沈黙』で対象とする時代である。キリシタン史は潜伏期に向かう。そうした、キリシタンの活動時代から潜伏時代への転機、日本宗教史の室町戦国時代史から徳川時代史への転機という意味では、この島原天草一揆の位置はとても大きい。

写真は共に島原城内の展示。写真提供:鵜飼清

この事件は、それがどう取り締まられ、どう鎮圧されたかのプロセスにも興味を抱かせる。事件発生からどのような連絡系統で江戸幕府に伝わり、またどのような指揮系統で鎮圧が実行されたのか。ここには軍事体制としての幕藩体制の確立の度合いが試されている感も強い。西南諸藩の大名の原城攻撃の布陣図は、2万人ほど(と最近は思われている)の困窮農民たちを取り締まろうとするには大きすぎる規模だ。実際総攻撃時の虐殺も、幕府統治の圧力のほうをより大きく感じていての所業だったのではないか。

混成集団といわれた人々の思いは、人骨や十字架やメダイ、ロザリオなどの遺物の中にその断片を遺している。彼らが求めたものは、信仰の歴史の「あす」に実現したのだろうか。幕藩体制が近代国家への第一歩であったとするなら、この事件を経験した統治者は、その後、民衆やキリシタンに対してどのように臨んでいっただろうか(浦上信徒迫害事件を思い起こそう)。戦後が日本キリスト教史の「きょう」だとすれば、明治以降~戦前はいわば「きのう」。そして徳川時代は「おととい」になる。こう考えると、島原天草一揆はその「おととい」の始まりである。日本の国もキリスト教も道半ばの大きな事件であり、多くの犠牲であったのだ。民衆史においても、キリスト教史においても、日本の国の歴史においても、この事件にもっと関心を向け、語り合ってよいのではないだろうか。

(典礼神学者・実践神学者)