「極彩色の孤独」と美術


M(アートおもちゃ会社経営者)

AMOR読者の皆様、こんにちは。はじめまして。神学部を卒業後、アートおもちゃ会社を経営しております、Mです。

私は「美術を通し、自他を愛する視点を得てもらうこと」を目的に、開発したアートおもちゃを使って小学校や保育園でワークショップを開催しています。

先日、世間で「富裕層」と言われる人たち(親子)向けのアートワークショップをしてきました。

世間のイメージだけで言えば、「富裕層」は、お金があるのだから、なんでも手に入って、なんでも好きなものを食べて、いつだって幸せだと思うかもしれません。

しかし実際には、立場が弱い人とは違う孤独を抱える存在なのでした。

孤独の色は、黒ではなく極彩色。煌びやかで華やかな色が自分にぐさぐさ四方八方から刺さるのです。

今回は、そんな「強い立場に見える人」「煌びやかに見える人」の孤独と、それを包み込む手段としての美術についてお話ししたいと思います。

 

* * *

 

この世界には、立場が弱い人や恵まれない人に手を差し伸べる組織や仕組みはたくさんあります。

そういった人たちに手を差し伸べることはとても大切なことで、社会を良くしていくには不可欠なことだと思っています。

しかし一方で、立場が強く見える人や、煌びやかに見える人に手を差し伸べるものはなかなか存在しません。

立場が強く見える人も煌びやかな世界に生きる人も同じ人間であり、立場が弱い人とはまた違った孤独を抱える存在なのではないでしょうか。

無数のしがらみを抱え、常に競争に負われ、決断の責任や歴史の重圧を抱え、体面や煌びやかさを保ち続けなくてはならず、近寄る悪者を見抜き続けなくてはならないなどといった苦悩を抱える存在なのではないでしょうか。

一見立場が強く見える人や、一見煌びやかに見える人には、大きな"守るもの"があるからこその孤独があるのではないでしょうか。

しかし強く煌びやかに見えるので、その孤独は多くの人からは理解されません。

いわば「極彩色の孤独」。

先日のワークショップ会場にいた子達は、きっといずれ国や会社を引っ張っていくことになる子達。

上質な教育と機会をパスポートに上り詰めると、いつかこの重い孤独と対峙しなくてはならなくなる日が来るかもしれません。

そうした時にこの子達を孤独から守るのは、美術=美しいものを見抜く目だと思います。

どんなに相手のことを大切に思っていても、見ることができる範囲・触れられる範囲には限界があります。

でも、見ることも触れることもできない深い“その人そのもの”が表れるのが美術作品だと思っています。

絵という「人の深い部分」の投影物を見つめ、好きか嫌いか、どこが好き/嫌いだと思うか、なぜ人は称賛するか/しないか、そんな問いかけをし続けることで、自分なりの美が見つかります。

レンブラント『サウルとダビデ』(マウリッツハイス美術館所蔵)

自分なりの美を見抜く過程では、まず「他者の表現を受けとめる方法論」が、そして自分なりの美がある程度見抜けるようになってくると「自分の思う美と目の前の事象が合うか見分ける方法論」が自分の中に残ります。

「他者の表現を受けとめる方法」はしがらみとしがらみのバランスをとる時や、自分の意思を守りながら体面を保つ見せ方を考える時に、きっと役に立つでしょう。

「自分の思う美と目の前の事象が合うか見分ける方法論」は、悪者を見抜くときや、大きな決断を迫られた時に、競争に晒されながらも自分の軸を見失わない強さが必要な時に、きっと役に立つでしょう。

決断する時、守る時、気持ちを処理する時、特に立場が強い(強く見える)人や煌びやかに見える人は独りです。

誰も信じることができなくても、誰にも相談できない苦悩にぶちあたっても、自分なりの美的感覚を持っていることが、きっと強く見える立場になる子達、煌びやかな肩書きがつくことになる子達を、極彩色の孤独から守るのではないかと思います。

 


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