特集88 “イスラエル”から考える


深く異なる歴史世界への近づき

2023年10月から、世界の人々の心を痛める出来事が一つ増えています。イスラエルとハマスとの抗争、ガザ地区へのイスラエルの攻撃の激化です。一般住民が、とくに子どもたちが多く、その中で命を奪われている現実に心を痛めない人はいないでしょう。

AMORとしても、この現実を前に、世界の諸地域、とくにアジアの見知らぬ国に関心を向けようとしてきた2023年の歩みの続きとしてイスラエルとパレスチナの間の抗争状況にアプローチしてみたいと思います。現下の情勢に関連して、各種報道やテレビのドキュメンタリー番組、映画といった紹介作品が今、とても多く出ています。そのいくつかに注目してみました。また、国際的な関わりを多く持っている教会仲間にも、この現実、経緯についての情報と所感をまとめていただいています。

他方、やはりキリスト教がその中から生まれたところの古代近東の歴史という大きな展望の中でも、今のイスラエルとパレスチナを考える必要があると思っています。そのための鍵となるのは、なによりも旧約聖書です。カトリック教会では1970年から行われている現在の典礼では、ミサの聖書朗読でも旧約聖書がよく朗読されるようになってきます。これがそれまでの数百年間との大きな違いの一つでもあります。そして、そこでしばしば、「イスラエル」という言葉が告げられます。元来は族長ヤコブに与えられた別名(創世記32:29;35:10参照)で、そこからアブラハム、イサク、ヤコブを先祖とする民が「イスラエル」と呼ばれるようになり、旧約の神の民の呼称となっていきます。。しかし、今、聖書朗読で、このイスラエルという名前を聞くと、現代のイスラエルへの連想を禁じえません。現代イスラエルを巡る複雑な歴史事情とはいったん別に考える必要があるとはいえ、まったく同じ言葉であることに対して複雑な気持ちに陥ってしまいます。

旧約聖書のイスラエルは、キリスト者にとっては、キリストの自己奉献によって結ばれた神と人の間の新しい契約つまり新約に生きる神の民(=信者、教会)に連なり、その前身となるものです。
そのことが、現代のイスラエル国家とどのような関係があるのか。果てしなく長く、曲がりくねった問いかけになっていきそうです。その紆余曲折を知るために、わたしたちは、古代史、キリスト教成立後の歴史、ヨーロッパの中でのユダヤ人の歴史などを総合的に学び直していかなくてはならないでしょう。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に絡み合い、現代イスラエルの建国、中東戦争、パレスチナとの関係の現況……すべてをしっかりと見ていくことが、ガザの悲劇に近づく一歩となるのではないでしょうか。そのための試みとして、聖書古代史に関心を注ぐZ世代のレポートや歴史への興味に親しく招いてくれる概説記事を寄せてもらっています。ガザという地域がどれほど文化史的に重要な地であったかも知ることになります。

それらを通して、中東と極東という彼我の自然環境の違いだけでなく、歴史的文脈の違いの大きさ、深さを痛感されることと思います。日本にいると、アジア太平洋戦争の後からのうねりが今も歴史の主動因、原動力となっていますが、イスラエルとパレスチナには、まったく別な脈絡とうねりがあります。彼方への問いは、やがては此方への問いとなって返ってくるでしょう。そのことをも覚悟しつつ、彼方へのアプローチを試みていきたいと思います。

 

イスラエル体験記

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イスラエル史(パレスチナ史)

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ドキュメンタリー・レポート~~ガザへの視角

共感――置き忘れてきたもの(2024年2月21日「置き忘れた共感」より改題し、一部内容を改訂しました)

 

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