岡野日和(上智大学神学部学生)
聖書を読み進めていくと、ベツレヘム、ナザレ、カファルナウムなど、数多くの地名と出会います。神学の学びを深めていくにつれ、実際に聖書の地を訪れたいという気持ちもどんどん募っていきます。そんな中、長谷川修一教授が担当されている「聖書考古学」という講義がきっかけとなり、昨年8月から約3週間、発掘調査団の一員としてイスラエルを訪れる機会をいただきました。現地では発掘調査はもちろん、聖書に登場する様々な場所を訪れ、大変実り豊かな時間を過ごすことができました。今回はその経験を皆様にご紹介したいと思います。
イスラエルのテルアビブにあるベン・グリオン空港へは、成田空港から香港を経由して向かいました。8月9日の18時に日本を出国し、イスラエルの空港に到着したのは翌日の8時でした。長い距離と時間ではありましたが、そのおかげでイスラエルに到着する頃には、一緒に発掘するメンバーとも打ち解けることができました。そして到着後は先生方と合流し、今回私たちが宿泊するキブツ・エンドールへと向かいます。
キブツの中にはスーパーマーケットがあり、イスラエルの食品や日用品などを自由に買うことができました。イスラエルの通貨は「シェケル」といい、1シェケルは約40円です(写真1)。
また、発掘調査前の安息日には、キブツ・エンドールの近くにあるタボル山を訪れました。タボル山は、イエス様がモーセとエリヤに出会ったと伝承されている山です(マタイ17章1~8節等参照)。山頂には、その出来事にちなんで「変貌教会」(または「変容教会」)と呼ばれるカトリック教会があります。
写真2は変貌教会内の様子です。モザイク画には聖書の記述に基づき、中央にはイエス様が、その周りにはモーセとエリヤ、そして弟子たちが描かれています。
安息日が明けると、いよいよ発掘調査が始まります。私たちが発掘するのは、下ガリラヤ地方のテル・レヘシュと呼ばれる遺跡です。テル・レヘシュは、ヘブライ語聖書(旧約聖書)のヨシュア記に登場する古代都市アナハラトであったと考えられており、またこの遺跡からは、イエスの時代のユダヤ人集落も見つかっています。
写真3が発掘作業場所です。発掘は朝5時半から、お昼まで行われました。日差しはかなり強いですが、遺跡からの景色はとても綺麗で、遠くにはタボル山が見えました。
発掘調査のメンバーには、神学や聖書を専門とする先生方や学生の他、考古学を専門とする方もいらっしゃいます。私にとっては今回が初めての発掘調査でしたが、発掘道具や作業の注意点について教えていただいたことで、考古学の知識も身につけることができました。
写真4は遺跡内の様子です。初めて土器の破片を見つけたときは、とても感動しました!
調査の休日には、イエス様が育ったナザレ、ペトロとアンデレの家があったとされるカファルナウム、そして奇跡が行われたとされるガリラヤ湖を訪れました。イエス様が活躍された場所を直接目にすることで、聖書の世界がより生き生きと伝わってきました。
はじめに訪れたのは、ナザレの受胎告知教会です。教会には福音書記者の名前が刻まれています(写真5)。
カファルナウムには、5つのパンと2匹の魚が描かれた記念碑がありました(写真6)。
ランチには「聖ペトロの魚」をいただきました(写真7)。「聖ペトロの魚」は、マタイによる福音書17章24~27節に書かれた、「神殿税を納める」というお話に基づいています。
そして最後は遊覧船でガリラヤ湖を渡りました。私たちが船から眺めた美しい景色は、きっとイエス様もご覧になったことでしょう(写真8)。
発掘調査を無事に終えた後、ついに私たちはエルサレムへと足を運びます。三大宗教の聖地であるこの場所には長い歴史があり、古来多くの人々を魅了し続けてきました。
旧市街に入り、はじめに私たちはイエス様が死刑判決を受け、十字架を背負って歩んだヴィア・ドロローサを歩きました。その道のりには、聖書の記述に基づいた14のステーションがあり、イエス様の苦難の道のりを追体験することができます。
写真9は、イエス様が十字架の重みに倒れた場所を記念した第3ステーションです。
そして最終地点は、聖墳墓教会の「イエスの墓」です(写真10)。多くの巡礼者が列をなしている姿を目にし、自分自身の信仰もより一層深まりました。
今回初めてイスラエルの地を訪れ、発掘調査、新たな出会いと交流、そして聖地巡礼を通してかけがえのない時間を過ごすことができました。
現地で支えてくださった先生方、そして共に3週間を過したメンバーの皆に感謝すると共に、再びこの地に平和が訪れることを、心からお祈りいたします。