特集86 クリスマスの思い出


思い出というプレゼント

主の降誕、おめでとうございます――教会で交わされるお祝いの挨拶です。そこにはもちろん祈りが含まれています。その祝いの理由を簡潔に表す福音のメッセージの一つは「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に住まわれた」ということばです(ヨハネ福音書1章14節=「主の降誕・日中のミサ」の福音朗読箇所)。「肉」とは、弱く滅びゆく被造物としての人間を意味するとされ、つまりは、神の御子が地上に人間として生まれたという神秘が一言で告げられているものです。

クリスマスはキリスト教の教祖キリストの誕生を、尊敬をこめて祝う祭りだろう、と一般に思われているとしたら、そこにも立派な認識があるといえますが、事はそれを超えています。福音のことばを噛みしめてみると、神の御子が、つまりは神が人間になったことによって、人間というものがより一層大切なものとされている――まさにそのことが記念され、祝われる時なのだ、ということになるからです。

このことをよく表す祈りがあります。同じく主の降誕=日中のミサの集会祈願です。「永遠の父よ、あなたは、人間を優れたものとして造り、救いのわざを通して、さらに優れたものとしてくださいました。神のひとり子が人となられたことによって、わたしたちに神のいのちが与えられますように」――短い中に、キリスト教の信ずるところが凝縮されています。ちなみに、「優れたもの」は「尊厳あるもの」と訳すこともできるそうです。あの人間の尊厳、人格の尊厳といわれるときと同じことばです。その尊厳が奪われ、侵され、傷つけられる絶望的な事態になったからこそ、神の御子が到来したのだ、というメッセージが行間に含まれています。そんな事態がますます激しくなっている今の世界に、この祈りは深く刺さってはこないでしょうか。

この特集にあたり、クリスマスにまつわる「私」の思い出の寄稿を呼びかけました。数名の方から寄せられた文章を読み合い、味わいを広げていく場になればと思います。どれも、人として、人間として出会ったことやその時々の思いを振り返り、綴り、知らせてくれるもの。そこには、もちろん、プレゼントとして贈られた思い出と、今の「私」との対話が生まれています。そんな心のドキュメンタリーともいえる個性あふれる文章が、さらに皆さんの思い出との対話を呼び起こすものとなれば、幸いに思います。

 

それぞれのクリスマスツリー

眞男さん

大きなお腹のマリア様と共に

衝撃と共に迎えたクリスマス

サイレント・ナイト――ふてくされのクリスマス

私とクリスマス

遅れて届いたクリスマス・プレゼント

 


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