衝撃と共に迎えたクリスマス


中村恵里香(ライター)

1980年、当時三軒茶屋教会の青年会に所属していた私は、12月24日の晩に行われるクリスマス会の劇の準備で11月中旬から夕方から夜遅くまで大道具や衣装、小道具の準備に追われていました。その年のお芝居は、アシジの聖フランシスコの生涯をテーマにしたものでした。東大卒業後、東京藝術大学の建築学科に進んだKさんは、サンダミアーノ教会の十字架をつくっていました。その他の大道具や小道具は、私とIさんとWさんの担当でした。次々とつくらなければならない状況の中、約束の時間より遅れてきたWさんが教会のホールにかけ込んできました。彼は「大変なことが起きた」と興奮気味でした。訳のわからない私たちは、何があったのか尋ねました。

『サン・ダミアーノの聖十字架』(12世紀 ウンブリアの無名の芸術家 高さ210cm×幅130cm アッシジ サンタ・キアーラ聖堂所蔵)

その日は、忘れもしない12月9日夜のことです。毎年、クリスマス劇の準備で、教会で真夜中まで作業をしている私たちの楽しみは、音楽を聴きながら作業をすることでした、その年は、なぜかジョン・レノンの音楽を流して作業をしていたのですが、彼の語る言葉に衝撃を受けました。なんと。ジョン・レノンが銃殺されたということでした。今のようにCDやスマートフォンのない時代、楽しみといえば、ラジオを聞くか、テープで音楽を流すことだけだったのです。その晩、私たち3人は、ジョン・レノンのイマジンを流し続け、泣きながら黙々と作業をし続けました。その後も1週間ほどはショックが抜けず、3人は集まれば、ジョン・レノンの話をし、泣きながら作業をする毎日でした。

そんな状況の中で、なんとか準備を終え、聖フランシスコの劇は好評の中、終えることができました。そのときつくったサンダミアーノ教会の十字架は今も三軒茶屋教会のホールに飾られているといいます。クリスマスの思い出は、子どもの頃からさまざまありますが、衝撃と共に迎えたクリスマスは、後のも先にもこの年のクリスマスです。

 


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