サイレント・ナイト――ふてくされのクリスマス


PY

クリスマスが近づくと、半世紀以上前の少年時代の思い出が今なお生き生きとよみがえる。

中学一年のとき、英語の授業がその日、教科書を離れて、音楽の授業のようになった。英語の担当は、米国系日本人女性で、なかなかはっきりした物言いの、ちょっと怖い先生でもあった。クリスマス直前のその日、先生は黒板に Silent night, holy nightと書き始め、「きよし この夜」という歌と、自分も知っていた、その歌の英語の詞とその意味を教えてくれた。ぐいぐい来る話しぶりに圧倒されつつ、「マーザランチャイル♪」など、英語の詩というものの新鮮な響きに、魅了されていた。しばしば、歌詞全体を暗唱し、口ずさみ、心の中で愛でるように味わうことが続いたような気がする。「きよし この夜」の日本語歌詞にも同じように感動を覚えて親しんでいった。いつも違う発見を与えてくれた、その特別授業は、小学生気分がまだ残っていた心に、そっと掛けられた可憐な絵のように思い出される。

母がプロテスタント系の学校育ちで、聖書の授業も聞いていたし、礼拝も賛美歌も知っていた。堅い決心をもって洗礼は受けなかったという人だが、家にはキリスト教的な雰囲気も少しずつ流れ込んでいた。クリスマスとなると、可愛いクリスマスツリーが居間に飾られ、定番のケーキ(バタークリーム時代!)、サンドウィッチなどがテーブルを彩る。部屋の明かりが消され、ろうそくがともされ、母や妹たちの「きよし この夜」や「もろびとこぞりて」の合唱が始まる。小学生のとき、そこに声を合わせていたかどうかは覚えていない。

ところが、中学三年ぐらいになると、だんだんふてくされてくる。なんでクリスチャンファミリーでもないのに、聖歌を歌うんだろう? 習慣だけ真似て! 「しゅはきませり」って何だ!? 「きよし この夜」の英語詞とその響き、意味に感動していたことがあったことなどすっかり忘れている……それが、しかし、キリスト教を信仰として意識し始めた最初だったのかもしれない。

高校・大学のプチ“疾風怒濤時代”の末、カトリック教会での洗礼を受け、その後もう40年以上。それだけの回数、クリスマスを経験しているが、少年時代のあの二つの思い出を超えるものはない。純粋な感動を呼び起こした「きよし この夜」が、カトリックでは「しずけき」と歌われるのが、いまだ気分が乗れない大きな一因。だが、そのことが、我が家のクリスマス行事にふてくされて、ソファに寝転がり、足を組んでいた超行儀悪い自分の姿を、逆に思い起こさせる。どうしてあの光景が鮮烈に残っているのかなぁ。

御子が私に訪れ、宿された瞬間だったからなのだろう……今は、そう思える……。

 


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