遅れて届いたクリスマス・プレゼント


K.S.

はじめに

クリスマスが近づき、街中がイルミネーションや飾り付け一色となりました。私は小さな頃、クリスマスといえば、サンタさんからクリスマス・プレゼントをもらえることが一年で一番の楽しみと言っても良いほど、待ち遠しいものでした。今回は、私が受け取った不思議なクリスマス・プレゼントを、皆さんに少しでもお裾分けできれば幸いです。

 

キリスト教との出会いはクリスマスから

まず、私とクリスマスと関わりについてお話ししておきます。私はカトリックの幼稚園で育ったため、物心ついた時からクリスマスの起源には馴染みがありました。私の幼稚園では、クリスマス会で年長の園児が聖劇をやることが慣例でした。年少の時に聖劇を初めて観た時は、子どもながらに強い憧れを持ったことを今でも鮮明に覚えています。なぜなら、二人の若い男女が長い距離を旅しているのに、泊まるところもなく、しかし、馬小屋なら空いていると連れられて、男の子が生まれる。そして、羊飼いや東方の博士たちがお祝いにかけつけてくる――という物語は、冒険ストーリーのようでなんだかわくわくさせられたからです。また、イエスを産んだマリアをはじめ、天使の衣装や小道具などが凝って作られており、子どもの目には本格的に見える黄金、没薬、乳香などに目を輝かせていました。私も二年後には、この舞台に立つんだ!という希望を膨らませていました。

 

落胆したクリスマス

二年後、年長に進級し、いよいよ聖劇の練習が始まる季節になりました。私は、人前に立つことがあまり得意ではなかったので、マリアやマリアがイエスを身ごもっていることを伝える大天使ガブリエルといった目立つ役は避けたいけれど、周りを取り囲む天使たちの綺麗な衣装が着たいというささやかな夢くらいは叶うのではないかと、ひそかな期待を抱いていました。しかし、そんな私に与えられた役は、なんと宿屋さんの役だったのです。しかも、馬小屋に案内する宿屋ならともかく、泊まるところがないと断る宿屋役になってしまいました。私は、マリア、ガブリエルと天使たち、あるいは羊飼いと天使たちのシーンの練習をただただうらやましく見ている状態でした。

衣装合わせが始まると、その思いはより一層膨れあがりました。衣装も、もちろん華やかなものではなく、大変質素なものです。天使役の友達が衣装のことで何か打ち合わせをしているのに、私は当たり前に入っていくことができません。今表現するなら、人生で初めて孤独というものを強く意識させられた瞬間だったように思います。私が落ち込んでいるのを察した母が、宿屋の衣装の色に合った髪留めを探してくれるなどの気を配ってくれたことは、とてもありがたいことでした。しかし当時の私は、楽しみにしていたクリスマスが心にちくちくと棘を刺しながら、ほろ苦い思い出となっていったのを感じました。

この思い出は、年齢を重ねても私の中で心に鈍い痛みを与え続けました。クリスマス・ミサで、神父様がクリスマスの喜びをさまざまな形で分かち合ってくださっても、私は見放されてしまっていたのかな、寂しかったな、という思いに陥ってしまうのです。私は、マリアのように選ばれた人と違って、冴えない女の子だから仕方ないのかと何度も思わされました。

 

真のクリスマス・プレゼント

しかし、そんな私も大人になり、晴れて信仰の恵みをいただくことになりました。ある年のクリスマス・イブ、マリアの賛歌を読み返していると、次のような一文が特に目に留まりました。

わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。

(ルカによる福音書 1:47~48)

――私は、小さい時にうらやましいと感じていたマリアの印象が、変容していくのを感じました。私が幼稚園の時に演じた宿屋の役は、当たり前に人気がありません。しかし、人気のない役を引き受ける――それは、実際にはマリアの体験に近いものではなかったか、それに触れさせていただいたのではないかと、今となっては思えてきます。マリアにとって、若くしてイエスを身ごもり、産んで育てる役割を担うことは、一体どれほど「引き受けたくない仕事」だったでしょうか。私には、想像も及ばないことです。しかし、マリアがその任務を遂行しなければ、イエス・キリストによって、神さまの愛が示されることはなかったかもしれません。私は、自分に与えられた仕事を最終的に喜んで引き受けるマリアの姿から、自分にも目を留めてくださっている神さまの姿を、おぼろげにでも認識できる気がしました。

私は幼少期に聖劇の練習を通して、この世の現実と直面することになりましたが、その出来事から自分の小さくて弱い面を知り、向き合うことにつながりました。もちろん、私たちが悲しむことを神さまが望んでいるとは思っていません。しかし、私たちが困難に直面する時に何らかのメッセージを働きかけ、それぞれの器にふさわしい形で、道を開こうと願っておられるのではないかと思えてならないのです。私にとってもこの経験は、自分の生き方に大きな影響を及ぼすものであり、20年越しに受け取ったクリスマス・プレゼントでもありました。

 

おわりに

世界中に浸透しているサンタ・クロースのイベントは、キリスト教の聖人・ニコラウスの伝説が起源とされています。貧しい人を救いたいと、その家に金貨を投げ入れたニコラウスの慈悲深い想いから始まったそうです。世界中のサンタ・クロースにとって、クリスマス・イブはとても大変な一日であることでしょう。サンタさんは私たちがご馳走を食べ、騒ぎ、寝ている時にもせっせと働いてくれ、まさに「引き受けたくない仕事」をしてくれているのだと実感します。今年のクリスマスでは、そんな方々に感謝の思いを馳せながら、キリストの御降誕の出来事がもたらしている意味をより一層味わい、自分も「引き受けたくない仕事」に直面した時に、果敢に向き合ってゆきたいと思います。

 


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