使徒的勧告『アジアにおける教会』が見たアジア


石井祥裕(AMOR編集部)

「アジア」という観点で世界や日本やキリスト教に目を向けようとするとき、欠かせない文書として浮かんでくるのが、教皇ヨハネ・パウロ2世が1999年11月6日、インドのニューデリーで発表した使徒的勧告『アジアにおける教会』です(邦訳 カトリック中央協議会 2000年7月15日発行)。

1990年代、ヨハネ・パウロ2世が紀元2000年を意義深く迎えるようにと呼びかける中、各大陸・各地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)が次々と開催されました。アフリカ(1994)、レバノン(1995)、アメリカ(1997)、アジア(1998)、オセアニア(同)、ヨーロッパ(1999)のための特別シノドスです。その中で、アジア特別シノドスは、「救い主イエス・キリストとアジアにおける愛と奉仕の宣教『彼らがいのちを豊かに受けるように』(ヨハネ10・10参照)」をテーマに、1998年4月18日から5月14日まで開催され、この会議を受けて、その実りを広く分かち合えるようにと、教皇の応答として出されたのが上記の使徒的勧告です。

2023年現在の世界におけるアジアと日本、そしてキリスト教を考えていくために、ちょうど25年前に開催されたシノドスからの声が反映された、この文書の中で、どのように「アジア」が見られているのか、少し覗いてみました。内容は次のように構成されています。

序文

第1章 アジアの状況

第2章 救い主イエス――アジアへのたまもの

第3章 主なる聖霊――生命の与え主

第4章 救い主イエス――たまものを告げ知らせる

第5章 宣教のための交わりと対話

第6章 人間性の促進への奉仕

第7章 福音のあかし

結び

いきなり序文の中でちょっと驚くような叙述に出会います。

実際に神が、最初からご自分の救いの目的を明らかにし実行したのは、アジアにおいてでした。……「時の満ちると」(ガラテヤ4・4)、アジア人の一人として受肉したご自分の独り子、救い主イエス・キリストをお遣わしになりました。……イエスの聖地で生まれ、生活し、死に、そして死者の中から復活したので、西アジアの狭い地域は全人類にとって契約と希望の地となりました。

(邦訳3~4ページ)

アジアが神の救いの計画の本場であったと記されています。この場合は、西アジア、パレスチナという地域でしょうが、東アジアの日本からすると、同じくアジアと呼ばれる世界が救いの計画の本場であり、「アジア人の一人」としてイエス・キリストが語られているところが新鮮ではないでしょうか。わたしたちのキリスト教、そしてイエス・キリストに対するイメージが、ヨーロッパ色にいかに染まっていたか、喉元を突かれる思いがします。

他方、ヨハネ・パウロ2世は、続けます。

アジアで生まれた世の救い主が、なぜ、いまだにアジア大陸の人々にほとんど知られていないのか、これは一つの神秘です。

(邦訳5ページ)

1998年のアジア特別シノドスは、この神秘を考え、この人々にキリストを知らせる決意を新たにする機会になると期待されたのでした。

本編では、このシノドスでのアジアの状況への考察を受けて、現代教会としての取り組みの方向性を考えるものとなっています。特に興味深いのは、「アジア」という世界に対して、教会がどのような特徴を見ているか、それは、なによりも、膨大な人口と、「諸民族の多様性、文化・言語・信条・伝統の複雑なモザイク模様」(邦訳14ページ)、それら諸宗教の伝統の古さと多様性です。
アジアは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教という世界宗教の発祥の地です。また、仏教、道教、儒教、ゾロアスター教、ジャイナ教、シーク教、神道といったほかの多くの宗教が誕生した所でもあります。
(邦訳14ページ)

そして、また、アジアの人々の特徴をこう概括しています。

アジアの人々は、沈黙と観想を愛し、誠実さ、調和、偏見のなさ、非暴力、勤勉、秩序、つつましい生活、知識の探求と哲学的求道といった宗教的、文化的価値観に誇りを持っています。彼らは、いのちに対する尊敬、すべての生き物に対する共感、自然との調和、親や年配者や祖先に対する畏敬、高度に発達した共同体感覚といった価値をこよなく愛しています。とりわけ、家族を、力の源泉であり、力強い連帯の感覚を伴った緊密な共同体であるとみなしています。アジアの人々は、宗教的寛容さと平和共存の精神を持っていることでも知られています。

(邦訳14ページ)

東アジアから西アジアまで、アジアのすべての人々の特徴をこのように概括できるかどうかわかりませんが、古きよき日本社会、日本人の姿を思い起こすと、そこには多く通じるところも見えてくるかもしれません。

他方、こうした伝統を有しているアジアには、共通の社会経済的な問題状況があると言及されます。急激な都市化・都市集中、貧困、組織犯罪、テロリズム、売買春、弱者に対する搾取、戦争、民族対立、基本的人権の抑圧、人口増加、いのちの尊厳と不可侵性を脅かす間違った解決法など(邦訳15~17ページ)。例として言及されている事柄には、今も続き、さらには激化しているところがあります。そして、アジア社会と日本社会の相違と共通性があるのかないのか、にも思いを馳せさせられます。

使徒的勧告『アジアにおける教会』は、このような導入部から、アジアにおいて救い主キリストを知らせるためのキリスト教に対する教会自身の理解の仕方や宣教活動のあり方の見直しを呼びかけています。特に「第6章 人間性の促進への奉仕」は、シノドスに集まったアジア諸国の司教たちの声を、教皇が真摯に受け止め、彼らとともに「多くの人々が、差別、搾取、貧困、社会的疎外に苦しんでいます」(邦訳96ページ)と告げ、その境遇からの人々の解放に、教会の使命を見ているのです。言及自体は抽象的で概括的ですが、とりわけ、そうした疎外が「とくに移住者、先住民族や少数部族、女性と子供たち」(同97ページ)に及んでいるという指摘も含めて、これらの指摘のことばのもとに、2020年代前半という現在の、さまざまな事象が思い浮かべられるのではないでしょうか。

アジア諸国のカトリック教会の指導者たちはアジア司教協議会連盟(Federation of Asian Bishops’ Conferences, 略称FABC)という連合体を組んでいます。これは1970年11月にフィリィピンのマニラで開催されたアジア司教会議で要望が出されて準備が始まり、1972年11月に規約が教皇の承認を受けて発足、1974年4月、台湾の台北で第1回総会が開催されたものです。ちょうどこの2022~24年は、アジア司教協議会連盟の創立から50年という節目に当たっています。

1998年、教会の新しいミレニアム(第3千年期)を展望して「アジアにおける教会」とその使命を語り合った会議からもすでに四半世紀、今のアジアをめぐる状況を大きな視野で見ていくうえで、FABCの活動や情報にも目を向けることは、日本に生きるわたしたちにとっても、未来展望や行動選択のための大切な情報源となっていくと思います。

冒頭の驚きに戻ります。神の救いの計画の本場としてのアジア、アジア人の一員であるイエス、という表現は、救いの計画の本場としてのパレスチナ、ユダヤ人の一人であるイエス、という言い方と、どのように違う響きをもつでしょうか。日本人にとって遠くもあれば近くもある、この「アジア」を考えていくことは、とりもなおさず、自分たち自身を、大きな枠組み、そして、歴史の大きなうねりの中で考えていくことになると思われます。

 


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