特集91 シチリアの歴史世界~~その日本との縁


東西南北に開かれた島

皆さんは、シチリアと聞いて、何を連想するでしょうか。多くの方は、映画「ゴッドファーザー」を思い起こし、イタリア・マフィアを連想するかもしれませんね。イタリアの地形はよく長靴にたとえられますが、その足の先の部分にあたる、三角形に近い形の島世界がシチリア、現代イタリアでは、パレルモを州都とするシチリア州を構成している地域です。面積的には、九州の3分の2、四国の1・4倍の広さだそうです。

アジアを旅する企画をこの一年ほど随時、展開してきましたが、今回は少し足を伸ばして、地中海世界の地域に心を向けています。日本のキリスト教の歴史との関連では、やはり近年、再び注目されている、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(シドティとも表記 生没年1668-1714)という、新井白石の尋問を受けたイタリア人司祭として、日本史の教科書でも知られる人物がまさしくシチリアのパレルモ出身であったことで、シチリアの名がひときわ印象深く、わたしたちの心に刻まれます。

シドッティほど知られていませんが、17世紀の人ジュゼッペ・キアーラ(生没年1602頃-1665)というイエズス会司祭も同じくパレルモ出身です。1643年来日後、筑前大島で捕縛され、江戸へ送られ、穴吊るしの拷問を受けた際「念仏を唱えた」とされて、背教者としてキリシタン屋敷に収容され、その後およそ40年生き続けることになるという、遠藤周作の『沈黙』のモチーフともなった人です。

二人の司祭を通じて、17~18世紀の日本とヨーロッパの出会いがあったともいえますが、実はシチリア自体、東西南北の世界の交差点といえるような歴史をたどっています。ちょうど、こんなテーマを抱えている最中、NHK総合テレビの番組「空からクルージング」特別編でシチリアが扱われていました(5月13日放映)。最西端の町トラーパニから反時計回りに空撮は巡っていきます。マルサーラ(フェニキア人が伝えた塩田業が今も続く)、モツィア(フェニキア人の遺跡)、セリヌンテ(紀元前7世紀にギリシア人が植民した町。神殿、劇場の遺跡がある)、シャッカ、アグリジェントを経由して、最南端のパッセーロ岬を回り、シラクーサへ、古代に栄えたギリシア人時代の劇場、その後支配したローマ帝国時代の円形闘技場跡が写ります。

ここから北上し、ヨーロッパ最大の活火山エトナ山(3323m)を見つつ、イタリア半島との接点に近いメッシーナへ。そこから島の北辺に沿って、12世紀にノルマン人が建てた大聖堂が見えるチェファルを見、州都パレルモに至ります。ここは、9世紀にアラブ人により伝えられたレモンやマンダリンオレンジなどの果樹栽培地帯が広がります。また、アラブ、ビザンティン、ノルマンの文化が融合した独特な様式の象徴である大聖堂と旧王宮(現州議会議場)が映し出されます。

このような空からの一周の旅でも、フェニキア、ギリシア、ローマ、アラブ、ビザンティン、ノルマンといった西洋~中東の諸文化が交差する地であったことがわかります。ここには、どのような社会が形成され、人間模様が繰り広げられたのでしょうか。多様性のるつぼともいえるこの島から、17~18世紀には、はるかアジア極東の地、日本に向かう人たちが現れ、19~20世紀には、米国に移民となって大きな力と絆をもつコミュニティーがつくられていったのです。

そのような多様な歴史と文化の地、その世界への小さな窓に、この特集もなれたらと思います。

 

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