トルコ関連ドキュメンタリーから


石井祥裕(AMOR編集部)

今年がトルコ共和国建国100年にあたっているためか、『トルコ:建国一〇〇年の自画像』内藤正典著(岩波新書 2023年8月)、『トルコ史』永田雄三編(山川出版社 2023年8月)といった新刊があります。

NHKでも、トルコ関連ドキュメンタリーが3作品放映されました。ひとつは、NHK BS1で放送された『BS世界のドキュメンタリー 刻まれた足跡 トルコ・日本友好130年』(2023年3月20日放送)、これはトルコ文化観光省の2021年制作作品。二つめはNHKスペシャル『混迷の世紀 第11回 台頭する“第3極” トルコ“全方位外交”の光と影』(2023年8月20日放送)、三つめはNHK BS1スペシャル『トルコ大統領選 あぶり出された少数派の声』(2023年9月3日放送)です。

二つめの番組は現代の世界情勢そのものの学びにもなるもので、「ネオ・オスマン戦略」とも呼ばれる独自の立ち位置をもって全方位外交を進めるエルドアン大統領の姿勢、その政権の強権的側面にも目を向けるもの。三つめの番組はその国内事情としてのイスラム回帰的な動向や、クルド人、宗教的少数派アレヴィ派、性的少数派に対する抑圧の様子に関するレポートが注目を引きました。

それぞれトルコの問題というだけでなく、現代のどの諸国にも通じる問題に視野を広げさせてくれる有意義な内容でしたが、筆者が特に興味深く視聴したのは、トルコで制作された近代トルコと日本の関係史をめぐる番組でした。知らなかった事象についてたくさん教えてもらえたもので、それについて“トルコビキナー”としての報告と感想をまとめてみました。

 

『BS世界のドキュメンタリー 刻まれた足跡 トルコ・日本友好130年』は、2020年が友好関係の始まりからちょうど130年であったことにちなむ番組です。「アジアの東の端の日本、そしてアジアの西の端のトルコ」という語りから始まります。紹介される人物や事柄のほとんどについてウィキペディアを調べると山ほどに情報が出てくることにも驚かされましたが、それら無限の情報に対して一筋の見方の経路を示してくれるのが番組の効果だな、と思いながら視聴しました。幾つか印象に残った内容をレポートしてみましょう(水色の囲みは、筆者の補足や感想コメント)。

まず、トルコ(当時オスマン帝国)と日本の最初のコンタクトとして紹介されるのが、1873年、明治政府が福地源一郎(1841~1906)と島地黙雷(1938~1911)をイスタンブールに派遣したことでした。ちょうど150年前のことです。

福地源一郎のトルコ行きは、有名な岩倉使節団の欧州視察の一環のもの。欧米との間の条約改正に進展がみられたと伝わるオスマン帝国に裁判制度を視察させるためで、島地もこれに同行したもので、それは浄土真宗本願寺派の僧侶、仏教徒として初めての欧州旅行の一幕だったとのこと。不平等条約の改正、欧米列強との対等な地位を目指すという目標意識から、日本がオスマン帝国に関心をもったというところが注目されます。

 

次のコンタクトは、1887年、小松宮彰仁親王(1846~1903)が欧州訪問の途中イスタンブールを訪問したこと、当時のアブデュルハミト2世を訪問、オスマン宮廷と日本の皇室との交流の始まりとなります。その返礼として、1889年7月、エルトゥールル号が日本に向けて出発します。この船の旅と悲劇について重点的に紹介されています。

オスマン・パシャを特使として総勢600人余が乗り込んだエルトゥールル号が1890年6月に横浜に入港。特使らは明治天皇に謁見。約3ヶ月の滞在後、9月15日に横浜港を出発したエルトゥールル号は、暴風雨のために9月16日、和歌山県沖で座礁、沈没し、特使パシャをはじめほとんどの乗員が死亡するという惨事となりましたが、和歌山県串本町付近の地元住民が69名の救出にあたったのでした。この出来事が2015年にトルコ・日本合作映画『海難1890』となり、番組でも多く紹介されています。

1891年串本町には犠牲者のための墓碑が設置され、1937年にはトルコによっても慰霊碑が建立、1974年には串本町にこの出来事のためのトルコ記念館が建設。この出来事がトルコと日本の真の友好関係の始まりとして記憶されているとのこと。この1890年の出来事から数えて2020年が130年であるということでした。

初めて知ることになった出来事でした。政府間、帝室・皇室間の友好の歴史ということではなく、政府制作番組でも、庶民レベルでの人道的行為に真の友好の始まりを見るという視点は重要であると思いました。たしかにその後のさまざまな縁の始まりとなっていきます。

 

しかし、この出来事が日本とトルコの間の正式な国交につながっていかない、という逆説的な展開があります。それは、日本がオスマン帝国に国交の条件として領事裁判権を要求するという態度に出ます。オスマン帝国はこれを受け入れず、国交交渉も頓挫します。欧米列強に対するそれぞれの関係変化における、両国の意識の違いがあぶりだされた一幕でした。

欧米列強に対する不平等条約改正の果てに自らも、トルコという大国に対して帝国主義的態度に出たという日本の矛盾、それを拒否するオスマン帝国のプライドある態度がさりげなく紹介されているのが、かえって印象的でもありました。

 

山田邦紀、坂本俊夫著『明治の快男児 トルコへ跳ぶ:山田寅次郎伝』現代書館 2009年

そのようななか、日本とトルコの関係に一人の青年が突破口を開くことになります。群馬県沼田藩の家老の家柄に1866年に生まれた山田寅次郎です。24歳のとき起こった上述のエルトゥールル号の事故に際して義援金を募り、それを犠牲者遺族に寄付すると、イスタンブールに渡り、歓迎を受け、当時の皇帝アブデュルハミト2世にも拝謁、日本文化や日本語をトルコ人に教えるという活動を始めます。

やがて大阪商人・中村健次郎の協力のもと日本製品を販売する商売をイスタンブールで開始。トルコ公認の日本人との交流拠点となり、実質的に領事館のような役割を果たしたといわれます。日露戦争のときには、日本のためにボスポラス海峡におけるロシア艦隊の動きを偵察するという任務も果たした山田でした。彼が贈呈した中村家伝来の刀剣、甲冑がトプカプ宮殿博物館に所蔵されているというのも一つの話題でした。

新しい、明治人を知りました。調べる山田寅次郎は、山田宗有(そうゆう)という名で紹介されています。茶道家としての名前です。トルコでの活動の果て、正式にムスリム(イスラム教徒)になったかどうかはわからないながら日本人ムスリムの草分けとされ、その伝記では、「明治の快男児」と呼ばれています(山田邦紀、坂本俊夫著『明治の快男児 トルコへ跳ぶ:山田寅次郎伝』現代書館 2009年を参照)。実業家でもあり茶道家でもありつつ、という注目すべき人物です。

エルトゥールル号遭難事件、それに続く日本人青年の活躍によって友好の道が切り拓かれたことが特記されているという点、共感を呼びます。またこの友好の継続の象徴として、1985年、イラン・イラク戦争のとき、テヘランからの日本人脱出のためにトルコが協力したことも、1890年の出来事の記憶と関連づけられ、友好関係の象徴的出来事として、上述の映画の場面紹介も含めて物語られました。

 

もう一つ、トルコと日本の交流の歴史に不可分なこととして、日本におけるイスラム教の伝来という流れも番組で特記されます。それはロシア革命後、タタール系イスラム教徒が革命ロシアを逃れて、中国東北部そして日本へと流れてきた1919年以降の足跡から生まれます。明治の庶民や青年たちが体現した、東京、横浜、大阪、神戸、熊本にイスラム教徒が定住を始め、神学校や印刷所、そしてモスクの建設が1930年代に進み、1936年には神戸にモスク、1938年に東京にもモスク(東京ジャーミー)が建てられます。日本でのイマームの事績がその関連でその子孫の話も交えて紹介されています。

トルコと日本の交流の歴史の中で、日本におけるイスラム教の歴史がかなり詳しく紹介されるのには意外でもあり、唐突な感じもしましたが、事柄としては、日本におけるキリスト教宣教の歴史との比較の見地から、興味深いものがありました。ただ、今のトルコのイスラム回帰の流れの反映するストーリーとなっているのかもしれない、と、他の二つのドキュメンタリーを見たあと、強く感じられてきています。

 

このほか新潟柏崎にトルコ文化村が1996年に開設され、交流に役立ったが、日本の経済情勢のためなどから2004年に閉園されたことも、かなり克明にレポートされます。最近では、友好130年を迎えるに向けて2019年が日本における「トルコ年」としてさまざまなイベントが行われ、そのなかで「トプカプ宮殿の至宝展」が東京と京都で開催され、多くの人を集めたことなど、政府制作らしいオフィシャルな友好への期待をもって内容は締めくくられます。

このような友好関係への期待は国民レベル、市民レベルにおいて真実の期待と行動として展開されるべきものでしょう。日本に在住するトルコ人をはじめ諸外国人への寛容と人道的配慮を身に着けるべきだということを、130年の友好の始まりの歴史は教えてくれていると感じます。欧米列強に対する選択で違った道を歩んできたユーラシア大陸の西の端と東の端にある両国が、今、多極化する世界にあって、それぞれにまた互いにかかわりながら、どう生きていくことになるのか、どう生きていけばよいのか、そのような問いを受け取らせてもらったドキュメンタリー視聴となりました。

 


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