特集56 わたしの心に残る旅


憬れは時空を超えて

今回の特集の動機は、いま、とても身近なところから出ています。新型コロナウイルスの感染防止のため、不要不急の外出や移動の自粛が呼びかけられ、もちろん、旅行も制限されているなか、かえって、心の中に回帰する、さまざまな旅の思い出を分かち合ってみましょうというものです。

難しくなっているからこそ、貴重なものとして輝いてくる思い出の数々。だれの心にもあるでしょう。たくさんありすぎて絞れない!という声もあったほど。でも、このテーマで呼びかけてみると、早速に、さまざまな寄稿をいただきました。そのなかには、心の中に漂いつつも、文章にしたことがなかったというものもあるでしょう。なんども心の中で反芻しつつも、人に話したことのなかった感動が掘り起こされたというものもあるはず。また、文章にしてみることで、あらためて、自分と旅先での見聞の間にあった、深い関連に気づかされたという方もいるでしょう。こんな分かち合いを続けられる、「陽だまりの丘」でありたいと思っています。

文章にしてみることで、私たちの中で「旅」という概念も深まります。日常と異なる空間と歴史世界に赴くことで、自分の日常へのまなざしも変わります。生活そのものが「旅」だという視点にまで。筆者が体験した丸4年間の海外留学生活は、それ自体、海外での日常生活であったものですが、いま、30年後からそれを振り返ると、全体が「旅」であったとつくづく思わされます。そうして、いつもの生活自体も慌ただしい旅なのだと……。

「地上を旅する神の民」とは、1960年代からカトリック教会の中でとみに語られるようになった教会の自己イメージ。この「旅する」は、「外国人としている、寄留者としている」というニュアンスをもっています。「わたしたちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)という使徒の教え、そして、新約聖書全体の精神がここには響いています。私たちは、異国者として、いま、ここにいる、心の望み、あこがれは、天に向かっており、そこに本拠があるというメッセージです。それは、きっと、人間すべてに共通なことなのではないでしょうか。人の心は現実世界の枠組みを超えて大きく伸びている。そんなありよう自体が、人を旅へと促し、その日常をも「旅」と化させていくのでしょう。

旅先での一コマがもつ「その地、そこの歴史、そこの人々」との出会いも、“巣籠もり”生活の中で新たに気付く日常のひとコマも、時空を超える旅の一里塚ではないかと思います。そのような、人々の心の中の“一里塚”と、それぞれの「旅」への思いを知り合っていく愉楽をここで味わえればと思います。

また、どなたでも、随時、そのような旅の思い出、旅への想いをぜひ、お寄せください。

 

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