「旅」に想う


尾越雅子(上智大学神学部研究科博士前期課程)

不要不急の外出と移動が制限されるようになって早くも1年半が経とうとしている。国内の移動も躊躇われ、海外渡航に至っては再開の目処も立たない中、パスポートをパラパラとめくった。最後のスタンプの日付は、ローマから成田空港に到着した2016年1月1日。飛行機から見た美しい初日の出の鮮やかな記憶が、旅の虫を刺激する。「コロナ収束後にやりたいこと」というアンケートに対する回答も、「旅行」が80%以上で断然1位だったという記事を読んだが、人はどうして旅をしたくなるのだろう。

アッシジの風景(写真提供:筆者。以下同)

そんなことを考えていると、「旅」と「旅行」という2つの語は、異なるイメージを持っていることに気づく。広辞苑には、「旅」は「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと。旅行。古くは必ずしも遠い土地に行くことに限らず、住居を離れることを全て『たび』と言った。」、一方「旅行」は、「徒歩または交通機関によって、おもに観光・慰安などの目的で、他の地方に行くこと。旅をすること。たび。」とある。

初めての海外は、イギリスとフランスへのツアーだった。移動の車が用意され、レストランを探す手間もなく、ガイドの方に誘導してもらう。限られた時間で多くの観光地を巡るには、ツアーは最も安全で無駄がない。でも、ツアーに参加したのは、国内・海外共にこれが最初で最後になった。2度目の海外は、念願のイタリア(ローマとヴェネチア)に決めた。突然思い立ってのことだったので、事前に決めたのは滞在地とホテルだけ。現在のように携帯電話も持っていないし、インターネットで検索して、溢れるほどの情報や画像を手に入れられるわけでもない。主だった観光地を巡るにも、頼るのは現地で手に入れたバスや電車の時刻表と現地の人たちの優しさだけという、振り返ると無謀な旅だったが、好きな時に食べたいものを食べ、路地裏で現地の人々の生活の息遣いに触れ、ガイドブックでは見ることのできない、早朝の、雑然として決して美しいとは言えない街の風景にさえも新鮮な驚きと感動を感じたことを今でも忘れられない。この感覚こそが、初めに提示した「どうして人は旅をしたくなるのか」という問いへの一つの答えなのではないかと思う。そして、ツアーで行ったイギリスとフランスへの「旅行」に対し、2回目をイタリアへの「旅」と表現すると、この2つの語のニュアンスの違いがはっきりするかもしれない。

「旅行」も「旅」も脱日常を動機とするが、目的地での観光や癒しを求める「旅行」に対し、「旅」は移動の過程での予想もつかない出来事も含めた体験を包括するように思う。予想もつかない出来事とは、良いことばかりではない。3度目の海外もイタリアへの「旅」だった。ローマに到着したのは、2008年のクリスマス・イブ。旅の初日に訪れたサンタ・マリア・イン・コスメディン教会は、「真実の口」で有名なバシリカ式の教会である。聖堂の見学を終えて外に出ると、しっかりと閉めたはずのショルダーバッグのファスナーが10cmほど開いている。焦って中を確認すると、案の定財布だけが無い。動転しながら国際電話でクレジットカードの停止手続きだけはしたものの、あとはホテルに戻るのがやっと。幸い家族が一緒だったので、その後のお金に困ることはなかったが、クリスマス・イブに、教会でスリにあったことと、自分の不注意が悲しかった。次の日もショックから立ち直れない私は、夫と子供たちから背中を押されながらトボトボと歩いていたのだが、遠方にサン・ピエトロ広場を視界に捉えるや否や別人のように小走りで歩き出したのは、今でも笑い話になっている。前日の事件ですっかり忘れていたが、折しもその日はクリスマス。単なる知識不足、情報収集不足だったとはいえ、前教皇ベネディクト16世が中央バルコニーに出てこられると聞き、夢のような偶然に感激しながら何時間待っただろう。到着した時はまだ人影まばらだった広場は、やがて世界各地からの数千人の信者で埋め尽くされて熱気に包まれた。人生で一番感激したクリスマスである。帰国後も様々な出会いに導かれ、翌年洗礼を受けた私は、その時のベネディクト16世のメッセージが、 “Urbi et Orbi”(「ローマと全世界へ」)という公式の教皇祝福だったいうことを初めて知った。

2015年の年末に予定していたフランスへの旅を、同年11月に起こったパリ同時多発テロ事件の不安から、別の国に変更することにした。時期的なこともあり、手配できたのがローマの往復便のみだったことは、驚きでもあり、また、不思議な喜びでもあった。信者になって初めてのイタリアへの旅のメインは、アッシジ巡礼に決めた。至るところで教会の鐘が響き、中世の美しい石造りの街並みがそのまま残るアッシジ中を、目的地を決めずにひたすら歩いた。五感が研ぎ澄まされ、自分の内面が新しくされていく不思議な感覚に包まれていた。古い酒が新しい(これまでとは違う)革袋に入れられて化学変化を起こしたに違いないと思っている。

このような経験から、プロセスやハプニングも含めた「旅」そのものを楽しむために、綿密に計画を立て過ぎない方が自分には向いていると思う。あらすじを読まないで映画を観た方が、先入観なしで楽しめるのと同じかもしれない。ただし、命とスリの危険を回避するために必要な情報の入手と準備は必要だが。

とは言っても、心と身体を存分に癒し、リフレッシュしてくれる、温泉や美味しい食事が目的の「旅行」も大好きである。そして、「旅」と「旅行」がどんなに楽しくて刺激的であったとしても、我が家の玄関を開けた時に感じる安堵感に、帰る場所があることの幸せにもまた気づかされるのだ。

 


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