サン・ジャン・ピエ・ド・ポールへの旅……ソーヴール・カンドウ神父の故郷


井筒 健(カトリック関町教会信徒)

1983年10月から1989年1月まで足かけ6年間、北アフリカのチュニス(旧カルタゴ=ローマと覇権を争ったフェニキア人のカルタゴ帝国の首都)に家族と一緒に駐在した。小学生だった息子と娘の学校休みを利用してヨーロッパに年2~3回家族旅行をした。

折角の機会なので単なる観光旅行でなく、テーマを決めてスケジュールをつくることにした。例えば映画『第3の男』に出てくるウイーンのプラター遊園地、コペンハーゲンのバッケン遊園地や郊外のレゴランドを訪問する遊園地巡りや、最後の夏休みには、小学校高学年になった息子に対する教育的配慮から、ナチスドイツが設けたユダヤ人強制収容所(ミュンヘンの近くのダハウ収容所やポーランドのクラクフにあるアウシュビッツ・ビルケナウ収容所)を訪問し、ベルリンの壁を見た後、最後にアムステルダムのアンネ・フランクの家を見学した。子供達のためと言うより、これら人類の負の遺産を目の当たりにして自分自身にとっても考えさせられた旅行であった。

私は昭和天皇の大喪の儀が執り行われた翌日チュニジアより帰国したが、その後も年に1度は夫婦で海外旅行を楽しんできた。その中で一番心に残った旅行は2018年6月の二度目のバスク訪問で、念願のカンドウ神父の故郷であるサン・ジャン・ピエ・ド・ポールを訪問できたからである。

その2年前の2月にバスクを訪れた時は雪のため近づけず、ビアリッツからピカソの絵画「ゲルニカ」で有名な、無差別爆撃を受けたゲルニカの街を散策し、パンプロア経由リオハワインで有名なログローニュでワイナリーも訪問、バイヨーヌ、ビアリッツ、美食の街サン・セバスチャンを巡る観光コースを楽しんで終わった。

帰国後、バスクに関する参考文献を調べたところ、司馬遼太郎がその著書『街道をゆく22 南蛮のみち I』(朝日新聞出版、1983年10月、文庫本 第1刷)に、私が知りたかったバスクとカンドウ神父のことを書いていた。又、週刊朝日ビジュアルシリーズNo.57、週刊「街道をゆく 南蛮のみち1(フランス・スペイン)」には、1982年9月27日~10月16日に司馬遼太郎が取材でバスクを訪れた時の「街道」アルバムを元に、さらに、2006年3月5日号の週刊誌に写真付きで説明されていることが分かった。

巡礼宿の印(帆立貝の貝殻)

その中に、昭和初期にカンドウ神父が28歳で初代校長を務めた東京公教神学校の前で撮影された、カンドウ神父を中心とする東京教区の聖職者と信徒たちの写真が載っており、結婚前の義父と義母も写っていた。音楽学者・キリスト教学者であった義父(*注)は、1934年、26歳の時にカンドウ神父より受洗した。又、カンドウ神父の臨終の際は当時6歳だった妻も義母に連れられて病院にお別れに行ったとのこと。私はカンドウ神父のことは何も知らなかったが、結婚前に妻の自宅へ行った時、ピアノの上にベレー帽をかぶった、黒髭の神父の写真が飾ってあったのを覚えている。それがカンドウ神父との出会いだった。

バスクの星と言われ、日本のキリスト教徒・知識人に大きな影響を与えたソーヴール・アントワーヌ・カンドウ(Sauveur Antoine Candau, 1897年5月29日~1955年9月28日)は、パリ外国宣教会所属のカトリック司祭。11人兄弟姉妹の7番目の子供として生まれた。

26歳で司祭叙階。1925年来日。半年間で日本語習得。7ヶ月後には日本語で1時間話したという。著書、新聞連載、講演、ラジオ講話などを通じてカトリック教会の内外に声を届けた。バスク人としてのアイデンティティーを保ち、日本を第二の祖国として愛した。

カンドウ神父の故郷はフランス・バスクのピレネー山脈山間部のニヴ川沿いの宿場町で、スペイン、ガリシア地方の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の起点になっており、1926年からフランスの一番美しい村に加盟している。カンドウ神父の家はニヴ川を渡り、村をとり囲む城壁の門を入ったところの広場に面した婦人服のお店で、もうカンドウ家の人は住んでいない。

カンドウ家の隣の家の壁に石のプレートが貼ってあり、そこには、「この家は聖フランシスコ・ザビエルの父方の先祖の家である」とある。カンドウ神父は聖フランシスコ・ザビエルの先祖の家の隣が自分の家だったとはどこにも記していない様だが、このプレートはカンドウ神父の子供の頃には設置してあり、カンドウ神父も斜め前の教会の鳴らすアンジェラスの鐘と同じく慣れ親しんでいたはずだ。また、カンドウ神父の父は息子がパリ・ミッションに入り、日本に宣教に行くことを知らされた時、「仕方が無いじゃないか。聖フランシスコ・ザビエルが黴菌を残して行ったのだから」と家族や町の人に言ったとのこと。

聖フランシスコ・ザビエルの父方の先祖の家のプレート

1549年に初めて日本にキリスト教を伝えた日本の宣教の保護の聖人、聖フランシスコ・ザビエル、その聖遺骨の一部がカトリック関町教会にある。一方、カンドウ神父は教会所属の司祭は経験していないが、関町地区の信徒達は現在の御聖堂が出来るまで(1957年)は神学校の御聖堂でごミサに与っていたとのこと……バスク出身の二人の時空を超えた交わりを感じると共に、個人的にも妻を介してカンドウ神父と妻の両親の交流を知ることができ、いろいろと考えさせられた、心に残るサン・ジャン・ピエ・ド・ポールへの旅であった。

※編集部注:ここの「音楽学者・キリスト教学者であった義父」とは、野村良雄(生没年1908~1994)である。上智大学、慶応義塾大学、東京藝術大学の教授、東邦音楽大学学長(1984~1993)を務めた。『精神史としての音楽史』(音楽之友社 1956)、『世界宗教音楽史』(春秋社 1967)などの著書がある。

 


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