ご復活おめでとうございます! ……この季節、教会ではこのような挨拶が交わされます。シーズン慣用句といわれればそうなのですが、このことばのうちに、最もキリスト教らしい信仰表明が含まれています。
わたしたちの主イエス・キリストは、「十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に復活し」――これが使徒以来の福音宣教の根源的なメッセージです。
死んでいた人が息を吹き返し、蘇生した……というのは違う「復活」とは何か。このサイトに来られる多くの方は、キリスト教のいちばんわかりくいところと感じているのではないでしょうか。信者で教会の一員であるという人にとっても、復活は、信じている事柄だけれど、人に伝えるとなると、とても難しい、というのが正直なところではないでしょうか。
キリスト教のいちばん深い真理である「復活」を、一般の人々、しかもぐっと若い人たちに伝えるという難題に、日夜取り組んでいるのがキリスト教系学校で宗教の授業を担当している教員の方々です。そこは、いわば宣教の最前線。その先生方に、率直に「復活をどのように伝えていますか?」と尋ねてみました。
若い感性を前にして、どのように考え、苦心し、工夫しているか……予想を超えるほど多くの寄稿をいただきました。共通なところもあれば、それぞれにとてもユニークな取り組みもあります。これほどまでたくさんの宗教科教員の声が集まったのは、本誌では初めてのこと。注目を呼ぶものとなるでしょう。
キリスト教を内から見ている人にとっても、外から眺めている人にとっても、それらの取り組みや苦労のうちに、新たに福音を見いだすヒントが散りばめられています。一人ひとりの個性を楽しみに、ぜひ、読み進めていってください。
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カトリック『を』教えるのではなく、カトリック『で』教える~客観的に捉え、主観的に考えさせる~
「みえないものをみえるように」~目に見えないけれど、存在するものって何だろう~