宗教の授業を通して学ぶご復活の恵み


鈴木和枝(カトリック横浜教区)

カトリックの信仰において主のご復活は最も大切な根っこの部分です。だからこそ教えるのはとても難しいと思います。ご復活のことを書く前に、授業の全体像を書いておきたいと思います。

 

高校1年生の宗教の授業

私の勤務している学校は中高6年間のカトリック女子ミッションスクールです。6年間の宗教の授業のカリキュラムがあり、中学校では主に福音書を中心にイエスの生き方を知り、イエスの生き方にならうことについて考えます。高校では聖書の背景や成立を学びながらイエスがどのような時代にどのように生きていたのか、イエスが訴えたかった愛とはどのようなものだったのか深めていきます。そしてキリスト教を学ぶ学校の生徒としていかに生きていくべきかを学んでいきます。

宗教を教えるようになって4年目、ずっと高校1年生を担当しています。高校1年の宗教の授業では、キリスト教の価値観に基づく共同体作りを目指し、地球共同体に関わる一員として世界のために祈ることが目標とされています。聖書の学び、世界に対しての私たちのあり方、またカトリックの典礼暦を季節ごとに取り上げています。

年度初めの4月の宗教の授業。私の教えている高校1年生は、中高一貫校でも高校1年生から入学してくる生徒たちがいます。新入生の多くは公立の中学から入ってきますので、その生徒たちに向けて、中学から在籍している生徒たちが中学3年間で学んだ宗教の授業のエッセンスを伝えるというのを行うようにしました。生徒たちはプレゼンテーションや寸劇を披露して、新約聖書のたとえ話や学校に関係する聖女、宗教行事を紹介します。ある程度大きな枠でグループにテーマを与えて、自由に発表させていますが、復活を主なテーマにして語るグループはまだ見たことがありません。生徒にとって「復活」は難しいのだと思います。5月以降は皆の足並みが揃ったということで、聖書や教皇フランシスコのメッセージなどを通して現代世界とどのように福音的に関わっていくのかを学び、宗教の授業が進んでいきます。

 

待降節とクリスマス、そして四旬節へ

勤務校では待降節とクリスマスについては宗教の授業だけではなく、全校を挙げて日々の生活から主のご降誕を待つ意識を深めていきます。待降節は「プラクティス」といって各クラスで目標を立て、毎日それを達成すべく努力していきます。静かな心で主を待つということがその目標の根幹にあり、プラクティスの成果をクリスマスの行事の中でお献げします。

※クリックで拡大します。

クリスマスが終わると四旬節はあっという間にやってきますが、祈り・断食・慈善を心に留めて過ごす四旬節に残念ながら「プラクティス」はしていません。私は自分の宗教の授業でもっと生徒たちが四旬節の意義を深く捉えて復活祭を迎えられればよいのではと思い、「四旬節カレンダー」を作ることにしました。教皇様の回勅を読んで毎日一文ずつ意識することができるようにするものです。

2022年の四旬節に向けては『ラウダート・シ』、2023年の四旬節に向けては『兄弟の皆さん』の読書会をして、1学年は約80人、四旬節は40日なので、2人で1日分のメッセージを作るのです。回勅は高校生にとっては難しいのですが、日頃の生活における自分たちの改めたいことや未来に向けてしていきたいことなどを章ごとに分かち合います。できたカレンダーは学校のHPを通して(まだ日本語版を作るまでなのですが)世界中にシェアをしています。

 

復活の意味を一人の女性から

最近の私のフェミニスト神学への興味もあり、聖書をテーマにする授業では、できるかぎり女性に焦点を当てます。イエスの時代のユダヤ社会では、女性の立場が今以上に低かったと思われますが、イエスはだからこそ救いを求める女性たちに手を差し伸べていることを取り上げます。四旬節カレンダーの完成後から復活祭までの間は、短い期間ですので充分とは言えませんが、マグダラのマリアに注目します。

ご存じの通り、マグダラのマリアはイエスに罪を赦され、十字架上で亡くなった主の墓に他の弟子達よりもいち早く訪ね、そこでご遺体がなくなっていることを見つけ、心底悲しく泣きます。ところが復活した主に呼びかけられ、その後、主の愛を伝えていく人になっていきます。使徒と呼ばれるようになる男性の弟子たちは使徒言行録にその足跡が残されていくにもかかわらず、マグダラのマリアのことは福音書のご復活の記述以降、正典には出てきません。しかし生徒たちにはそのマグダラのマリアの存在から復活の意義について伝えたいと思っています。

ご復活の意味は信者であっても人によって捉え方が一通りではないと思いますが、ギリシャ語では「神様によって起き上がらされる」という意味の言葉だときいたことがあります。復活した主に出会ったマグダラのマリアこそ、神様によって起き上がらされ、愛を伝えていく人になったと私は思います。先程書いたように女性が生きにくかった社会にもかかわらず、復活した主に出会ったことによって生き抜いたことに意味があると信じて教えています。

人生誰にもさまざまなどん底・闇がありながらも、そこから神様が起き上がらせてくださること、起き上がることによっていただく命を人のために使って生きていく、それこそが「復活」だと思うのです。勉強しているときには難しい「復活」だと思いますが、生徒たちにはその「復活」という信仰のあるミッションスクールでキリスト教を学ぶことに大きな恵みがあることを、大人になってからでも分かってもらえればと思っています。

 


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