復活をどう教えるか~嬉しいことがないとやってられない!~


東浦翔(仁川学院小学校 宗教科教員)

イエス様の奇跡の物語で一番大きな出来事でありながら、理解することが難しい、それが「復活」のお話です。復活を分かりやすく説明し、納得してもらうことは非常に難しいですが、まずは子どもたちにその話をする時は一通り歴史的証拠を伝えることが多いです。

一つ目は「500人以上の復活した証言があり、ローマによって閉じられた墓は空っぽだった」という話です。イエス様は弟子たち以外の人びとにも出会ったと証言が残っており、ローマが責任をもって閉じた墓が開いていることをローマが認めていることで、イエス様が当時復活されたことは史実として残っています。

二つ目に、弟子たちは、「イエスは復活した!」と声高らかに発言した点です。当時ローマ帝国自体が神のような存在で、圧倒的な影響力を持ち民衆の命すら手の内でした。誰も嘘で死にたくありません。ですが、そんなローマを恐れずに公言するということは、イエス様の復活が民衆の背中を強く押していたことが分かります。

三つ目は弟子たちの前に現れ、ともに過ごしたことの記録です。二つ目と似ているところもありますが、ローマが目を光らせている最中、イエス様と共に過ごす弟子たちや民衆は、記録を残せばたちまちローマに捕まるでしょう。しかし、決して恐れないところを見ると、イエス様と出会った喜びがいかに大きく力強かったかが伺えます。

フラ・アンジェリコ『キリストの復活』(1440~42年、サン・マルコ修道院所蔵)

これらの史実から弟子たちはイエス様に出会い、沈んでいた気持ちが一気に晴れイエス様と語らいました。イエス様の復活には、人々をたちまち元気にしてしまうパワーがあるのです。例えば、学校だと思って気持ち沈み元気がない時、大雨などで休校になったりすると、今まで元気がなく寝ぼけたような顔つきが一気に変わり、目が冴え、憂鬱だった気持ちはどこかへ飛んで行った経験がないでしょうか。もちろん、復活したイエス様に出会った弟子たちの喜びはこんなものではないでしょうが、一気に元気になるところは少し似ているかもしれません。

子どもたちは、イエス様の話は紙芝居やたとえ話でよく知っています。しかし、どうしても「復活」のお話は他の奇跡の物語より薄れてしまいがちです。復活祭が行われる時期は、大体年度末、慌ただしい新年度を迎える時期と重なることが多く、落ち着いて話ができません。ですが、四旬節あたりから復活のお話をする中で『イエス様は復活したんだよ!』と授業では取り扱います。

学年によって、スゲー!イエス様と言ったり、そんなの嘘ばっかり!と言ったり反応はさまざまです。復活は国語や算数のように「理解」するのではなく「信仰」によるものが大きく、私はそれぞれの反応でいいと思いますが、神様に心が向くようにさまざまな種(福音)を蒔き続けることが大切です。復活されたイエス様から元気をもらい、辛いことが多い世の中であってもきっと嬉しいことはやってくると信じて、子どもたちと共に福音に触れ、復活の喜びをこれからも味わいたいものです。

 


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