縄文時代の愛と魂~私たちの祖先はどのように生き抜いたか~8.災害の中でも命を紡ぐ


森裕行(縄文小説家)

災害は私たちの心配事であるが、縄文時代の祖先たちは一万年以上の歴史の中で様々な災害に出会い生き延びてきた。その経験や意味を振り返ってみよう。

8.災害の中でも命を紡ぐ

山梨県南アルプス市ふるさと文化伝承館で「ラヴィちゃん」の愛称で親しまれている円錐形土偶や「ピースちゃん」こと人体文様付有孔鍔付土器を初めて見学したのはもう3年前になる。その時、殆ど完形で出土した理由をご説明してくださったのだが、出土した鋳物師屋遺跡が山麓の扇状地にあり土石流の災害にあい、それが遺物をパックした形になり保存状態が非常に良かったとのことであった。そして、遺跡の近くに行かれたら、と勧められたので、その足で行って撮った写真が巻頭の写真である。

国指定重要文化財 円錐形土偶 筆者撮影

国指定重要文化財 人体文様付有孔鍔付土器 筆者撮影

春の快晴の日で富士山と桜が綺麗であった。日本の美しい自然。そして動植物や資源も豊かだったりするが、いったん集中豪雨や噴火、地震となればその恐ろしさは計り知れない。それが今も縄文時代も変わらない日本列島の特徴なのだろう。

 私も東日本大震災ごろから集中豪雨や地震、コロナ禍と今までに経験したことのない災害に襲われ、これからも油断はできそうにない。そして、被害にあった方々のお話をお聴きしたりすると、私たちの命の危うさを以前に増して感じる。しかし、この危うさの中で今生きていることを想うと、今生きている不思議さと祖先との妙なつながりを意識してしまう。

 祖先。地球に生命が誕生したのは40億年前、そして最後の30万年前に現世人類がアフリカに誕生するが、6万年前ごろにおそらく環境の悪化でアフリカを出立した祖先が、日本列島に3万年8千年頃に到着。その後、遊動生活を経て1万5000年前ごろに縄文時代がはじまり定住化が進み、現在に至る。現世人類はホモサピエンスであるが、ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子も若干ではあるが混じっていると言われている。そして現在の日本列島人の遺伝子プールの10%程度の遺伝子を縄文時代由来の祖先から引き継いでいる。ただ、10%とか統計的な話になると私もそうだが祖先からの命の紡ぎといった、実は大事な実感しなければならないことを忘れてしまう。

2023年 筆者作成

 

この図を見てお分かりのとおり、私たちの命は気が遠くなるような沢山の祖先の命のバトンタッチの末に奇跡的に頂いたものである。因みに世代ごとに祖先の数は2倍となるので33世代前になると約85億人以上の祖父母となり、今の世界人口を越えるのである。そして、そのうちの一人(縄文人でもデニソワ人)でもかければ自分は誕生することができなかったはずなので、ここに私が存在することの神秘と縄文時代の祖先を含めた見えない祖先の繋がりを実感しやすい。そして、歴史や文化は自分の生育史の延長という重みを自覚するようになる。

 身近な両親や祖父母から災害などの話を聴き、命を紡ぐ不思議さを感じたりできるが、縄文時代の祖先たちが出会った凄まじい災害は考古資料等しかない。縄文時代は戦争がなかったと言われるが自然災害や環境はどうだろうか。最近著しく進展した年縞の研究がある。湖の湖底に堆積する沈殿物をボーリングすると年縞という見た目はバーコード状の土の年輪のようなサンプルが得られる。若狭湾の水月湖がこの年縞で有名で世界の標準になっていることは意外に知られていない。私は縄文時代の環境や災害にも興味があり、2019年に福井県年縞博物館に訪れた。

 

2019年福井県年縞博物館にて 筆者撮影

 

バーコード状の土の層を細かく分析するとその時代の自然環境(どのような植物、どのような気候……)が分かる。さらに、火山灰から火山噴火も分かる。福井県の若狭湾なので風向きの影響もあり東日本の火山の情報は取りにくいようだが、九州などの巨大噴火は極めてはっきりと残っている。

 その中には、7300年前の南九州の喜界アカホコの火山灰が残っている。縄文早期には九州で高度の縄文文化があったのだが、この鹿児島県の薩摩硫黄島周辺の喜界カルデラの噴火で南九州は壊滅したと言われる。この火山爆発の規模は最近話題の火山爆発指数(VEI)で7といわれ1707年の富士山の宝永噴火VEIと言われるので火山噴出物からするとその100倍くらいの規模(インデックスが一つ上がると10倍)だった。

VEIごとのテフラ(火山噴出物)量を球の大きさで表したもの

そのような地球の気象が変わるような壊滅的な災害も経験した縄文人だが、その後の九州などの陸上では1000年以上つづく影響(火山灰のため植物が育ちにくくなるなど)を乗り越えて生き抜いてきた。宝永火山の時の祖先の苦労は歴史資料に詳しいが、縄文の生き残った祖先の苦労はどうだったのであろうか。

 

2019年福井県年縞博物館にて 筆者撮影

次は4500年くらい前の富士吉田市の上中丸遺跡であるが、曾利Ⅳ期の富士山の噴火の影響で、当時の貴重品の黒曜石や美しい磨製石器を注口土器の中にいれて埋葬したものがある。宗教的意味があったのだろうか、あるいは被災し住居を後にするため一時的に埋め後日使おうと思ったのだろうか、縄文人の心のうちは不安と祈りでいっぱいだったのだろう。

2023年「開館40周年記念特別展」山梨県立考古博物館にて 筆者撮影

さて、今も縄文時代もそうだと思うが、災害の中であっても健全に生き抜くためには3つの自問自答が大切だと言われる。これは、比較宗教学や比較文化論をベースにした臨床心理学に出てくるものだ。
何のために生きているのか?

②生き甲斐は何か?

③自分の身体、生育史、魂を大事にしているか?

補足してみよう。①はアイデンティティの問題である。どちらかというと哲学や宗教の領域である。縄文時代であれば今回の円錐形土偶や前回の子抱き土偶のようなハイヌウェレ神話等で理解すると分かりやすい祭儀用遺物がそれにあたる。もちろん生きるための食物や子孫繁栄といった要素もあり②や③とも関係が深いと思う。

3.11の被災地で宗教家の活動が注目を浴びたことは記憶に新しい。また、混迷を深める現代でも、この根源的問いかけは重要で、厳しい状況を精神的にのりこえるときに役立つ問いかけであると思う。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

14 + twelve =