特集77 遠藤周作生誕100年


時をおき、歴史の中に見つめていく

関東大震災から100年という2023年は、遠藤周作という作家・文学者の生誕100年にあたります。AMORではすでにさまざまなところでこの人物とその作品について触れていますが、1923年3月27日に生まれて100年というこの月、あらためてテーマに掲げ、心を向けていきたいと思います。

73歳半の“若さ”(今日的には)で亡くなったその生涯から残された作品数の多さ、活躍の形式と場の多面性(小説、歴史小説、エッセイ、劇)のゆえに、どの面から知るか、どの作品と出会うかで、多様で多彩な顔を見せる遠藤周作という存在。「文豪」に値する人と思うところですが、“カトリックと日本人”という問題意識にかかわる部分を根底に多彩な側面と関連づけて全業績を捉え、評価するということは、途方もないことのようにも感じられます。専門的研究や論評の流れとは別に、彼との出会い、作品からの影響を言語化することから、生きた証言を積み重ねていくという意味で、「遠藤周作と私」をめぐるそれぞれの寄稿は、大切なものとなっていくでしょう。

そして、AMORの大きな関心事の一つである日本キリスト教史へのまなざしの中で、遠藤周作の生涯を位置づけていく作業も進めます。ひとまず年表編纂として、加えて、カトリック・ジャーナリズムにおける彼の非常に大きな活動分野であった『あけぼの』誌上での対談業績も一覧します。新しい世代が、遠藤周作という人と作品を知っていく一つのきっかけにもなれたらと考え、期待するものです。雲のような存在の彼方に、日本人の精神史とキリスト教の霊性の未来が、おぼろげにでも見えてくることを待ち望みたい、そんな探究はこれからも続けていきたいと思います。

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「幼い頃の遠藤周作との思い出」より

幼い頃の遠藤周作との思い出

遠藤周作とぼくの、魂の“深い河”

善人たち

忘れられない遠藤先生の最後の姿

対談の宝庫 『あけぼの』遠藤周作対談集が示すもの

アンビバレントな二律背反(上)――遠藤周作と長崎的カトリックの相性の悪さについて

アンビバレントな二律背反(下)――遠藤周作と長崎的カトリックの相性の悪さについて

遠藤周作の生涯とその頃のカトリック教会の動き(PDFが開きます)

『イエスの生涯』(再掲)

 


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