遠藤周作とぼくの、魂の“深い河”


鵜飼清(評論家)

ぼくが遠藤周作さんを特に意識し始めたのは、岳父の上総英郎(文芸評論家)に拠るところが大きい。上総本人から遠藤周作についての話を聞いたりしたことはあまりないのだが、遠藤作品の評論などを読むうちに遠藤周作に関心を持つようになっていた。遠藤さんが亡くなったときに、ある雑誌(名称を失念)に「エンド・レス・えんどう」というタイトルで寄稿した文章がある。

作家の遠藤周作さんが、亡くなられた。10月2日、上智のイグナチオ教会で葬儀ミサが行われた。ぼくは関係者のなかに混じって参列することができた。午後1時からだったので30分前に行ったのだけれど、結局立ってミサにあずかることになった。それだけ多くの人達が遠藤さんの死を悼んだのだった。

『深い河(ディープ・リバー)』という小説に出てくる大津という人物に、すっかり自分を投影してしまっていたぼくは、祭壇に掲げられた遠藤さんの、ちょっとはにかんだように笑った遺影に向かって、『ぼくはまだクリスチャンではないから、大津よりも迷っています。すみません』と語りかけた。隣に新しい教会を建てるために工事の音が響いていた。ミサをする井上洋治神父の声が時折聞こえなくなる。それは、妻のがんを医者から宣告されたときの描写にも似ていた。愕然とする磯辺という壮年の男の耳には、外からやき芋屋の売り声が聞こえている。いま苦悩に立たされている自分、しかし一歩外では普段のなんら変わらない日常がある。

母親から幼いときに着せられたキリスト教という洋服を、生涯かけて日本人である自分の寸法に仕立てていった。それが遠藤文学の大きな骨格だという。西洋と東洋、日常と非日常。こうした二元的なことだけでは捉えきれないことではあろうが、いまぼくの最大の関心事がここにまつわりついている。ミサの途中〈聖体拝領〉があって、クリスチャンだけが神父の前に行ってキリストのパンを授かった。『クリスチャンのかただけ並んでください。そうでないかたはそのまま席に座っていてください』。ぼくはもちろん、立ったままだった。

遠藤さんはどう思っているだろうか。ほとんどの人達は神父の前には行かなかったのだ。いまここにキリストのそばにこんなに大勢の迷える人たちがいる。遠藤文学に救われ、また救いを求めている人達が。これはぼくの傲慢だろうか。母なる愛の同伴者としてのイエスは、どこに行ったのだ。外にはまだ大勢の人達が立ち並んでいるのだ。

一本ずつ花を持って、献花する。ようやく遠藤さんの身体の傍に来たとき、神父はすでに退場していてそこには一人もいなかった。『以来、玉ねぎは彼等の心のなかに生きつづけました。玉ねぎは死にました。でも弟子たちのなかに転生したのです』大津の言葉がよみがえって、またぼくを『深い河』へと誘っていくかのように思われた。

ぼくはこの数年後に受洗したから、いまは〈聖体拝領〉を授かっている。

* * *

『深い河』を改めて意識したのは、両親の死からだった。昨年(2022年)の1月におやじ(101歳)を、12月におふくろ(96歳)を亡くした。両親ともに大往生だったとはいえ、ぼくは大きな寂寥感に襲われた。それは、『深い河』の磯辺と同じように思う。磯辺は妻を亡くしているが、亡くなった愛すべき人を顧みるとき、ごく当たり前に過ごしていたごく平凡な日常の生活、やりとりに合ったことをつくづく思うのである。

「係員が来て、火葬が始まったことを告げた。やがて磯辺の眼の前で制服制帽を着た中年の男が竈(かまど)のスイッチを入れ、鉄橋を入る新幹線のような音がひびいた。何が起こり、何が行われているのか、この時も茫然としている磯辺にはわからなかった。『ただ今より、そのお箸で骨を拾って頂きます』と制服の男は無表情に告げ、大きな黒い箱を引き出した。」

(『深い河』より)

ぼくは、両親から大切に育てられたことに感謝し、毎朝お位牌に手を合わせている。両親の遺骨は、福島の日蓮法華宗のお寺に永代供養した。だが、ぼくとぼくの妻は、亡くなったあとで天国に行くだろう。そうしたら、両親と逢えるのだろうか。

* * *

遠藤さんは何度もの入院歴があり、手術体験もある。だからだろう、磯辺の妻・沼田・塚田(木口の戦友)が入院して、病院での描写が多く登場する。

ぼくも何度か入院し手術体験があるけれども、手術当日の朝早く見る病室の景色は何とも言えない感傷を抱かせる。ストレッチャーで手術室に運ばれていくとき、手術室の扉が開いて中に入るとき、麻酔が効いていてきて意識が遠のいていくとき、まさに死をも覚悟するものだ。

遠藤さんはそうしたことを若い時から体験してきていて、「死」と向き合ってきたにちがいない。

「私は、先祖はみな永遠の生命の中におられると思っていますので、先祖を拝むということは、永遠の生命の中に入ってしまった先祖に、
『私もやがてそちらに行きます。また会えるのですね』
と言っていることだと思うのです。先祖といったって、三代も四代も前の全然顔も知らないような人ではなくて、私の場合、母親であり、兄であるのです。お盆が来るとまた会えるという感情が湧き、写真の前に花や果物をお供えして手を合わせたりします。」

「人間はシュタイナーの言うように、若い時は肉体的な感覚で世界を識る、それを肉体の時代と言っておきましょう。中年になると肉体は衰え、心の時代、もしくは知性の時代といったらいいかもしれません。心や知性で世界をつかみます。老年になると、肉体も知性も衰えますが、知性のもっと奥にある魂によって、次なる世界から来る発信音を、肉体の時代よりも、知性の時代よりも聴くことができるのではないでしょうか」

(『死について考える』より)

と遠藤さんは書かれていて、加賀乙彦さんとの対談では「『深い河』はいわゆる心理よりは魂の動き方に重点を置いたつもりなんです」と語っている。また登場する人物に対して「全員の共通した主題と言うのは、『失われた愛を求めて』彷徨うということになるかな。人間の魂が探している愛です。そこでインド旅行というツアー旅行の形態を取らせることになったんです」と話される。

* * *

ぼくが『深い河』のページを開いてみたくなったのは、自分の年齢的なこともあった。遠藤さんが、いままでの作品の集大成のような小説という『深い河』を書いているときが70歳を間近にしているときであり、ぼくがいま71歳であり、老年の境地に入っているからである。

『深い河』を書いている過程が、『「深い河」創作日記』に残されている。それは1990年8月26日からの日記である。

「1992年2月17日 グリーンの『燃えつきた人間』を読み始める。いかにも壮年、50代の小説という作品だ。50代は迷いの多い年齢という意味でだ。ここにはグリーンの人生の、信仰の迷いが叩き込まれている。私の今度の小説だって同じだ。違うのは70歳近くになっても私の人生や信仰の迷いは、古い垢のようにとれない。その垢で私は小説を書いているようなものだ。」

「古い垢」という。それは、フランス留学から帰って来て、井上洋治神父と一緒に「日本におけるキリスト教」を追求しているなかでのものでもあったろう。

『沈黙』から切支丹への追究が深まり、キリスト教が日本に土着する姿を探し、それは聖書の精読へと進みながら、『死海のほとり』『イエスの生涯』『キリストの誕生』『イエスに邂(あ)った女たち』などが生み出される。

そして、遠藤周作の小説で注目しておかなければならないのは、歴史文学のジャンルであろう。日本人とキリスト教とは何であったのかをそれぞれの作品で問い続けている。『沈黙』はもちろん、『銃と十字架』『侍』『王国への道』そして、『鉄の首枷』『宿敵』『反逆』などがある。

こうした作品を残しつつ、『深い河』へと向かっている遠藤さんがいる。『創作日記』(1992年)7月30日には、

「何という作業だろう。小説を完成させることは、広大な、あまりにも広大な石だらけの土地を掘り、耕し、耕作地にする努力。主よ、私は疲れました。もう70歳に近いのです。70歳の身にはこんな小説はあまりにも辛い労働です。しかし完成させねばならぬ。マザー・テレサが私に書いてくれた。God bless you through your writing」

遠藤さんが後世の創作者たちに遺した悲痛な言葉でもある。

* * *

遠藤さんが選んだ小説の最後の場所となったインドに登場する女神チャームンダーは、ガンジス河と共にこの小説の大きな意味を持つものとなっている。

「彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のために、ただれているのがわかりますか。腹部も飢えでへこみ、しかもそこには蠍(さそり)が嚙みついているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているのです。」

(『深い河』より)

人生の意味を求めてやってきた登場人物たちに、遠藤さんはこの女神チャームンダーと対面させようとする。

ぼくは、加賀乙彦との対談で言われる小道具と呼ばれる磯辺や沼田、木口に気が向いてしまう。しかし、成瀬美津子と大津との交流が、この小説の柱なのであろう。成瀬はモーリヤックの『テレーズ・デスケルウ』が意識されて書かれていることが分かる。このことについては、遠藤さんの『私の愛した小説』という本を読まれるといいと思う。この稿では大津の話を進めさせていだたきたい。

* * *

『深い河』のなかでの大津は、井上洋治神父がモデルになっていることは察しが付く。これまでの遠藤さんの小説にもたびたび井上神父らしき人物が登場している。井上神父がヨーロッパの修道院で経験したカトリックの教義への学びや修道院生活が、自分にはどうしても馴染めなかったということを、大津という人物に仮託して描いているのである。

大津は『深い河』で「玉ねぎ」という言葉をよく使う。「玉ねぎ」が出てくる主な個所を挙げてみると

「修道院の前に拡がるガリラヤ湖。琴の湖といわれ、イエスが語られ、カフェルナウム村の漁師ペトロが漁をした湖は、今夜は月光がきらめいています。あの方は……いや、成瀬さんは日本人だからイエスという名を聞いただけで敬遠なさるでしょう。ならばイエスという名を愛という名にしてください。愛という言葉が肌ざむく白けるようでしたら、命のぬくもりでもいい、そう呼んでください。それがイヤならいつもの玉ねぎでもいい。」

「玉ねぎがこの町に寄られたら、彼こそ行き倒れを背中に背負って火葬場に行かれたと思うんです。ちょうど生きている時、彼が十字架を背にのせて運んだように。」

「でも結局は、玉ねぎがヨーロッパの基督教だけではなくヒンズー教のなかにも、仏教のなかにも、生きておられると思うからです。」

「ガンジス河を見るたび、ぼくは玉ねぎを考えます。ガンジス河は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰をのみこんで流れていきます。玉ねぎという愛の河はどんな醜い人間もどんなよごれた人間すべても拒まず受け入れて流れます。」

大津はマハートマ・ガンジーの語録集から好きな言葉を選ぶ。

「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集まり通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか。」

1992年の4月23日の『創作日記』には「この深津(注・日記では大津が深津になっている)が次第に孤独になり、愛だけに生き……そして最後はテレサの世界に生きてヒンズー教徒に殺される。そしてガンジス河のほとりで同じように焼かれ、河に入れられる。その後に美津子が入ると言う着想が次第に湧いてきた」と書かれている。しかし、小説では火葬場に運ぶ遺体の写真を撮ろうとしたカメラマンにヒンズー教徒が激昂して取り囲んだ時、大津がなだめにかかり、カメラマンは逃走できたが、大津が撲たれ蹴られて重傷を負う。そしてそれから間もなく死亡する。

* * *

加賀乙彦さんは遠藤さんとの対談で「この『深い河』でも、大津という人間があれほどまでみんなに馬鹿にされ、同僚の神父からも馬鹿にされ、ついにはインドに流れていって、インドのカトリック教会からも破門される。そういう状況で黙々と、死人を肩に背負って河へ運ぶという仕事に従事している。その黙々としている大津の心というのは、外から見るとわけのわからない哀れなものなんですが、本人は喜びに満ちてなくてはこんな馬鹿げたことをするわけないんですね」と語る。

遠藤さんは「『沈黙』の場合だってキチジローというのは主人公のセバスチャン・ロドリゴを見捨てて裏切ってしまうけれど、最終的には同じ牢屋にいるわけです。僕にとっては、最終的には同じ牢屋にいるということが、『沈黙』で言いたかったことのひとつです。……イエス自体は、小説ではロドリゴであり、あるいはこの大津の形態を取る。大津の場合は、イエスの真似事、と言ったらいいかもしれないけれども、大津の人生を失敗者、イエスの真似事に重ね合わせようとしている」と話す。

遠藤さんがこの小説でイエスを大津に意識させるのは分かるが、どうもぼくの想像とはちがうのである。それは、大津が老いても倒れるまで死に人を背中に担いで火葬場まで運び続け、最後は「死を待つ人の家」でシスターたちに看取られて死ぬ姿を想像するからだ。それがピエタとなってぼくの眼に浮かんでくる。

ぼくがこの小説の最後になんとなくもうひとつの意図を感じるのは、やはり井上洋治神父のことなのである。それは『創作日記』(1992年)の10月17日に記された「みじめな気持ちのまま、仕事場に行かず、在宅して本を読んでいる。井上神父の『余白の旅』を再読して、彼がどんなに仏蘭西で辛かったか、おのれの留学生活の惨めさと重ねあわす。夜、彼に電話をしてみる。彼の声をきき、かすかに慰められる」とあるものだ。

もしかしたら、遠藤さんは、大津(井上神父)を自分の最期に連れて行ってしまったのではないか。いまそのように感じてしまうのである。それならば、遠藤さんの葬儀ミサで、ぼくが遠藤さんの傍に行った時に、神父さんの姿がなかったのが分かるのであるが。ぼくにとっての遠藤周作はやはり「エンド・レス・えんどう」と言うことなのだろう。

この稿の終わりに、井上洋治神父の祈りを捧げたい。

「アッバ  アッバ  南無アッバ イエスさまに つきそわれて 生きとし生けるものと 手をつなぎ おみ風さまにつつまれて アッバ アッバ 南無アッバ」

ぼくは、毎朝両親の遺影を前に、「南無妙法蓮華経」と最後に「南無アッバ」を捧げている。

 


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