ユダが主役? と思うような映画


中村恵里香(ライター)

イエスの生涯を描いた映画作品はたくさんあります。もちろん主役はイエス・キリストですが、本当に主役はイエス? と思われる作品がいくつかあります。その中でも異色の作品といわれている「ジーザス・クライスト・スーパースター」と「最後の誘惑」をご紹介します。

 

「ジーザス・クライスト・スーパースター」

「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、映画が公開されてすぐからたびたび劇団四季でも舞台化されていますので、ご存じの方も多いと思いますが、映画化は2回、1973年と2000年にされています。監督は異なりますが、音楽担当は同じなので、ストーリーとしては変わりませんが、映像は異なる手法で描かれています。もともとはブロードウェイのロックミュージカルとして上演されたものが映画化された作品で、圧倒的な存在感を持っているのが黒人俳優演じるユダの存在です。この作品はイエス最期の7日間の物語です。

ジーザス・クライスト・スーパースター(1973年)

1973年の作品は、古いバスでイスラエルのロケ地ネケブに到着したという設定で物語が始まりますが、ユダはその最初から仲間から少し離れた位置にいて、仲間の動向を無言で見守っています。幕開けからユダの視点が強調されている作品とも言えます。

なぜユダが「裏切り」をするのか。ナザレの大工の子が今やメシアとしてあがめられ、本人もその気になっていくことで、ローマの支配下にある状況の中でその過熱ぶりが当局から危険視され、弾圧されるに違いないと思い込むことからイエスへの「警告」を強く歌います。その心配は、イエスとその仲間たちに留まらず、一般民衆にも及びかねないと心配するのがユダであるという設定です。ユダは、できるだけ早いうちに手を打って、被害を最小限に抑えたいと考えての行動だったとしているのです。

ユダはまた、イエスの愛と赦しを求めていることも描かれています。この作品の中で、すごく不思議に思ったのが、ユダがまるで復活したかのように描かれている点です。なぜ、そのように描かれているのかという点に関しては、さまざまな解釈があるようですが、ユダが常に物語の中心にいて、イエスの行き過ぎた行動を中止し、警告している姿が印象的な作品です。

一方、2000年の作品では、舞台劇としての描き方に終始しています。1973年の作品と2000年の作品の違いはそうはありません。あまり評価されていませんが、舞台劇としての魅力は、2000年の作品に軍配が上がるかも知れません。

 

「最後の誘惑」

次に「最後の誘惑」ですが、「沈黙」をつくったマーティン・スコセッシの作品です。この作品は、異端ともいわれていますが、私にはその点が疑問です。なぜなら、冒頭には原作者ニコス・カザンツァキスの言葉「神への到達を目指したキリストは、きわめて人間的なものと超人間的なものの両面を持っていた。キリストのこの二元性は私にとって、以前から尽きぬ謎であった。若い頃から、私の悩み、また喜びと悲しみは、精神と肉体の間の飽くことのない苛烈な闘いから生まれてきた。私の魂は、その2つの力が衝突する戦場である」とあります。それに続いて「この映画は聖書の福音書に基づくものではなく、この永遠なる魂の葛藤をフィクションとして探求しようとするものである」とあるからです。

イエスの生涯を描いたものは、福音書に基づいていると考えることから否といっているこの作品もユダが狂言回しの役割を担っています。この作品では、イエスはことあるごとにユダを頼ろうとしています。正統的なユダの描き方ではありません。ユダヤを裏切る行動をしようとしたら、イエスを殺す役割を担っているユダですが、その中の葛藤も描かれています。

この作品でのユダはイエスによって裏切りを使命とされてしまうという「え?」と思うような設定になっています。

  • 1988年製作/アメリカ/原題:The Last Temptation of Christ/配給:UIP
  • 監督:マーティン・スコセッシ/脚本:ポール・シュレイダー/原作:ニコス・カザンツァキス
  • キャスト:ウィレム・デフォー、ハーベイ・カイテル、バーナ・ブルーム、バーバラ・ハーシー

 

ユダ像がなぜ変化してきたのか

1960年代以降、映画の中でのユダ像に変化があるといわれています。一方的な「裏切りもの」ユダからローマとユダヤの対立、世俗権力と宗教権力との確執といった歴史的視点があり、平和革命か武力革命かという政治思想的な葛藤の中にユダが置き換えられているという視点も語られています。ここで詳細は語れませんが、そのさまざまな視点を比較する時にぜひ観ていただきたい作品をいくつか列挙させていただきます。

ジーザス・クライスト・スーパースター(2000年)

ハリウッドのスペクタクル大作といわれているニコラス・レイの「キング・オブ・キングス」(1961年)、ジョージ・スティーヴンスの「偉大なる生涯の物語」(1965年)、フランコ・ゼフィレッリの「ナザレのイエス」(1977年)があります。この作品群の中のユダは、いきいきと描かれています。

なぜこのように視点が変わったのかについて、外典の存在が語られています。1970年代にエジプトで発見された「ユダの福音書」の存在を指摘する向きもありますが、ユダに対して異端的なイメージが浮き出ていますが、その解釈さまざまだということを深く感じています。今回挙げた作品を中心に皆さんがユダに対してどう考えるか見直してみてはいかがでしょうか。

最後に「ジーザス・クライスト・スーパースター」の1973年版と2000年版の予告編をご覧ください。

 

▼ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)

  • 監督:ノーマン・ジュイソン/脚本:ノーマン・ジュイソン、メルビン・ブラッグ/原作:ティム・ライス
  • キャスト:テッド・ニーリー、カール・アンダーソン、イボンヌ・エリマン、バリー・デネン
  • 1973年製作/112分/アメリカ/原題:Jesus Christ Superstar/配給:CIC

 

▼ジーザス・クライスト・スーパースター(2000)

  • 監督:ゲイル・エドワーズ、ニック・モリス/作詞:ティム・ライス/作曲:アンドリュー・ロイド・ウェーバー
  • キャスト:グレン・カーター、ジェローム・プラドン、トニー・ヴィンセント
  • 2000年製作/イギリス/107分/原題:Jesus Christ Superstar

 

 


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