全ての出会いと出来事に感謝の気持ちを込めて


深川信一(サレジオ会神学生)

7月30日からWYD(ワールドユースデー) inリスボンに参加してきた。その時の思い出を振り返りたい。当初、参加をかなり悩んでいた時があったが、この機会が次に来るか分からないことなど色々踏まえ、行ったほうが多くの体験ができると思って決断した。

参加するに当たり、私はサレジオ会という修道会に属しており、そのグループで参加することもあり、本番に向けてzoomや対面で集まり、教皇様が出された文章を読み、分かち合いをし、今回のテーマについて考えてきた。同時に、参加するメンバーと交流し、本番に向けての心構えを作ってきた。

中央の黒いキャップをかぶっているのが筆者。

ポルトガルに到着してからは空港の床にロゴが貼られていたこと。他にも町にはWYDの旗が飾られていたりするなど、リスボン全体がWYDの雰囲気であり、迎え入れてくださっている印象を強くもった。

次はSYM(SYM JAPAN〈エスワイエム・ジャパン〉は、日本におけるサレジオ青年運動のことで、サレジオ家族に関係する青年のための運動。SYMは全世界のサレジオ青年運動のこと)の集いに行った時のことである。色々な催し物があり、参加者全体が盛り上がり楽しんでいる印象であった。加えて、サレジオ会総長とサレジアン・シスターズ総長も来られており、一層盛り上がった。夕食後、一通り催し物が終わり、祈りの時間となり、聖体顕示のための聖体を運ぶ司祭が姿を現した時、あれほど賑やかだった会場が一気に静まり返ったのである。驚くぐらいの静けさになり、鳥肌がたった。そして、跪いて祈る人、手を合わせる人、頭を下げる人と思い思いの祈りの姿勢になっていった。

この時、1つ思ったことがあった。確かにWYDは1つのお祭りのようなイベントの部分もあるかもしれないが、参加者の心のどこかに「ただ、騒ぎに来た」だけではない所があるということであった。自らが受けた、与えてもらった信仰は何なのだろうかと自問している人、信者ではないが、長らく教会に通い続けている人が思う所など、こうした側面もあったことを思い出した。お祭りのように騒ぐ時もあれば、こうした一層祈りの雰囲気を感じ一緒に祈ることができた体験は大きかった。

そして、日本公式巡礼団によるカテキズムにも全日ではないが参加することもでき、特に最終日のカテキズムではゆるしの秘跡があり、各々の体験を分かち合い、最後は赦しの秘跡にあずかる恵みを受けることができた。

また、WYDでは持ってきた物を交換し一緒に写真を撮るなど各国の若者との交流も行うことができた。時間としては本当に短かったが、色んな国の若者との交流は日本の教会ではなかなか体験できるわけでもないため印象的であった。私も日本公式巡礼団や他の場所で久しぶりに会うことのできた人もいてうれしかった。

今回、テーマの「マリアは出かけて…」という呼びかけに応えて、WYDに参加したが、毎日が本当に密度の濃い時間であった。それは外国の地で、この呼びかけに集まった多くの人々と共に過ごし、祈ることができたことだと思う。また、今回一緒に参加したメンバーと共に過ごすことができたことも大きかった。共に語り、分かち合うことができたことに感謝したい。そして、WYDに向けて準備を進めてくださった方々、物的・霊的な面において陰から支えてくださった全ての方々の助けがあったからこそでもある。そのことをも忘れてはならないと思う。

このWYDで受けたすべての恵みに感謝し、受けた恵みを自分の糧としていき、また私自身が関わっている人たちにも分かち合うことができるように努めていきたい。今回も石井先生のお誘いで本稿へ書かせていただくことができた。あれほどの濃かった日々を上手にまとめることができたとは思えないが、いったんここで締めくくらせていただきたいと思う。改めて、WYDで受けることのできたすべての恵みに感謝。神に感謝。

(SYM Japanに提出した文章を加筆、修正させていただきました)

 


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