新しいミサの賛歌ついて―「ミサの賛歌」の歴史②:グレゴリオ聖歌の味わい


 

松橋輝子(東京藝術大学音楽各部教育研究助手、桜美林大学非常勤講師)

  

20221127日(待降節第一主日)から、新しい「ミサの式次第と奉献文」が実施され、新しいミサの賛歌もまた各教会で歌われ始めています。今回は、グレゴリオ聖歌の旋律に基づく「ミサの賛歌A」について、お話ししたいと思います。

日本カトリック典礼委員会は、Aのミサ賛歌について、「グレゴリオ聖歌のミサ通常式文集「キリアーレ(Kyriale)」から旋律を選び、その旋律をいかしながら日本語の式文を歌えるように手を加えました。単にグレゴ リオ聖歌の旋律に日本語を当てはめるのではなく、日本語の抑揚やリズムを考慮しつつ、原曲の旋律を可能なかぎり残しました。」about_nmass_v.2.pdf (catholic.jp)と説明しています。

では、そもそもグレゴリオ聖歌とは何でしょうか?カトリック典礼のための単声、無伴奏の歌であり、教皇グレゴリウス1世(590頃~604)にちなんで「グレゴリオ聖歌」と呼ばれています。4世紀以降、キリスト教の急速な普及に伴い、典礼や聖歌の地域差が生まれていきました。そこで、ローマ教皇公認の典礼および聖歌を定めることで、ローマが管轄する教会圏の統一を図ろうとする動きが生まれ、教皇グレゴリウス1世を含む数人の教皇がその統一運動に尽力しました。実際に、聖歌を一本化することが実現に向かったのはカロリング朝フランク王国の支配が確立した8,9世紀ころで、10世紀になって最終的な形に落ち着いたとされています。その後も流動的に発展し続け、西洋音楽の源流となりました。

日本のミサ賛歌のもととなったグレゴリオ聖歌は、フランスのソレーム修道院において1896年に編纂されたグレゴリオ聖歌集『リベル・ウズアリス』(Liber Usualis)に掲載されています。このグレゴリオ聖歌集は1900ページに上り、ミサの通常文の聖歌、聖務日課(『教会の祈り』)の聖歌、さらに祝祭日や特別な儀式や意向を伴う典礼のための聖歌が網羅的に含まれています。しかし、1962年~1965年にかけて開かれた第2バチカン公会議で、典礼における現地語の使用が認められ、またその後に刷新された諸典礼の式次第に沿わなくなったため、現在では使用頻度は決して高くありません。

以下は、『リベル・ウズアリス』(1961年版)にある、新しい「いつくしみの賛歌(キリエ)」と「平和の賛歌(アニュス・デイ)」の旋律Aが踏まえている部分の楽譜(ネウマ譜)です。

 

 

 

このように、グレゴリオ聖歌の旋律を踏まえつつ、日本語に訳された詞に合わせた旋律にして歌うことは、これまでの歴史においても、日本における宣教の方策として、たびたび行われてきました。

日本人とグレゴリオ聖歌の出会いは、まずキリシタン時代に遡ります。16世紀半ばにキリスト教が伝来、繁栄し、セミナリヨ(小神学校)で西洋音楽が学ばれ、教会ではグレゴリオ聖歌が歌われていました。この時代の唯一残された楽譜付き典礼書『サクラメンタ提要』には19曲のラテン語聖歌が記譜されています。その後、豊臣秀吉や徳川幕府による厳しい弾圧を経て、キリシタンは潜伏を余儀なくされました。その中でひそかに聖歌や祈りを口伝してきたもの、すなわち「オラショ」にもグレゴリオ聖歌を起源とするものが多くあります。

 

さらに、幕末・明治以降の再宣教時代には、宣教師たちはグレゴリオ聖歌の歌詞を日本語に翻訳し、グレゴリオ聖歌を日本語で歌うという試みを行っていきました。その際、音域がさほど広くなく、旋律の動きも少ない旋律が選ばれたところには、日本人への配慮もうかがえます。

もともとラテン語で歌うためにできた旋律に日本語の歌詞を当てはめるのはとても困難なことでしたが、それでも、カトリック教会の音楽の源流であることに対する尊敬をもって、日本のカトリック教会ではグレゴリオ聖歌をさまざまな局面で歌ってきました。このたび新たに作られたミサ賛歌Aによって、日本語の式文に適応された旋律のうちに、グレゴリオ聖歌の味わいが新たにもたらされているといえるでしょう。


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