SIGNIS KoreaとSIGNIS Japanの心の交流を求めて


土屋 至(SIGNIS Japan会長)

2019年1月と2022年8月

SWC2022 in Seoulに参加した日本代表団。左から筆者、酒井俊弘司教様、町田事務局長。

6年前のカナダのケベックシティで開かれたSWC (SIGNIS World Congress) 2017において、SIGNIS KoreaがSWC2021の開催地を引き受けたとき、私たちSIGNIS Japanは、SIGNIS Koreaの勇断に敬意を表し、最大限の協力をしたいと申し出た。

そしてまだコロナ流行の兆しの見えなかった2019年1月、SIGNIS Japan事務局長の町田さんと私とで韓国を訪問した。SIGNIS Koreaとの交流を深めたいと思ったからである。そのときに町田さんがここに行きたいからぜひ案内してほしいとSIGNIS Koreaの方にお願いして訪問したところがいくつかあった。

その一つは韓国の殉教の歴史の記念館であった。韓国にも日本と同じくらいの迫害の歴史があるのだが、ここでそれは語らない。もう一つはソウルにある戦争記念館(The War Memorial of Korea)西大門刑務所歴史館であった。

 

日本が韓国に対して行った3つの「ひどい」こと

戦争記念館は韓国の戦争の歴史を記念する博物館である。この記念館の展示を見て思ったことは「日本はなんというひどいことを韓国にしてきたのか」ということで、悲しさと申し訳なさでいっぱいになった。その「ひどい」ことについて、すこしは知識を持っていたが、これほどとは思わなかった。多くの日本人は一体どれほどを知っているのであろうか。

その「ひどい」ことは3つあった。一つは倭寇である。14世紀前後に北部九州を本拠として朝鮮半島や中国大陸の沿岸部を荒らし回った日本人の海賊である。後期の16世紀になると、日本人だけではなく中国人、ポルトガル人も含まれていたと日本史の教科書には書かれているのだが……。

二つ目は秀吉の朝鮮出兵である。そのときの総司令官・加藤清正は日本人には「加藤清正虎退治」の英雄だったが、韓国では「鬼」と呼ばれ、悪役のイメージが極めて強い。

三つ目は1910年の韓国併合以後の日本帝国主義の支配の時代である。西大門刑務所は日本帝国主義支配下に祖国の独立を勝ち取ろうとした運動家たちがとらわれ、拷問など迫害を受けた獄である。慰安婦や徴兵工などの悲劇が生まれたのもこの頃である。

戦争記念館の日本語ガイドの方には「ここは日本人があまり来ることがないのだが、あなた方はよく来てくださいました」と歓迎され、見たあとに「日本人が韓国にひどいことを行ってきたことに日本人として恥ずかしくて申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と伝えたらとても喜んでおられた。韓国の人は日本人がこの気持ちを表明すると心を開いて接してくれると聞いていたが、それは本当だと思った。

ただ、この記念館には生徒を引率して説明している先生の姿が結構見られた。「これでは子どもたちが日本人を嫌いになるのも無理はない」と思ってしまった。

 

38度線において

結局SIGNIS World Congressはコロナのために1年延期となり、2022年の8月に実施された。そのSWCそのものについてはカトリック新聞に記事を書いたのでそちらを参照していただきたいのだが、ここで書きたいのは韓国の人たちとの心の交流についてである。

休戦ラインの近くの展望台にて。左端が安さん、右端が大会実行委員長の金さん。

38度線の休戦ラインには2019年の訪問の時もそして今回2022年の訪問の時も訪れた。2019年の時は真冬だったので、38度線を流れるイムジン川は凍結していた。2022年の夏に案内されたときに日本語の話せるガイドの安さんが付き添ってくれた。彼に「この川が北との国境ですか?」と聞いたら「ここは国境ではありません。北と隔てているのは国境ではなく休戦ラインです」ときっぱりと言われてしまった。

前回は聞けなかったことでもう一つ聞きたいことがあったので今回勇気を持って聞いてみた。それは私が若い頃ラジオの深夜放送ではやったザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」という歌のことであった。この歌に「我が祖国 南の地 おもいははるか」「だれが祖国を二つにわけてしまったの」や「北の大地から南の空へ飛びゆく鳥よ 自由の使者よ」というような歌詞があって、これは「北」の歌と思われたので前回は聞けなかったのだが、意外や韓国の人は私が歌ったこの歌を誰も知らなかったのである。そういえばこの歌は発売後すぐに発売禁止となってしまった。その理由はこの歌が作者不詳として発売されていたが、じつは作曲者が北の国歌の作曲者であったことが判明したからだったらしい。

 

戦争と女性の人権博物館にて

今回のSWC in Seoulでうれしかったことは日本語が話せるSIGNIS Koreaのメンバーの安康鉉(AHN, Kanghyun Ph.D)さんが私たちに付き添ってくれたことである。彼自身日本への留学経験があり、また息子さんが日本人と結婚されて日本にいるので、たびたび日本に訪問されるという。その彼に案内されて、SWCの会期中に「戦争と女性の人権博物館」を訪問した。彼にとっても初めての訪問だったようである。

ここのHPには「戦争と女性の人権博物館は、日本軍「慰安婦」被害生存者が経験した歴史を覚えて教育し、日本軍性奴隷制問題解決のために活動する空間です。今も起きている性暴力問題に関心を持って戦争と女性暴力のない世界のために連帯して行動する博物館です。」と紹介されている。

ここも悲しく逃げ出したくなるような場所であった。慰安婦問題に関して日本政府が軍の関与を認めず心のこもった謝罪をしていないということに腹立たしく思うとともに、日本人としては「性奴隷」ということばにちょっと引っかかるなど複雑な思いであった。また、ここにはベトナム戦争において韓国軍兵士がしたことについての展示があったことにも誠実さが感じられた。救いがあったのは、この博物館においてあった署名簿に結構多くの日本人の署名があったことであった。

「平和の少女像」も結構あちこちに見られた。とくに教会や修道院の中にあったのはちょっとショックであったことも申し添えておかねばなるまい。

 

安さんとの出会い

1回目の韓国訪問よりも、今回の方が韓国の人たちとの心の交流があったと思うが、もっともっと深い分かち合いがあってもよかったと思っている。普通の人たちではなかなかこうまでいかないだろうが、信仰を持っている者同士ならできると思うし、それを皮切りに一般の人に広げていくことは今とても大事なことだと思う。

最後に安さんからのメールにこう書かれていたことは本当にうれしかった。

「短い出会いでしたが、とても印象的でした。 特に過去の歴史の微妙な問題に真剣で積極的な姿勢に大きな感銘を受けました」と。

 

【参考】
SIGNIS Japanのニュースレター「タリタ・クム!」43号 降誕祭号
(町田事務局長によるSWC2022のレポートが掲載されています)

 


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