私のマリア様のイメージ


沖野智津子(カトリック麹町教会所属)

日々のお祈りでは、マリア様に向かう方が多いかもしれません。
ロザリオ一環から一日が始まります。
祈っているとき向かっているマリア様は、苦労された生涯を思い浮かべています。
ヨセフ様が早く亡くなられたら、私も父を知らない子だったので。
会いに行ったのに、会えなかったこと。
イエス様の宣教生活をともにしたこと。
ヨーロッパの像のような美しいマリア様は思い浮かべられません。
でも、最後はヨハネが一緒にいてくれたので、
その日々はどんなに安らかでしあわせなものだったかと想像します。
ヨハネは十字架のもとにもいてくれたし、ヨハネがとても好きです。
自分の日常で辛いことがあっても、マリア様の生涯を考えると耐えられるし、慰められるし、
前へ進むことができます。

私の部屋にはマリア様のイコンがあります。
以前、近くに男子修道院がありました。
尞も、兼ねていて、上智大学や、そのほかの学校へたくさん通っておられたそうです。
神父様になられた方もおられたそうです。
私は毎日の朝ミサに与ることが出来ました。
二人か三人、一人のときもありました。

建物の耐震や、寮を使う人がいなくなったことなどから、修道院は閉鎖になりました。
神父様が記念にくださいました。
A4くらいの大きさです。

最近になって、テレビで見かけることが多くなり、改めてとても大切なものではないかと思っています。
裏には遠くの修道院の名前もあり、このマリア様も、あちらこちらを巡ってこられたようです。
10年くらい、修道院で、朝ミサに与れたことがとても大きなお恵みだったと改めて思います。

 


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