四つの山頂で


伊藤淳(東京教区司祭)

1982年 入笠山

長野県茅野市の青柳というところにラサール会の山の家があって、若い頃通っていた教会では、毎夏休みにそこで練成会をしていた。大学三年の夏休みも、神父や青年リーダーたちと一緒に、中高生を引き連れて青柳に出かけた。メインイベントは、入笠山登山と山頂での野外ミサだった。

登山の前夜、一人の高校生が、あるリーダーのあれこれに対する不満を涙ながらに訴えてきたのを、物分かりのいい兄貴分の体裁で夜更けまで聞いていた。訴えには首肯できる事柄もあったが、批判されているリーダーの言動にも同情の余地はあるように思えて、気の利いた助言もできず、何の解決も見出せないまま、時計の針が午前零時を回った頃、その高校生は「もういいです、そろそろ寝ます」と一方的に終結を宣言して、自分の部屋に帰ってしまった。

翌日早朝からの登山に、睡眠不足は響いた。息は上がるし、胃の内容物は逆流してくるし、なにより頭がぼーっとして働かず、何度も転びそうになった。件の高校生はと見ると、周囲の仲間と楽しそうに歩いているようにも見えたが、眠気からなのか、解消されなかった不満の故なのか、その表情はそれほど晴れやかには見えなかった。

広いなだらかな山頂に着き、神父を中心に車座になってそれぞれシートを敷くと、ミサが始まった。夏の爽やかな青空とそよ風のもと、ミサは開放感に溢れていた。神父の声は風に流されてしまって、こちらの耳まで届いて来なかったが、この素晴らしい自然の中で、ご聖体を中心に仲間が集まりミサに与っているという事実だけで、満ち足りるには十分だった。

ご聖体を拝領し、閉祭に『ごらんよ空の鳥』を歌った。他の登山客がいないのをいいことに、誰もがあらん限りの大声で歌っていた。

ミサが終わると、やがて歓声が上がり始めた。夏空に向かって拳を突き上げ、あるいは両手を広げ、「おぉー」とか「わーっ」とか「きゃー」とか、取りようによっては、それは聖霊に促された異言のように聞こえなくもなかった。

思い出して、例の高校生を目で探すと、彼女もまた伸びをするように天空に両手を挙げていた。それから、その両手を少しずつ前方に下ろしながら、不満の対象だったリーダーの方にゆっくりと近寄っていった。それに気づいたリーダーもまた、ゆっくりと両手を広げて迎え入れ、そして二人はがっちりと力強くハグをした。高校生も、高校生の感情に気づいていたに違いないリーダーも、それぞれの肩越しに見える笑顔には屈託がなかった。

その笑顔は、何も力になれなかった私の顔も綻ばせてくれた。感謝の祭儀から溢れ出す愛の力と、神が創り給うた空と山と緑の包容力によって、人の心にあるわだかまりが融解し、聖徒の交わりが容易に現出するのを目の当たりにして、心の底から安心し感動したからである。

女同士とはいえ、傍で見ていても照れてしまうような力一杯のハグを、私は少し離れたところで、終わるまで眩しげに眺め続けていた。

 

1987年 クロー=パトリック山

五世紀に、アイルランドの守護聖人パトリックが、山頂で四十日間断食したとされるこの山は、有名かつ重要な巡礼地であるにもかかわらず、とにかくアクセスが不便だった。

八月の第一火曜日、ウェストポートから路線バスで終点のルイスバーグまで行って宿を取るまでは順調だった。しかし翌日、ムリスクという麓の村にバスで戻ろうとしたら、金曜までないと言う。一日二本ではない、週に二本のバス路線だと言うのだ。

途方に暮れている私を見兼ねて、宿の主人が車で送ってくれた。

登山口からは、全山を牧草に覆われて丸く盛り上がった山体に、登山道が山頂まで続くのが見え、その起点には、三位一体を説明するのに用いたというシャムロックの葉を、三つ葉葵の御紋のごとく掲げる聖パトリックの像が立っていた。

道は一本、空は快晴、道程のすべてが見えるので、どれほど登って来たのかがよく分かる。

二時間ほどで山頂に到着。水など飲みながら、周囲に広がるアイルランド特有の緑の大地と青い海を堪能できたのも束の間、大西洋から流れてきた雲がじきに山頂を覆い、霧雨を降らし、気温を急激に下げた。アイルランドではよくあること、驚きはしなかったが、せっかくそこにある小さな聖堂の扉には、しっかりした南京錠が掛けられていて、避難もままならない。

仕方なく、聖堂の白い壁に身を寄せて震えていると、杖を突いた初老の男性が霧雨の向こうからぬうっと現れた。気づけば裸足である。巡礼日として賑わうリーク・サンデーを逃し、数日遅れて一人でやって来た巡礼者なのだろう。それにしても、石ころだらけのこの山道をよくも裸足で、と感心する。

愛想笑いで軽く会釈をした私に、一瞥をくれただけでにこりともせず、しばし立ち止まって祈りと思しき言葉をひとしきり呟くと、その巡礼者はまた、白く烟る霧雨の中を、もと来た方向に消えていった。

無意識のうちに息を詰めていたらしく、その姿が見えなくなったところで、私は大きくふぅーと息をつき、肩を回して力を抜いた。

私の態度に非があるわけではないと思うのだが、他人をむやみに寄せ付けない、この巡礼者の祈りへの没頭の加減に気圧された私は、自らの軽佻浮薄を妙に恥じ入り、爾来、クロー=パトリック山頂で出会ったこの男性の姿かたちとその態度を、私にとっての、巡礼というものの在り様の譲れない基準としてしまっている。

 

2004年 シナイ山

前日、カイロを昼に出発する長距離バスに乗って、サンタ=カタリーナに到着したのは夜の九時半過ぎだった。

宿で仮眠を取った後、ご来光を見るために午前三時に出発。暗い中、先導するガイドの懐中電灯の明かりを頼りに、ラクダも通る登山道を二時間半ほどで、頂上直下の休憩所に辿り着いた。暗いうちはここで紅茶などすすって暖を取りながら待機。空が白んできたところで頂上を目指す。山頂には既に何十人もの巡礼者が陣取って、日が昇る方向を見つめていた。

雲一つない東天は見る見るうちに明るさを増し、ついに太陽が顔を出すと、そこここで歓声が上がった。続けて、それまで我慢していた仲間内での声高なおしゃべりが始まる。聖歌を歌うグループもあった。こういう状況でのこういう喧騒が苦手な私は、一人になれる場所を求めて、石積みの聖堂の裏手に回り、耳を塞いで耐えることにした。

地平線近くの太陽の動きは速く、あっという間に天空に昇っていく。それに反比例するかのように、人々の感動と興奮は沈静化し、恐る恐る耳から両手を離した頃には、誰の声も聞こえず、立ち上がって見回すと人影もすっかり消えていた。

休憩所に留まっていたガイドが何度か様子を窺いに来るのを背後に感じつつ、私はそれから一時間ほど、この現実離れした景色を独占した。四周を見晴るかすと、草木一本生えていない剥き出しの赤い岩山ばかりが、視界の果てまでうねっている。「大自然」などという生易しい形容の範疇を遥かに超えた、この世ならざる景観。

ガイドが呆れて「先に下山する」と言いに来るまで、このすさまじい世界に自らをなんとか溶け込ませられないものかと努めてみたものの、シナイ山は圧倒的な拒絶感をもってそこに在るだけで、結局僅かな隙も与えてくれなかった。しかし、それこそが神の領域との絶対的な隔たりの暗示であり、主が降ってモーセを呼び寄せるに適処たる所以なのだと、妙に納得しながら、先を急ぐガイドを見失わぬよう、その後を追って急峻な下山道を転がるように駆け降りていった。

 

2011年 タボル山

イスラエル巡礼旅行の四日目、早朝にガリラヤ湖畔のホテルを出発した巡礼団一行は、タボル山の麓でバスを降りると、四台のミニバンに分乗して山頂に向かった。曲がりくねった山道をフルスピードでとばしながら、ドライバーはラジオから流れる地元の音楽に鼻歌を合わせている。

山頂の駐車場で降ろされ、ガイドの案内で遺跡や聖堂を見て回る。イヤホンガイドを装着しているのをいいことに、団体行動が苦手な私は、少しずつグループを離れて聖堂の裏手に回り、眼下に広がるガリラヤの春の景色を見晴らしていた。

もともと垂れ込めていた雲がさらに降りてきて、やがて山頂を乳白色にすっぽりと覆ってしまった。聖堂内に入ったガイドの音声は、石壁に隔てられてイヤホンには届かず、辺りは完全に無音。目も耳も何ひとつ受容できない。

恐らく無意識のうちに不安になっていたのだろう。自分でも何を言っているのか分からなかったペトロのごとく、「おぉ、すごいすごい、ご変容と同じじゃないですかぁ」などと、おちゃらけた声音で独り言ちてみたりした。

その時、不意に間近で声がした。緩みかけていた緊張が一瞬にして戻り、思わず首を竦める。

声の主は、飛び去る鴉だった。その鳴き声は日本でも聞き慣れているありきたりのものだったが、私はその声に思わず居住まいを正してしまった。何故なら、その時の私には、同じこの場所で弟子たちが雲間に聞いた「これは私の愛する子、これに聞け」というあの声を、即座に連想させる何かが感じられたからである。

鴉のこのひと鳴きで急に心細くなった私は、そそくさと聖堂に入り、ガイドの後をお行儀よくついて回っている巡礼団の最後尾に、素知らぬ顔で加わった。

下山し、長駆エリコを目指すバスの中で考えた。

主の変容の直後に、雲の中から弟子たちに聞こえたあの声が、人類の持つ音声言語であったとは必ずしも言い切れないのではないか。神は、そこに居合わせたなら誰でも聞き取れるような言葉、例えばアラム語で、聖書にある通りにペトロたちに語りかけたとは限らないのではないか、と。鴉の鳴き声とは言わないが、超越者のこの世ならざる何かによってメッセージが発せられ、伝達され、そこにいた弟子たちの、それが耳という聴覚器官でなくても、肉体か霊魂か、何かによって受容され、福音書の記述のような人間の言葉に変換され、理解されたのだとしても、矛盾はないのではないか、と。

凡人の私にしては珍しい思索の記憶は、このあたりで途切れてしまっている。バスの心地よい揺れで、あっという間に眠りに落ちてしまったからだ。凡人はやはり凡人なのである。

 


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