電通さんありがとう


矢ヶ崎紘子(AMOR編集部)

私は期せずして教皇ミサに与ることになりました。10月ごろ、一人のシスターからこう尋ねられました。「教皇さまのミサに申し込んでいますか?」「いいえ」と答えると、「それでは、来日期間中はお手伝いをするように」ということになりました。私は、スケジュールの調整は簡単でしたから、「いいですよ」と答えました。「何をしたらいいのですか」と尋ねると、主な仕事は報道関係者への資料配布だけれども、くわしいことはまだわからないということでした。

11月も半ばになって、「さてそろそろですが、どこで何をしましょう」と尋ねると、「芝のプレスセンター」というところに行って、教皇さまに随行する報道関係者の相手をするのが仕事であるとのことでした。報道関係者が宿泊しているホテルの庭にあるビアホールが記者の基地になるということで、蓋を開けてみないとわからないが、ともかく24日と25日はそこに詰めるようにということになりました。

しかし、24日は来なくてよろしいということになりました。というのは、教皇さまが長崎と広島に出かけられるので、随行している記者たちも出払ってしまうからです。必要なことは「電通さん」がしてくださいますということでした。

25日の日中にプレスセンターに出かけてみると、外務省、翻訳グループ、「電通さん」、中央協議会、各メディアがパーテーションの中にいました。教皇さまはちょうど関口教会に到着されるところで、画面では、子どもたちが「フランシスコ! フランシスコ!」と歓迎の声を上げて待っていました。教皇さまは青年たちと語り合い、時折ユーモラスな表情を見せておられました。さて私は、16時からのミサの2時間前に配布する資料を東京ドームに届けることになりました。役目が終わったらその場にいてよいということで、まったく期せずして教皇ミサに与ることになったのでした。

報道資料は大切なものなので、5名で届けるように指示されました。刷ったものを半分ずつにして、2台の車に分けて運びました。水道橋駅が近づくと、全国の教会から来た大きな観光バスがやってきて、車が進まなくなりましたが、運転士さんが小さな道を迂回してくれたおかげで、ようやく東京ドームに到着できました。

東京ドームで案内してくれたのはやはり「電通さん」でした。彼らがこの会場のことを何でも知っているように思われ、頼もしく感じました。大勢の聖職者方が待機する通路を通り抜けると、そこが東京ドームのアリーナで、大勢の人と、大きなスクリーンと、たくさんの椅子と、白い祭壇がありました。資料を配布し終わると、「電通さん」、外務省の職員さん、カメラマンや記者の中で、そのまま立ってミサが始まるのを待ちました。教皇さまが会場をまわり、子どもを祝福なさるたびに歓声があがりました。私は端のほうにいたので、ここは混まないだろうと思っていましたが、教皇さまの動きに合わせて人が押し寄せてきて、柵に押しつけられました。教皇さまは嬉しそうな表情で皆に手を振り、大勢の人々が手や旗を振り、撮影していました。

ミサは大規模でしたが、集中した親密な雰囲気でした。説教で教皇さまは問われました。「よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか?」私も少し出かければ外国人であり、間違いも数限りなくしたし、まだ自己正当化という病にかかっているし、何が原因で牢屋に入るかわからない、しかし過ちや不利な状況があるかないかは、人を大切にする条件にも妨げにもならないのだなどと考えました。

教皇さまの表情、参加者の動き、会場の様子は終始効果的に撮影されて、大きなスクリーンに映っていました。大きなカメラが常に撮影していました。レポーターはカメラの向こう側にいる視聴者に語りかけていました。カメラは視聴者にとっての目でした。そのようなメディアは、会場でスクリーンを見たり、会場にいることができないので中継を見たりする人々にとっての目や耳なのでした。

私はふだん鈍い生活をしていてテレビも見ないし、マスメディアというものに対して積極的に関心をもっているわけでもありませんでしたが、この大掛かりな行事が実現し、一般に報じられているのは教会の努力だけではなく、報道や政府の協力を得てのことなのだと感じて、マスコミや外務省の働きをありがたく思い、尊敬を覚えました。また、大切な祈りの場に立ち会ってもらえることを嬉しく思いました。平安、信頼、愛、善といった祈りにおけるリアルなものが、記事や映像、音声を通じて世の中に染み込んでいくことを願いました。

 


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