奇跡と希望~フランシスコ教皇御ミサ at 長崎県営球場に参加して~


あき(カトリック横浜教区信徒)

これからお話しする“奇跡”は偶然かもしれません。“奇跡”と呼べるものではないのかもしれません。でもこれだけいろいろ重なったら……わたしには奇跡と思えるのです。

 

第一の奇跡

教皇が来日されるといううわさはかなり前から知っていました。

ただ具体的な日取りを知って東京ドームで御ミサがあるのが、11月25日(月)と判った時、私の妻は子供たちをあずかる仕事でしたので「平日かぁ。本当は行きたいけどなぁ。」と二人であきらめていました。

ある日突然、あきらめきれない妻が「じゃ、長崎だったら24日の日曜日だからいけるよ!!
前の38年前ヨハネ・パウロ二世が来られた時は1981年でしょ。私は行きたかったんだけど子供も小さかったし行けなかった。今度のチャンスを逃したら次は生きている間あるかどうかわかんないよ!!」と半分脅迫めいた口調でわたしを説得しだしました。

そこで調べてみたら、もう長崎の申込期間を過ぎていました。妻に「だめだった」と言わなきゃいけないと思っていた矢先、フェースブックのどなたかの情報で、“長崎の申し込みをまだ受け付けている”というのを偶然見かけたのです。

“まだ間に合う!!”と思った私は、朝、会社に着くや否や長崎の申し込みをFAXして、すぐに受付に電話でFAXが届いたかどうか電話しました。

担当の方から「大丈夫ですよ。届いていますよ。受け付けましたよ。」と聞いたときは
「やったー!!」これが第一の奇跡でした。

 

第二の奇跡

教皇様の長崎での御ミサ前夜。私たち夫婦は長崎に到着しました。

「明日のために長崎県営球場の周りを調べておこう。入口はどこかしら」などと
野球場の周りを歩いていると、いろいろな国の同じような人たちがたくさんいました。
警備や準備を担当する方たちが明日に備えて作業をしていました。

「入場はどこから??」と準備の方に教えてもらってから、せっかく来たのだからと周囲を散策することにしました。
ふたりで歩いていると、まだ宵の口なのに何となく暗くて町は「おやすみ~」と言っているようでした。

歩きながらいろいろ見ていると「平和町」のバス停や、「ここは“あいさつ道路”」の標語。
「みんなで育てよう。未来に羽ばたく子どもたち」の標語などなど。
“平和”や“感謝”を大事にしている町のこころが伝わってきました。

続けて浦上天主堂司教座に行きました。
やはり明日を控えているためか多くの方が祈りをささげていました。
38年前に来日されて祈りをささげたヨハネ・パウロ二世の像がありました。

そして、平和記念公園に足を向けました。
明日は確実に雨と聞いてレインコートとビニールシートは持ってきたのですが、
「使わないほうがいいなぁ」と思いながら、比較的あたたかな夜道を歩くと青い光に導かれるように平和記念像にたどり着きました。

ここは昔、子供たちを連れて長崎に来た時に訪れたところです。
当時「長崎原爆資料館」で特に焼けただれたマリアさまの像がこころに突き刺さり
その足で記念像に来て天に突き出した指先に、強い平和への祈りを感じたことが思い出されました。
その子供たちも三十才を過ぎ、すでにそれぞれ家庭を持っています。
年月の長きを感じながら、ライトアップされた記念像を見上げました。

「さあ、明日はどうやって来ようか。混むだろうなぁ。」と思いながら、投宿するホテルにチェックイン。
しようとしたら、予約されていません。「そんなことないでしょ!!」と、持参した予約メールをみたら、1か月前の10月23日の予約日になっています。
「ありゃ~。間違えた。」
「年取ったわねぇ」と揶揄されながら、“今日はどこも一杯だし…”と困っているとフロントの方が奥に入り、戻ってくると「一部屋空いています」とのこと。
路頭に迷うところだったのを助けられました。

長くなりました。これが二つ目の奇跡です。

 

第三の奇跡

朝、案の定雨がしとしと降っていました。
満員の路面電車で「平和公園」の駅まで。(9時15分)

長崎県営野球場につくと係の人に誘導されて入場となりました。
セキュリティが厳しく、貴金属は別の袋にまとめて身体検査を受けての入場です。
雨が降り続いています。(10時20分)

所定のアリーナ席まで来ると、すでに座っている方が多くいました。
皆レインコートを用意していますが雨脚が長く、パイプ椅子に座って、ただただひたすらに雨に打たれ続けました。(11時15分)

一緒に雨に打たれている隣のご夫婦に話しかけました。
大阪から来られたとのことで、代々のカトリック信者ということでした。
娘さんとお孫さんと一緒に来たが、お孫さんが頭痛で朝こられなかったので、ご夫婦だけできたとの事。
「フランシスコ教皇にお会いする前の滝行みたいだね」と笑いながら、ひたすら雨に打たれていると、「あれっ空が少し明るくなったところがあるよ!!」(11時20分)

会場前のスクリーンにフランシスコ教皇の献花をささげる姿が映りました。
「あれっ 晴れてきた!!」(12時5分)

それからは見る間に雨があがり、御ミサの始まるちょっと前には全天青空。
(12時45分)

その時です。となりのご夫婦の奥様に一本の着信。
「孫が良くなったので、娘がこれからきますって」と笑顔。
「それと…孫がね…。この雨があがったら洗礼を受けるって言っていたの。
今ね、洗礼を受けるって電話なの!!」
これが、第三の奇跡です。

 

第四の奇跡

14時に近づいたころ、突然場内に「フランシスコ教皇がこちらに向かわれると連絡が入りました」とのアナウンス。場内がざわめきました。
突然、後方で大きな歓声と共に皆が立ち上がる姿が…。
なんと、アナウンスの声と共にフランシスコ教皇が「パパ・モービレ」に乗って現れたのです。
皆その姿を見ようと立ち上がり旗を振りました。
しばらくすると、目の前をパパさまが通り過ぎました。
皆にこにこです。

御ミサが始まりました。
日の光が祭壇の上から降り注ぎ暑いくらいです。
「神さま。やりすぎっ」と思いました。

正直に言いますと、スクリーンに映し出されるパパさまのメッセージは、あまりにまぶしくて、しっかりと読み取れませんでした。(後に活字になったものを読むことができました)

わたしが感動したのは、「共同祈願」でした。
日本語や英語だけではなく、スペイン語や韓国語、タガログ語、ベトナム語など、国の境を超えて皆で唱えたことです。それも(当たり前のことと言ってしまえばその通りですが)なんの躊躇もなく、滞ることなく、皆で想いを捧げたことです。

「わたしたちの地球のための祈り」から始まった御ミサ。
来日のテーマである「すべてのいのちを守るため」に通じるものを感じました。
そして、そのあとの聖体拝領。
たくさんの司祭が全国から集まり、会衆の一人一人に御聖体をいただきました。

今度はスクリーンを見ていた妻が「あっ!」と叫びました。
「シモンチェリ神父さまがいる」
見ると、白髪のシモンチェリ神父さまがスクリーンに映っているではないですか。
びっくりです。
わたしたち夫婦は、神父さまが東京におられる時から大変お世話になりました。
いつも「目は何のため? 足は何のため? こころは何のため?」「こころは時空間を飛び越えます。相手のことを考えたらいつでも会うことができますよ」とやさしい笑顔でお話ししてくださいました。大分に移られて一度お会いしに行きましたが、もう90才になられているはず。元気な姿をスクリーンで見た時はびっくりです。
いつもどうされているかと話し合っていました。

そのあと、退堂の時に近くを通る神父さまに声をかけることができました。
これが、第四の奇跡です。

 

第五の奇跡

フランシスコ教皇が退堂されても、まだ場内は興奮でざわめいていました。

そんな中、ひとりの女性が笑顔で飛び込んできました。
松山にいらっしゃる方です。日頃お会いすることはできませんでしたが、
まさかここでお会いするとは。妻と一緒にびっくりするやらうれしいやら。
三万人の会衆の中から見つけてくれました。
会場を出て、長距離バスのターミナルにトイレを借りに行ったら、またもや
別の知り合いに会うことができました。
日頃お会いすることのできない方に会うことができました。
これが第五の奇跡です。

私たち夫婦は、その後長崎ちゃんぽんと皿うどんを食べて、最終便で横浜にもどりました。

今回、教皇ミサに列席できたことはもちろん大変な喜びでしたが、いろいろな奇跡を通じて感じたことがありました。
それは、「奇跡は望んでいるから起きる」ということ。
望んでいるから奇跡と感じるのかもしれませんが、奇跡は不思議なものではなく喜びの結果なのだと言うことを強く感じました。
たくさん喜びをもってたくさん願い、祈ることが奇跡を呼ぶのだと思いました。

また、フランシスコ教皇は、ご年齢にもかかわらず精力的に長崎・広島と被爆地を訪れ、震災の被害者ともお会いしました。
核兵器の根絶を強く訴えるとともに、地球環境への思いを優しくお話しされました。
「すべてのいのちを守るため」に私たち日本人ができることは何かを優しく語りかけました。

奇跡と同様に私たちが望めばかなえられるのです。
そこに未来への希望を感じることができました。

 


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