旅を通して招かれるもの


K.S.

新型コロナウイルス感染症の拡大による行動制限も緩和され、旅に出かけてゆきやすい日常が戻ってきました。旅は、日常から離れ、自分の知らなかった価値観や思いに触れることができる出会いの場であると感じています。その経験を通して、日常に戻ってきても生活の変容が促されていると思います。私は最近、自分の知らなかった歴史や人々の思いに触れる旅の経験をしました。群馬県の草津温泉に足を運び、途中にカトリック草津教会を訪れる機会がありましたので、その体験をほんの少し分かち合わせていただきます。

はじめに、草津温泉とハンセン病、そしてキリスト教には、密接な繋がりがあります。草津温泉は、明治時代からハンセン病に効能があると言われ、多くのハンセン病者の方が集まってきていたと伝えられています。このような状況を鑑みて、国立療養所として栗生楽泉園が設立されたという経緯もあるようです。また、草津の人々に最初にキリスト教を伝えたのは、パリ外国宣教会の神父でした。その後、聖公会の宣教師、司祭たちの尽力によって、教会だけでなく病院や学校などの多くの施設が完成し、草津の地にハンセン病者が集落を形成するようになりました。

カトリック草津教会は、国立ハンセン病療養所である「栗生楽泉園」内の教会であり、入所者のために創設されることに至りました。教区としては、カトリックさいたま教区に所属しています。園内の施設からは少し離れた、緑の木々に囲まれた森の中に、その小さな教会はひっそりと存在しています。今回は、信徒の方の希望で聖母の被昇天を記念したミサが行われました。私は友人から声をかけられ、初めてこの教会を訪れました。ミサのために集まって来られたのは、パリ外国宣教会の神父様や、関係のあるごく少数の方々です。

ミサの福音は、ルカ福音書の1章から取られ、その中でマリアの賛歌が読まれました。

わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。

上記の言葉には、教会の母マリアが自分の身に降りかかる出来事に対して、どのように受け止め、向き合ったのかが凝縮されて表れているように感じました。同時に、信徒の方々はこの言葉を一体どのように受け止めて、これまで信仰を育んでこられたのかを、深く考えさせられました。

私は今回この教会に足を運ぶまで、カトリック草津教会の献堂の経緯や、草津温泉とハンセン病、そしてキリスト教の関わりについて、ほとんど知る機会がありませんでした。現在、新しい発生患者の減少や入園者の高齢化が進み、楽泉園の入所者は40名になりました。このような現況において、信徒の方は静かに祈りを捧げ続けておられます。私は、自分がこの時に居合わせた意味を深く考えながら、同世代の青年たちにもぜひここを訪れてほしいと考えました。

草津への旅を通して、旅は招きそのものであると実感しています。旅先で出会う、多くの人、物、風景――。私たち一人一人は、それらすべてから新たな可能性の地平へと招かれています。私も草津の教会でミサに与り、また教会の方々と出会い、困難な状況において祈り続けることの意味を改めて問われていると感じます。また、このことを伝え、考えてゆくミッションへと招かれたという責任も痛感しています。

 

【参考資料】

  • 『国立療養所栗生楽泉園』公式ホームページ
  • 中村茂「草津湯之澤における聖バルナバ・ミッションの形成と消滅―コンウォール・リー女史とハンセン病者救済事業について―」、『桃山学院大学キリスト教論集』第35号、桃山学院大学、1999年3月。

 


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