Doing Charity by Doing Business(5)


山田真人

前回の記事を始め、連載の一連のテーマとして、NPOが学校の探究活動の時間などを通して教育現場に関わることや、カトリックの信者として教会という「第三の場所」に参加し典礼で奉仕することを取り上げ、それを通してキリスト教の重要な価値観を育てることができるということを指摘してきました。それでは、こうしたNPOが届ける支援をするという体験、つまり「与える」体験の意味は、果たしてどのようなものなのでしょうか。キリスト教の中で用いられるカリタス(英語で言うチャリティ)という言葉の意味と、歴史的意義を考えながら、その価値の理解を深めていければと思います。

大阪ボランティア協会監修の『基礎から学ぶボランティアの理論と実際』によれば、日本では1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が施行され、本格的に非営利活動が注目を浴びるようになったとあります。一方、長い間イギリスやアメリカではチャリティという法人格があり、Charity Commissionという政府機関で厳密に管理をされています。このように考えると、日本での非営利活動はまだ歴史が短く、信頼も充分に固まっていないかもしれません。そんな中で、私たちはどのようにNPOの活動を通して、チャリティと向き合えばいいのでしょうか。

英語のチャリティは、ラテン語のカリタスから来ています。キリスト教ではこれを「神の人間に対する恩恵的愛とそれに応える人間の神に対する感動」を意味するとしています(『岩波キリスト教辞典』P240)。従って、チャリティは「感動」から来ているということで、とても人間的な心の動きであることが分かります。その特徴を明らかに示す方法として、フィランソロピーとの対比があります。フィランソロピーとは、○○○という意味(○○○のこと)で、人間同士の共感から始まる部分がチャリティと似ているように受け取られますが、社会課題の根本的な解決を目指すという戦略的な面が押し出されています(『共感革命 フィランソロピーは進化する』日本フィランソロピー協会、P4)。こうした意味から、日本では企業が取り組むSDGsやCSR(企業の社会的責任)と繋げて、論じられることが多いです。

こうした神への信仰から来る「感動」を基にしたチャリティの姿は、実世界ではどのように展開してきたのでしょうか。歴史的な例として、先進国の一つであるアイルランドを取り上げ、考えていきたいと思います。

現在、アイルランドは世界寄付指数において、ヨーロッパの国の中でも上位にランクインしている国です。世界寄付指数は、金銭の寄付、ボランティアの頻度などを表す世界的な指標です。しかし、アイルランドには、過去最貧国の一つであった時代があります。1845年から1851年までに起こったじゃがいも飢饉は、カトリックであったアイルランド人が英国から差別を受けていた社会的困難に加えて、さらなる追い打ちをかけました。

そんな中で、ブリジッド・オコネルという女性個人の家庭の悲惨さがメディアに取り上げられたことをきっかけに、世界中から支援が届くようになりました。その支援の一つが、何とアメリカの先住民のチョクトー族からのものでした。チョクト―族は当時、大統領のアンドリュー・ジャクソンの先住民排除計画によって苦しんでいましたが、差別と飢餓という同じ苦しみを抱えていたアイルランド人に対して支援をしたのです。

アイルランド南部のコークにある 'Kindred Spirits' Sculpture。写真は Atlas Obscura より抜粋

こうしたアメリカ先住民からの支援により、アイルランド人は大きな危機を乗り越え、その後の経済成長の一端となったことが指摘されています。また、一連のチョクトー族の支援に感謝し、南部のコークには 'Kindred Spirits' Sculpture が建てられています。

しかし、これでアイルランドとチョクトー族の関係は終わりません。この出来事のお返しとしてなのか、2020年のコロナ禍でチョクトー族が経済的困難に直面した際、アイルランド人は彼らに資金を送ったということが、Good News Networkで取り上げられています。

このチョクトー族とアイルランド人のエピソードを、始めに分析したチャリティの概念と繋げ、2点のことをお話ししようと思います。それは、与える体験の重要性とその循環の姿です。チョクトー族は自分が苦しんでいるにもかかわらず、むしろそれが理由で同じ種類の苦しみにあるアイルランド人を同胞のように感じ、贈与を実施します。それは、自分に将来益があることを考えた行為ではなく、純粋な人間の感情からでしょう。そして、苦しい中で自分と同じ境遇の人々を知ったという感動からかもしれません。それが与える体験から来る人間的な感情なのだと思います。

そして二点目は、それが循環していることです。私たちも一般的な感情として、何か他者から受けたものに感謝し、それに対してお返しをしたいという感情が生まれます。こうした相互関係が自然に社会に多く形成されることで、チャリティが文化として宿っていく可能性があります。

最後に、教育との繋がりについて、指摘してみようと思います。自分の周りで何が起こっているのか、どんな人がいるのかについて、学校という環境だけでは充分に広いとは言えないかもしれません。そこで、NPOなどの外部機関と連携することで、他者が抱える課題に触れる機会を増やすことができます。それが、与える体験とそこから生まれる贈与の循環を増やすきっかけとなり、チャリティを現代の文化として広げることにも繋がります。こうした教育現場の応用が、キリスト教的に言えば神への感謝、感動の体験と繋がることができれば、キリスト教教育の根幹にも繋がるかもしれません。そして、私たちの信仰の教育、養成にも繋がる可能性があります。次回は、アフリカのマラウイの例を通して、国際支援とチャリティを具体的に論じていきます。

 

山田 真人(やまだ・まこと)
NPO法人せいぼ理事長。
英国企業Mobell Communications Limited所属。
2018年から寄付型コーヒーサイトWarm Hearts Coffee Clubを開始し、2020年より運営パートナーとしてカトリック学校との提携を実施。
2020年からは教皇庁、信徒、家庭、いのちの部署のInternational Youth Advisary Bodyの一員として活動。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

two + eleven =