ママのばか(2)ぼくね、プリンセスになるの


片岡沙織

双子の子どもたちが3歳になったばかりの時、長男から「プリンセスになる」という宣言を受けた。
もちろん、プリンセスという存在をはっきりと理解しているわけではない。しかし、テレビに映るアニメのプリンセスを、とびきり魅力的な存在に感じたのは確かだ。

母である私は、とっさに「いいんじゃない」と答えてしまった。

彼には、好きな物がたくさんある。
アンパンマンのキャラクターの「めいけんチーズ」、ドラえもん、そしてディズニープリンセスの美女と野獣の「ベル」である。
それらのキャラクターをお店の棚で見つけると、一目散に走って行って、買ってほしいと言う。

では次男の方はどうかというと、「男の子ってこういうの好きだよね」とよく言われる。
例えば、電車や新幹線が大好き。小さな頃から図鑑を眺め、殆どの名前を覚えてしまった。
アンパンマンのキャラクターでは「カレーパンマン」、ポケットモンスターの「ピカチュウ」、ディズニーキャラクターでは「ベイマックス」が彼の好きな存在だ。

この時点で、私は子育ての仕方に悩むのである。
この子たちをどのように育てていけばよいのだろうか?と。
今や、多様なジェンダーの在り方があると知っている。しかし、現在もなおジェンダーギャップは私達の価値観に根深く影響している。

「男の子なのに、ピンクのランドセル? いじめられちゃうよ?」
「女の子なんだから、もっとおしとやかにしなさい。」
皆さんは、男だから、女だから、という理由で何かをあきらめたり我慢したりした経験はあるだろうか。

これについては個人差があると感じている。私の職業は教員で、授業でこのようなことを生徒に問いかけることがあるのだが、返ってくる答えは千差万別。そんな体験あまりしたことないと言う子もいれば、逆にものすごく疑問や不満を持っている子もいる。中には、スカートをはくことにとても抵抗を感じる子や、なぜ男性が短髪(本校のルール)でなければならないのかと不満を持つ子も少なくない。

今、特に家庭においては、「男の子はこう」「女の子はこう」と枠にはめていく教育の時代ではないのではないか。
すると一番良いのは、本人たちが「好き」な事・物を受け止めていくことなのか。

というわけで、ここから私の好奇心が掻き立てられるのである。
出来る範囲で、自分の子どもたちをジェンダーフリーに育ててみようじゃないかと。

私が最初に取り組んだのは、おもちゃ。
最近のおもちゃ売り場は、「男の子向け」「女の子向け」という売り方はしない傾向にあるようだが、おもちゃそのものはそうではない。
例えば、長年に渡って愛される人気のおもちゃ「メルちゃん」。最近、この「メルちゃん」シリーズに男の子のキャラクター「あおくん」が誕生した。しかしこの男の子の人形さえも、欲しいと言って買ってもらうのは女の子が多いのだろうなと予想する。
一方、ヒーロー戦隊もののグッズは、主なターゲットは男の子であろう。
そしてついに、男の子がプリキュアになる時代が到来したものの、プリキュアのおもちゃを買うのは女の子が圧倒的多数であろうし、プリキュアのグッズを持つ男の子に対して、少しの疑問も持たれずに受け入れられることも少ないと思う。
さて、これはいかがなものか。

日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中125位(2023年度WEF報告書より)。子どもが生まれた時から無意識に「男子はこうあるべき」「女子はこうあるべき」と軌道修正され続けられることが、大人になってからのジェンダーギャップに少なからず影響するのではなかろうか。
もちろん、産まれてすぐの第1次成長期に体内で作られる性ホルモンによって、趣向に傾向の違いがあらわれることは承知している。次男は、赤ちゃんの頃から車のおもちゃが好きだ。でもそれは個人差があるのだ。双子の長男は、車に見向きもせず、おままごとをしていたのだから。

男の子だからと青系のベビー服を着せ、車や恐竜、電車、戦隊ヒーローもののおもちゃを与え、お人形遊びをやめさせようとするなど、大人が枠を作り、「男の子なんだから」「女の子なんだから」とその枠組みに合うように子どもが育つことを期待した社会では、いくら女性活躍! ジェンダー平等!と言われようと、変わるものも変わらぬのではないか、と思うわけだ。
そして何と言っても、自分の子どもたちが、ジェンダーを理由に、女性に料理をさせるのは当たり前と思うようになったり、子育ては当然女性の仕事だなどと思うようになったりする人間にはなってほしくないのだ。

というわけで、時は来たり。
3歳のクリスマス。あえて彼らに、お世話するお人形「メルちゃん」を与えてみた。
結果から言うと、これが大ヒット。
双子の彼らは、メルちゃんを取り合っては、おむつ替え、食事の世話、入浴の世話などをかいがいしくしている。お着替えをさせて、歯の仕上げ磨きをして、一緒に床につくこともしばしばある。その行動の多くは、母である私を真似た行動であった。「男の子も、メルちゃん大好きじゃん!」単純にそのように思った。このことは、私にとって大きな気づきであったし喜びであった。
このおもちゃの箱には、このような記載もある。
『⾃分と他者の⼼の動きは違うことを理解する力(心の発達)、気持ちを共有し、他者を思いやる力(心の発達)、言葉を理解し、伝える力(言葉の発達)を育みます』と。
これは、ジェンダーに関わらず、人間誰しもが必要な力ではないだろうか。わが子がこのような力を育んでくれたらどんなに素敵なことだろうか。

そして、その後職場の同僚とクリスマスプレゼントの話をした際に、やはりこのように言われた。
「え、男の子なのに?」
さらには、最近次男はこのような発言もする。
「メルちゃんは、女の子の遊びだよ。」
まだ4歳の子どもが、早くも社会に適応していると感じた出来事だった。

社会のジェンダーギャップは、思った以上に手強い。
しかし希望はある。
同じことを考え疑問を抱いている親は多いのだと思う。

「生殖」という枠組みの中では、「男」と「女」の役割は明確かもしれない。
しかし、「社会」「家族」といった枠組みの中ではどうか。「男の役割の理想」「女の役割の理想」は、もはや過ぎた時代の産物だとは言いすぎか。その人の持つタレント。それがその人の役割なのではないか。
聖書の中でも、タラントン(貨幣の単位。英語「タレント」の語源)は増やし様によっては、何倍にでもなる。
子どもが子どものうちに親が出来ることは、その子が持っているタレントが素晴らしいものだと信頼し、枠組みにとらわれずに、どれだけ自由にそのタレントを増やしていけるか、その後押しをしてあげることなのかもしれない。

だから、「ぼくね、プリンセスになるの」。
この長男の言葉を、彼の母として誇りに思い、大事にしたい。

 


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