落下の解剖学


夫婦とは、他人同士が結ばれ、生活することですから、生活する中でさまざまにぶつかり合うことも、すれ違うこともあります。そんな中で、お互いに折り合って生きていくものだということを改めて実感した作品に出会いました。それが今回ご紹介する「落下の解剖学」です。

ある日、ドイツ人のベストセラー作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、自宅で学生からインタビューを受けていました。屋根裏部屋のリフォームをしていた夫のサミュエル(サミュエル・タイス)が、大音量で音楽をかけ始めます。サンドラは取材を中断し、また別の機会にと約束し、学生を帰らせます。

その自宅は、サミュエルが生まれ育ったフランスの人里離れた雪山に、ぽつんと佇む一軒の山荘です。サンドラは、教師を務めながら作家を目指すサミュエルと、11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)、そして愛犬のスヌープの3人と1匹で暮らしていました。

ダニエルがスヌープの散歩から戻った時、サミュエルが頭から血を流し、横たわる父親に気がつきます。ダニエルは、4歳の時交通事故が原因で視覚に障碍があります。かすかな視界の中で頭から血を流し横たわる父親に気づいたのです。ダニエルの叫び声を聞いたサンドラが駆けつけると、サミュエルの息はすでに止まっていました。

検視の結果、死因は事故または第三者の殴打による頭部の外傷だと報告されます。サミュエルの死は、事故か、自殺か、他殺かが焦点となります。殺人となれば、状況から容疑者はサンドラしかありえません。サンドラはかつて交流があった弁護士のヴァンサン(スワン・アルロー)に連絡を取り、久しぶりに再会した彼にすべては自分が昼寝をしていた間の出来事だと説明します。

ヴァンサンは、「サミュエルは窓から落下して物置の屋根に頭部をぶつけた」と申し立てることに決めます。さらに、窓枠の位置の高さから、事故ではなく「自殺」だと主張するしかないと説明しますが、サンドラは「息子の目の前で自殺するはずがない」と一度は異を唱えます。しかし、半年ほど前、夫が嘔吐したことがあり、吐しゃ物に白い錠剤が混じっていたことを思い出します。

捜査が進み、検察はサンドラを起訴する決断を下します。その起訴理由は驚くべきものでした。保釈されたサンドラにヴァンサンは、「なぜ僕に黙っていた」と詰め寄ります。サミュエルの死の前日に、夫婦が激しく口論し殴り合うような音声録音が、サミュエルのUSBに残されていたというのです。

それはまだ夫婦の謎に満ちた関係の入り口に過ぎなかったのです。裁判が幕を開けると、証人たちや検事から次々と夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ〈真実〉が現れてきます。審理は混沌を極め、真相が全く見えない中、一度は証言を終えた息子のダニエルが「もう一度証言したい」と申し出ます。息子のダニエルがなにを語るのか、そして裁判の結果は、それは観てのお楽しみです。

監督のジェスティーヌ・トリエは、「ある夫婦の関係が崩壊していく様を表現したいと思ったのが始まり。夫婦の身体的、精神的転落を緻密に描くことによって、二人の愛の衰えが浮き彫りになっていくという発想から出発しました。 」「売れっ子作家のサンドラ・ヴォイテールと、息子のホームスクーリングをしながら執筆活動をしている教師の夫サミュエルは、役割を逆転させることで伝統的な夫婦の形に挑戦状を叩きつけている。サンドラは自由を求め、自分の意志を通そうとする。しかしそれによって不均衡が生じ、強力でありながらも不確かなこの関係の中で平等とは何を意味するのかを探ることになる。本作が観客に呼びかけるのは、人間関係における平等に対して抱かれがちな固定観念への疑問。そしてその平等が、独断的な欲求や対抗意識によっていとも簡単に崩れてしまうものなのだということです。この夫婦は、葛藤しながらも自らの理想にしがみつき、理想ではない状況に決して甘んじない。その姿勢は称賛に値すると思う。2人は口論を通して互いと交渉し、そ の中でもお互いに対して正直であり続ける。それ は、困難に直面しながらも、お互いを深く愛して いるということを象徴しています。 」と語っています。

夫婦の形はさまざまですが、夫婦に内面するさまざまな事象の中から、お互いに理解し、平等とは何なのか、そしてそれぞれが理想を追求する夫婦像は、私たちに生きるとはどういうことなのかを問いかけているように思います。

中村恵里香(ライター)

 

2024年2月23日(金・祝)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー

公式ホームページ:https://gaga.ne.jp/anatomy/

X: @Anatomy2024

スタッフ

監督:ジュスティーヌ・トリエ /脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ

出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ

 

2023年|フランス|原題:Anatomie d'une chute152分|配給:ギャガ

©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

eleven − seven =