『平和憲法をつくった男 鈴木義男』


『平和憲法をつくった男 鈴木義男』
仁昌寺正一著、 筑摩書房(筑摩書房選書)、2022年、1800円+税、本文352頁、

 

鈴木義男という人をご存知でしょうか。私は、今回紹介する『平和憲法をつくった男 鈴木義男』という本を読むまで、鈴木義男という人について名前も聞いたことがありませんでした。ですが、鈴木義男に関する「初の本格評伝」で『平和憲法をつくった男』を読み終わった時には、すっかり鈴木義男という人に魅せられてしまいました。

ところで、鈴木義男は一体何をした人なのでしょうか。本書のタイトルに示されている通り、『平和憲法をつくった男』ということができますが、彼の業績はそれに限られません。著書の仁昌寺正一は、鈴木義男を大正デモクラシーの思想を戦後民主主義につなげた人物であるとしておりますが、同時に、統合された鈴木義男像の提示が難しいことを認めています。というのも、鈴木義男は学者、弁護士、政治家として活躍した人物であり、そのどの領域においても業績を残しているため、一言で「何をした人」というのが難しいのです。

1894年、福島県で牧師の息子として生まれた鈴木義男は、メソジストの信徒として育てられました。キリスト教人道主義の立場から社会主義に共鳴していた父の影響を受けた義男は、生涯、キリスト教の信仰と社会主義の理念を貫くこととなります。

ミッションスクールである東北学院に進学した義男は、学院の二代目理事長となるシュネーダーと親交を深めます。中学時代に懸賞論文で一等を受賞したこともある義男は、高校では弁論部に入り、政治家を志すようになります。東京帝大に入学した義男は、大正デモクラシーの中心人物の一人である吉野作造に師事し、民本主義への理解を深めました。吉野の研究者としての側面からも感銘を受けた義男は、政治家ではなく学者となり、東京帝国大学法学部に勤務するようになりました。

第一次世界大戦後の1920年からヨーロッパに留学した義男は、欧米における最新の法理論を学ぶ一方で、大戦によって灰燼に帰した世界を目の当たりにして戦争の愚かさを実感しました。当時最も先進的と謳われたワイマール憲法の精神などを学んだ義男は、帰国後、東北学院大学法学部の「花形教授」として活躍するようになります。しかし、拡大する軍部ににらまれた鈴木義男は、共産主義者として糾弾され、職を追われてしまいます。1930年代から1945年までの戦前・戦中の時期には、聖書を裁判所で引用するなど、キリスト教人道主義に基づいた人権派弁護士として活動しました。

戦後、日本社会党から出馬して当選した鈴木義男の政治家としての初仕事は、日本国憲法に関することでした。「芦田小委員会」の名で知られる委員会で、帝国憲法改正に関する議論を積極的に行った鈴木義男は、平和条項や生存権規定などの挿入に尽力しました。その後、司法大臣などの要職についた鈴木義男は、生涯に渡ってキリスト教人道主義に基づく民主社会主義の理念を追求しました。

改憲議論が活発になっている今日、最大の争点となっている九条形成に大きく寄与した鈴木義男という人物について学ぶことは、改憲の賛否を問わず、大きな意味があると思われます。本書は、日本国憲法成立に関する歴史を学ぶことができるだけでなく、その形成に関与した人が改憲に関してどのような考えを持っていたかを知ることもできます。また、そうした特定の議題のみならず、今日の民主主義に未来を託した一人のキリスト者の人生を知ることは、様々な刺激になることでしょう。

石川雄一(教会史家)


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