ノア・ゴードン著 『最後のユダヤ人』(木村光二訳、出版:未知谷、2021年)


町田雅昭

私は元来本を読むのは苦手です。映像の方が好きといっても映画をよく見るわけでもありません。好きなのは映像で見る世界、特に記録映像です。その私が本書には魅せられ、一気に読み終えました。(税込6,600円だったので、四ッ谷の聖三木図書館に買って貰って最初の貸出者になりました。)一つは舞台が中世のスペインで私にとって身近に感じられたこと、二つ目は主人公が隠れユダヤ教徒であり、私が関心を寄せる潜伏キリシタンと共通する面があること、三つ目は翻訳者が私の友人であることが主な理由です。

ノア・ゴードン著 『最後のユダヤ人』(木村光二訳、出版:未知谷、2021年)

この本を書いたのはユダヤ系アメリカ人ジャーナリスト兼作家のノア・ゴードン(1926―2021)。これは異宗教間の軋轢の中を逞しく成長する主人公を描いた壮大な創作歴史小説(ドラマ)です。時代及び場所設定は16世紀後半から17世紀初頭の現在のスペイン。キリスト教国がイスラム教国をイベリア半島から追い出し領土を回復したレコンキスタ(再征服)の時代です。その中で聖マリアの母、聖アンナの聖遺物を巡る聖職者や領主の欲望により父と兄を殺害され、孤児になったヨナが主人公です。

ヨナは最初キリスト教徒への改宗者(コンベルソ)を装い、危険になると逃げ出し、いろいろな職業を経て、後半は武具師見習いから武具師になりますが、危険になるとそこも離れ、頼った先の医師のところで見習いから本当の医師となり、常に宗教裁判所の恐怖と闘いながらも、最後には父と兄の殺害者たちを確信します。その頃には復讐心が抜け落ちて半狂乱となった首謀者を最期まで介護し、自宅に作った秘密の礼拝室で家族とともに静かに祈るのでした。

 

実は私の最初の本格的な海外旅行は、会社で定時後に習っていたスペイン語教師の企画したスペインツアーでした。フリーの日にまず最初にマドリッドから電車でトレドに行って、トレドの駅から歩いてタホ川の対岸の見晴し台からトレドの街を見下ろしました。石橋を渡って、門をくぐって旧市街のマヨール広場に出て、質素な王宮と立派なカテドラルに行きました。またセゴビアとアビラにも行ったし、コルドバ、セビリア、そしてグラナダではアルハンブラ宮殿とサクラモンテの丘のジプシーの洞窟にも行きました。コスタ・デ・ソルの海岸線をバスで走ってバルセロナへも、そしてバルセロナはその後仕事でも、そしてJTBのスペイン旅行にデトロイトから現地参加したことも。ということで小説に出てくる地名や風景・情景をうまく頭に思い浮かべることが出来ました。

それとメキシコやサン・マリノで入ったTorture Museum(拷問博物館)での宗教の偏狭な凶悪さ、特に聖職者?が考案した拷問器具等々の実物展示やプラハの火炙り刑のあった広場等も見ているので、拷問シーンや処刑シーンも迫力を持って迫ってきました。日本の潜伏キリシタンとの比較、特に「沈黙」、「日本の信徒発見」、津和野の殉教等を思い浮かべながら、時代が時代なら、自分はどの道を歩いたか、まずコンベルソ、ただしヨナのような強さと機転はないし、……とその時が来ないと分からないというのがどうやら私の結論ですが、たぶん怖くて逃げ出して密告をして放免され、みんなから軽蔑される弱い弱い人間の可能性が大。それゆえにこのヨナのような生き方に感動します。

宗教が紛争の原因というのは悲しすぎます。原理主義ではなく、寛容さを持ってお互いを受け入れる精神が必要です。相互理解と和解を通して平和が訪れます。レコンキスタ前の250年間トレドではイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒がお互いに平和共存していたそうで、するとキリスト教が偏狭であって問題を作り出したとの解釈も成り立ちます。今の世界でも「愛」の宗教であるはずのキリスト教が紛争の原因を作っているのなら、心が苦しくなります。レコンキスタはイベリア半島でのキリスト教国による再統一というより文字通り「再征服」であり、ユダヤ人やムーア人(イスラム教徒)が実質的に抑圧され追放されました。今のパレスチナでは逆にユダヤ人の入植が火種だし、インドの独立時には結局インドと東西パキスタンに分かれてしまいました。民族による分断、宗教による分断、そして民族浄化となると人間は全く進歩していないと思えます。

今はプロテスタントとカトリック間ではエキュメニカル運動があり、仏教やキリスト教、イスラム教では世界宗教者会議があり、努力はされていても、世の中にお金、資源、権力、富への欲望、富の極端な偏在がある限り、対立・抗争・紛争・戦争はなくならない。ユダヤ人は科学や芸術で大きな貢献をしていますが、金融関係では大きな力を持って世界の政治経済までも動かす力があるといいます。人間の性、それとも悪魔の仕業? 不条理が多過ぎる。だから小説が成り立ちます。でも最後は神様の世界になって善良な人々が神を賛美する! そのために我々は小さな努力をします。一人ひとりに役割があります。そう思うこの頃です。

 

最後に翻訳者の木村光二さん、彼との出会いは、大学時代の友人からのお誘いで2009年3月淳心会のコレーン神父様のエルサレム巡礼に参加した時です。木村さんは旅行会社の添乗員でした。イスラエルのキブツでも働き、ヘブライ大学で勉強された経験と学識、幅広い友人をお持ちです。帰国後はカトリック松原教会でコレーン神父様による聖書勉強会が月一で始まり、小生も参加しましたが、木村さんも参加され、長い間ご一緒でした。(神父様の姫路本部への移動後も月一で続いていましたが、コロナ発生後は中断。)彼から今度本を翻訳出版したからぜひ読んでと声が掛かったのです。

最初は分厚い本だな、読むのが大変と躊躇したのですが、どうも中身は中世のイベリア半島の隠れユダヤ人の物語、ということでそれなら興味があるということでの『最後のユダヤ人』との出会いでした。スリルとサスペンスあり、時代背景の勉強にもなり、それ以上に宗教とは誰からも奪われない自分の心の中の聖域、生きる理由の源と思えるようになりました。著者のノア・ゴードン氏と友人の木村光二さんに感謝、感謝です。

P.S.   『最後のユダヤ人』を読んだ後、暫くして読売新聞の「世界史アップデート」シリーズにタイミング良く「イベリア半島の三宗教」が掲載されました(2023年7月11日夕刊)。副題が『異教徒「共存の奇跡」』、時代背景とその大きな流れを理解するのにとても役立ちました。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

fifteen − 2 =