特集57 収束の見えない感染拡大の中で


目を向けていく勇気と忍耐

“コロナ禍”あるいは端的に“コロナ”と呼ばれる状況に見舞われて1年半。わたしたちの日常は、大きく変わってきました。「三密回避」はすでに定着した用語となり、行動様式の一つになっています。

ワクチン接種の浸透に期待が寄せられる一方で、その遅れにやきもきしている人もたくさんいます。混乱の極みにあるともいえる、この国、この社会の中で、わたしたちの間で、家族や親しい人を亡くした方の悲しみ、病床での苦しみ、生活・仕事面での困窮、精神的な疲労がじわじわと広まっています。そうしたなかで、身の回りの身近な人の治療、看護、生活支援に尽くしている人の働きにも感謝しつつ、状況の深刻さから目を背けずに、その意味するものに心を向けていく、今は忍耐の時であるのかもしれません。

世界中の人々を巻きこんでいるこの感染拡大は、思いがけないかたちで、社会のしくみ、国家のあり様、国際社会の姿の一端をわたしたちの前に浮かび上がらせています。そうしたなかで気づかされることを言葉にしていくことは、新しい世界観、人間観の芽生えにもなっていくかもしれません。メディアは、そのようなことばが拾い上げられ、共有され、刺激し合っていく場となるべきなのでしょう。

テレビ、ラジオ、SNSを通じて聞こえてくるさまざまな声にも耳を傾けつつ、エンターテイメント、教育、医療、教会といった現場に立つ人々の所感を、ここでも分かち合ってみたいと思います。そこに見えてくる、国、社会、人の心、そして、信仰とは……?

 

“コロナ”が気づかせてくれたこと

「全ての部活動を中止する」「旅行しない」、オリンピックは開催される

映像配信ミサに参加して思う

医療現場と私と教会

神のみ前に声で立つ

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

two × one =