歴史探訪~~ペスト流行時の救難聖人 聖ロクス


石井祥裕

事典編纂の仕事に携わりながら知った副産物のような知識でしかないが、聖ロクスという救難聖人のことを紹介してみたい。

聖ロクスは、モンペリエのロクとも呼ばれる聖人で、14世紀のペスト流行の中で救難聖人とされており、伝記がいくつかあるが、相互に矛盾が多い。ある伝記では、1295年に生まれ1327年に没したとされるが、それだとペストが大流行した1347~49年より前の人物ということなる。別な伝記によると、1350年頃に生まれ1378年頃没したとされている。ペストをはじめ感染症の流行が以後相次ぐなど、そのような文脈で伝えられる聖人となっていく。

クインテン・マツィス(1466頃~1530)画(ミュンヘン アルテ・ピナコテーク) 

結局、史実として確証されることはほとんどないという。ともかくも伝えられるところの人物像はこうである。ロクスはモンペリエの裕福な商家に生まれるも、早くに両親を失う。その後、財産を貧しい人々に譲って、ローマ巡礼に向かうが、その道中、ペストが蔓延する村に立ち寄り、罹患した村人の看病に尽くした。十字架のしるしをすることで治癒を果たしたという。ローマからの帰途、ピアチェンツァに寄ったとき、自身がペストに感染するが、病院に入って人を煩わせるのをよしとせず、森の中に独り入っていき、瀕死の状態にまでなった。しかし、奇跡的に飼い犬によって発見され、奇跡的に救出され、病も癒えたという。故郷に戻った彼は、スパイの嫌疑で捕らえられて投獄され、結局獄死する。そのとき天使が降りてきて、その部屋の壁に「ペスト禍の救難者」という文字が浮かび上がったというのだ。

以上が一般の事典が伝えるところの概略だが、15世紀の前半からロクスへの崇敬は高まり、ペストなどの伝染病やさまざまな病者のための救難聖人として熱心に敬われているということは事実である。フランシスコ会では熱心に崇敬されてきたことから、同会の第三会会員だったとも憶測されるが、その事実もないらしい。1629年、崇敬が正式に教皇ウルバヌス8世により正式に承認された(記念日は8月16日)。

聖ロクスは伝説の彼方の人という印象が強い。しかし、きっとそういう人がいたにはちがいない。崇敬の広まりは明らかな事実で、彼を描く絵画はほんとうに多く、彼を助けた犬がよく描かれている。14世紀のペスト大流行以来、伝染病の脅威が身近であったヨーロッパで、人々の身近な関心事を代表していた存在であったことがわかる。貧しい人や病気の人がいるところを通りすぎることなく、その人たちのためにすべての力を尽くした存在。その一点が、人々の期待と切願を集めていく存在にしたのだろう。

聖ロクスへの崇敬は全世界に広がっていき、ウィキペディア英語版の聖ロクスの欄には、彼にささげられる世界各地の教会名がリストアップされている。ざっとみて、アジア太平洋:106(うち、インド:20、フィリピン:71)、ヨーロッパ:80(フランス、イタリアが多い)、そのほか、北米:25、南米:13などである。

伝説の彼方の聖人ではあっても、その存在が示す、貧しい人や病の人のところに、ひるむことなく入り込み、寄り添い、癒していく姿は、ヨーロッパの霊性にDNA的に入り込んでいるのではないだろうか。

今回のコロナ禍で、自ら感染することもいとわず、患者の霊的ケアのために向かっていった司祭、医療従事者たちのことを聞くにつけ、聖ロクスのような聖人の姿と、その人のことを忘れずに敬ってきた人々の輪の広がりが二重写しになってくるように感じられてならない。

(AMOR編集部;上智大学編、研究社刊『新カトリック大事典』編集実務委員)

 


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