アート&バイブル 70:キリストの昇天


ガロファロ『キリストの昇天』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

この絵の作者は、ガロファロことベンヴェヌート・ティシ・ダ・ガロファロ(Il Garofalo = Benvenuto Tisi da Garofalo, 生没年1476または1481~1559)という、主にフェラーラで活動したイタリアの画家です。ヴァザーリの『美術家列伝』によれば、ガロファロは2度ほどローマを訪れており、彼の作風はラファエロから大きな影響を受けていると思われます。

ガロファロ『キリストの昇天』(1510~20年 油彩板画 314×204.5cm ローマ古典美術館所蔵)

彼の『キリストの昇天』(1518~20年)とラファエロの『主の変容』(1518~20年)は、描かれた時期もほぼ同じで、キリストが空に浮かんでいるような構図、下では弟子たちや人々が驚嘆して見上げている表情や様子に類似性が感じられます。

イエスの昇天について、使徒言行録は1章3~11節で述べています。十字架上で死んだイエスは、40日にわたり弟子(使徒)たちに現れ、自分が生きていることを示し、神の国について話し、食事を共にしたといいます。やがて、使徒たちが見ているうちに天に上げられ、雲に覆われて彼らの目から見えなくなります。天を見つめていた使徒たちの前に、白い服を着た二人の人が現れて、そばに立ち、次のように言うのです。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と。

 

【鑑賞のポイント】

(1)天に昇っていくキリストの視線は地上にいる弟子たちの方に向けられています。この時になっても「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(使徒言行録1:6)と、旧約的なメシアのイメージを抱いており、イエスの真意を理解していない弟子たちのことを心配しているのかもしれません。ちなみにキリストの昇天はラテン語でアセンシオ(ascensio)とい用語で表され、ご自分の力で天に昇っていくことを意味します。聖母マリアの被昇天はアスンプチオ(assumptio)で、「天に受け入れられる」というニュアンス、すなわち、自力で天に上るのではなく、天使たちに支えられて昇っていくという意味合いがあります。

(2)地上にいる弟子たちの数は12人です。昇天の直後に、ユダに代わりマティアスが選ばれたことが使徒言行録1章15~26節に記されています。では、なぜ、昇天の絵に弟子が12人なのでしょうか? 一人だけ鑑賞している私たちに視線を向けている人物がいますが、これは作者ガロファロ自身なのかもしれません。

(3)地上にいる弟子たちの表情も様々です。中央には座って天を見上げている人物は青い服と黄色のマントで下半身を覆っています。青はキリストや聖母の服の色と同じであることから、信頼や知恵を表すのですが、黄色は疑いや裏切りを象徴していると考えれば、この人物はやはりペトロだと考えられます。

ラフェエロ『主の昇天』(1518~20年 バチカン絵画館)

(4)ペトロの両側に書物をもっている二人の人物がいます。この二人は互いにまなざしを向けあっています。書物をもっていることから、福音書を描いたマタイとヨハネではないかと推察できますが、マタイ福音書とヨハネ福音書それぞれのキリストの描き方・伝え方は、趣きが異なります。対立しているとか、反目しているというようなまなざしではなく、どこか互いを意識しているという雰囲気を感じます。

(5)特に右側に描かれているヨハネは書物の間に指を差し入れていますが、これは「この昇天という出来事で救いの歴史は終わったのではありません。まだ途中なのです」というような意味を表しているのではないかと思います。この後に聖霊が降って来ると、ようやくこの弟子たちの当惑や混乱が治まり、真に心を一つにして、キリストの望みである全世界の人々への福音宣教が始まっていきます。そのことを予告しているのではないかと思います。

(6)この絵の弟子たちの描かれた表情の中で、最も興味を惹くのは彼らの手のポーズです。実にその指が指示している方向がバラバラなのです。天を指す者もいれば、地上や他の人々にも向けられています。その様子は、どこか、弟子たちがまだ、イエスのことばに対する理解も一致しておらず、またこの先の自分たちのあり方について、これからの活動について、心が一つになっていないというような心情を表しているのかもしれません。キリストが語られたように聖霊を受けるまで(使徒言行録1:8参照)、彼らはまだキリストのことばを悟っていなかったのです。その混乱、当惑、不安などが彼らの顔の表情やそのしぐさなどに表れているのだと思います。

(7)ガロファロの絵では、天(雲の中)に描かれているのは父なる神や天使たちではなく、聖人、義人たちです。モーゼやエリヤたちかもしれません。

 


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