2 聖歌に込められた祈りと賛美:マリア賛歌を例に


松橋輝子(東京藝術大学音楽学部教育研究助手 桜美林大学非常勤講師)

 

8月15日は日本のカトリック教会にとってとても重要な日です。聖母被昇天の祝日、また、1549年8月15日にフランシスコ・ザビエルが来日したことを記念した、キリスト教伝来記念日でもあります。今回は、日本のカトリック教会の中で歌い継がれてきたマリア賛歌について、紹介いたします。

『カトリック聖歌集』314〈あめなるきさきの〉は、聖母被昇天の聖歌として、20世紀初頭に出版された日本の聖歌集の多くに掲載されており、広く歌われていたことが知られています。

この聖歌の旋律の起源は1843年にパリで出版された聖歌集に遡りますが、その後、ドイツ語の歌詞とともに、ドイツ語圏でも広まりました。18世紀半ば以降の啓蒙思想時代には、カトリック教会内のマリア信心は退潮していましたが、19世紀になると再びマリアへの崇敬と信心が盛んになります。その崇敬の根本は、マリアが処女として聖霊の働きによって身ごもり、信仰と従順をもって、救い主イエス・キリストの⺟となることを受け入れ、それを⾒事に果たしたというところにあります。こうした崇敬や信心の復興とともに、マリア賛歌も増加し、その歌詞の中で、賛美の言葉が豊かに語られるようになっていきます。

ここで、日本において歌い継がれてきたこの聖歌の歌詞に注目してみましょう。マリアへの賛美の言葉が、美しい日本語でつづられてきたことがわかります。

まず、19世紀末から20世紀において日本において最も流布した聖歌集『日本聖詠』を紹介します。この聖歌集は1907年(明治40年)、パリ外国宣教会のルマルシャル師(1842~1912)によって編纂され、司祭や聖歌隊が教会で用いるために印刷されました。

「TEN NO GENKŌ Ⅱ」とのタイトルがつく歌詞は次のようになっています。(なおこの聖歌集の歌詞は、ローマ字で記されています)

(『日本聖詠』ルマルシャル編 明治40年:横浜)

続いて、1911年(明治44年)に横浜で出版された聖歌集『公教聖歌』です。この聖歌集はパリ外国宣教会司祭ドマンジェル師(1868~1929)によって出版され、パリ外国宣教会の宣教地域の日曜学校やミッションスクールなどで用いられました。「聖母の御心」というタイトルになっているこの聖歌は、日本の短歌の伝統を基にした五七調の中で、マリアの特徴を「百合の花」「海の星」など様々なことばで表しながら、賛美の言葉をつづっています。

(『公教聖歌』アンリ・ドマンジエル編 明治44年:横浜)

またこの聖歌は、ドイツの聖歌の伝統を引き継ぐ聖歌集として、1918年(大正7年)に札幌で出版された『公教會聖歌集』にも掲載されています。この聖歌集は、ドイツから来日したフランシスコ会宣教師によって、ミサに与る会衆用の聖歌集として出版され、主に札幌教区で用いられていました。タイトルは聖母被昇天「わが主の御母は」です。

(『公教聖歌集』昭和8年 光明社:札幌)

100年の時を経て、同じ聖歌においても、日本語の変遷に寄り添う形で、歌詞が変化の道をたどったことが見て取れます。

ここでもう1曲、日本において長年歌われてきたマリア賛歌、『カトリック聖歌集』302番〈あまつみはは〉を取り上げたいと思います。

この原曲は、ドイツ語圏においてもっとも有名なマリア賛歌として伝承されてきた聖歌〈Maria zu lieben〉です。その起源は1730年代まで遡り、以来、多くの聖歌集に掲載されています。

ここでは、ドイツ語の歌詞に注目したいと思います。日本語聖歌には訳出されない、きわめて情熱的なマリア信仰が歌い上げられています。

 

1.マリアを愛することは常に私の望みです。

私は私自身をマリアに託しました。

私はマリアの僕です。

マリアよ、私の心はあなたに向かって

愛と喜びで永遠に燃えます。

ああ、天にあって優美な方よ。

 

2.マリアよ、あなたは優しくおとめです。

私の愛を受け入れてください。

私が信頼するように。

あなたは⺟です。

私はあなたの子になりたい。

生きるのも死ぬのも、あなたのためです。(私訳)

 

同じ旋律でも、まったく印象の歌詞が与えられていることがわかります。

今回は2つの聖歌を例に様々な歌詞を紹介しましたが、聖歌の歌詞を通して、祈りや賛美の変わらない心と各時代の感性を味わってみてはいかがでしょうか。

 


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