白球を追いかけた選手たちは硝煙のなかに消えていった


鵜飼清(評論家)

大リーグの大谷翔平選手が話題になっている。投手と打者の二刀流での活躍は目を見張るものがある。二刀流で比較されるベーブ・ルースは、日本にはなじみ深い選手である。それは、日本でプロ野球が生まれるきっかけともなった選手だからである。

大谷選手の活躍の裏には、日本野球の歴史が甦る。そして、いまでも投手の名誉と言える「沢村賞」の沢村栄治の悲劇も忘れてはならないこととして銘記すべきであろう。

日本にプロ野球が生まれるのは、正力松太郎読売新聞社社長の冒険からであった。1931年に正力が社運を賭けてアメリカ大リーグの選抜チームを招聘したのがプロ野球(職業野球)のはじまりである。日本側は、早大や慶大の野球チームが相手をした。大リーグ選抜チームとの試合は東京では神宮球場、大阪では甲子園で行われた。

1934年には、ベーブ・ルースが全米選抜チームとして来日する。大リーガーの一流選手が来日するとあって、日本では大騒ぎになった。それに対する日本チームの編成はたいへんだった。当時は東京六大学野球が全盛期だったが、学校選手は職業選手と試合をすることが禁じられていた。そこで、六大学のOBを中心にして、実業団野球から選手を選び、全日本チームを結成した。そのとき、京都商業の沢村栄治投手と旭川中学のスタルヒン投手を中退させてチームに加入させたのである。

ジャイアンツの誕生では、この選抜チームが母体になっている。ジャイアンツは1934年12月26日に創立。株式会社大日本野球倶楽部という社名である。ジャイアンツの創立メンバーは、沢村栄治、スタルヒン、三原修、水原茂など19名であった。日米野球では沢村投手の好投が注目された。ルースはこの年にヤンキースを引退することになる。

ジャイアンツのアメリカ遠征や国内試合で、プロ野球の基礎ができていく。そこで興行的に対抗チームが必要になり、正力社長は東京チーム対大阪チームの対抗を考えた。そのとき甲子園に大きな球場がある阪神電鉄が交渉されることとなった。タイガースは1935年創立された。

タイガースの誕生に続いて、名古屋軍、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の5球団が結成され、合計7チームにより、1936年2月5日「日本職業野球連盟」が正式に発足した。

1936年6月17日、29日に甲子園で行われたタイガース対ジャイアンツの試合が、伝統の阪神―巨人戦の始まりだった。

【スターティングメンバ―】
〈タイガース〉 〈ジャイアンツ〉
1(中)平桝
2(左)藤井
3(一)松木
4(三)景浦
5(右)山口
6(捕)小川
7(二)岡田
8(投)若林
9(遊)伊賀上
1(中)林
2(二)津田
3(右)中島
4(一)永沢
5(捕)中山
6(左)伊藤
7(遊)筒井
8(三)白石
9(投)沢村

試合の結果は、第1戦8対7、第2戦6対5で、2戦ともタイガースが勝利している。

1937年に後楽園球場(東京ドームの前身)が開場され、9月11日のオープンには記念試合として紅白戦が行われた。紅軍の水原茂(ジャイアンツ)選手が、白軍の若林忠志(タイガース)投手からホームランを打った。これが、後楽園球場の第一号ホームランとなる。

しかし、世の中の動きには暗雲がたちこめていた。1937年の7月7日に日中戦争がはじまり、野球の選手たちにも軍靴の響きが聞こえてきていたのである。戦況が厳しくなるにつれ、野球の選手たちも次々に軍に召集され、戦地へと送られていく。

ジャイアンツの沢村栄治は、1938年に中国戦線に駆り出され、敵が投げた手榴弾を受け止めては投げ返すという離れ業をしていた。しかし、最後の激戦地で左の掌を銃弾が貫いた。1940年の春に帰還し、ジャイアンツに加わるが、もはやかつての勇姿ではなかった。翌年の41年には衛生兵としてフィリピン戦線に行った。ここも激戦地だったがかろうじて命をとりとめて42年の秋に日本に戻った。しかし、戦争は二度と沢村を勝利投手にさせることはなかった。ジャイアンツは沢村の意思を無視して、解任した。44年には3度目の召集が来て、12月2日、門司港からフィリピンに向かう途中、沢村を乗せた輸送船に魚雷が命中する。27歳の沢村栄治は、台湾沖の海に消えた。

ジャイアンツとの第1戦のとき、タイガースの4番を打った景浦将もフィリピンのカラングランで戦死した。

タイガースやジャイアンツの選手ばかりではなく、ほかのチームの選手たちも二度と白球を握ることができなくなってしまったのである。

東京ドームの傍らには、こうした戦地で亡くなった選手たちを顕彰する碑がある。東京ドームへ足を運ぶ折には、ぜひここで手を合わせて祈ってほしいと思う。

平和であればこそ、大谷選手の活躍がわれわれに元気と励ましを与えてくれる。硝煙のなかに消えて行った数々の名選手たちの夢を、グラウンドで現実につなげるプロ野球の姿を決して失ってはならない。

 


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