映像配信ミサに参加して思う


ヨハネパウロ赤松雅彦(カトリック麹町聖イグナチオ教会信徒)

ご依頼を受け、映像配信ミサに参加して感じることを一人の信徒かつ医師として書いてみます。新型コロナウイルス感染症(原因ウイルスSARS-CoV-2)は2019年12月中華人民共和国河北省武漢市で発生し、瞬く間に世界中に感染拡大し、日本でも昨年1月に感染第一例が確認されて以来、感染終息しない状況が続いています。世界保健機関(WHO)が昨年3月世界的な大流行状態(パンデミック)と宣言しました。

昨年1月、日本のカトリック教会では、前年11月1981年2月の聖ヨハネパウロ二世教皇の御訪日以来38年ぶりとなったフランシスコ教皇御訪日という歴史的出来事の直後で、神様が教皇を通して下さったメッセージにお答えしていくことを考え始めていました。シンガポールや香港で公開ミサ中止がカトリック新聞で報道され、私は医師として「日本も同じ状況にならなければ良いが」と懸念していました。

東京大司教区ではタルチシオ菊地功大司教様のリーダーシップのもとで、流行初期から信徒の医療従事者や司祭協議会の意見を聞き、感染症対策が立てられて強化実行されました。危機管理のお手本と言える対応でした。灰の水曜日の翌日2月27日から公開ミサ中止が発表され、大司教様は東京教区全信徒に主日ミサの参加義務を免除され、公開ミサ中止の理由を丁寧に、感染症防止の医学的視点およびすべての命を守るために、“自分が感染しないだけでなく他者にも感染させないための隣人愛の行為である”との信仰の観点から文書で説明されました。

第2バチカン公会議(1962~65年)の典礼刷新によって、教会は信者のミサへの行動的参加(典礼憲章48項)を推進してきたことを考えると、今回の決断には大いに悩み、祈られたことが文書から拝察されました。文書発表だけでなく、私たち信徒に祈りと霊的聖体拝領の機会を与えるために自ら非公開主日ミサを司式され、映像配信して下さいました。牧者として信徒への愛の実践と決断力、危機管理対策を示して下さったことに心から感謝と尊敬の意を表します。

配信ミサは3月1日四旬節第一主日から10月31日諸聖人の祭日前晩まで続きました。このミサは歌唱ミサとして捧げられ、最初の頃はカテドラル地下聖堂で、後には大聖堂で捧げられました。聖歌、回心の祈り、四つの賛歌、公式祈願、聖書朗読、説教、共同祈願、信仰宣言、奉献文がすべて字幕付きで、耳の不自由な方への配慮がなされていました。

私は妻と視聴していましたが、二人とも歌うことが大好きなので大いに歌い、祈りました。大司教様はとても綺麗な声で音程も正確に歌われ、また長い時間をかけて準備された説教を力強く語って下さいました。イエスのカリタス会シスターと志願者の方が交替で聖歌隊として奉仕され、日常慣れ親しんできた聖歌のほかに珍しい聖歌(菊地大司教様がかつて作られたものを含む)を本当に美しい声で歌われ、毎回感激していました。司会、第一朗読、第二朗読もシスター方が奉仕され、とても充実した典礼でした。師イエズス修道女会、宣教ドミニコ会、女子パウロ会、ノータルドム・ド・ヴィの会員の方が奉仕されたそうです。

配信ミサは同時刻の視聴人数が表示され、大勢の方が心を合わせて神様に賛美と感謝の祈りを捧げていることを表します。使徒の後継者であり教区典礼の最高責任者である大司教様司式ということを踏まえると、東京教区という教会共同体の公の典礼祭儀であり、それに参加できている実感をもつことができ、東京大司教区の神の民の一員である自覚を促して頂いたと感じます。今回の危機で不安な日々を送る中、大いに慰めと励ましを神様から頂いたと思います。毎週参加できたことは人類の災難の中でも幸いなことだったと神様に感謝しています。

感染対策に留意した上での映像配信は撮影同時配信に大変な技術と労力が必要との内幕を大司教様は司教の日記の中で明かされています。映像は鐘の音が流され、カテドラルの空撮映像から始まる大変凝ったものでした。鐘の音を聴いて妻は喜んでおりました。奉仕されたシスター方、志願者の方、配信担当の関口教会信徒の方に厚く御礼申し上げます。

私が所属する麹町聖イグナチオ教会でも、昨年受難の主日から配信ミサが始まり、現在も続いています。公開ミサ中止中は司会をブラザー、第一第二朗読は司式者とは別の司祭担当という聖職者のみが奉仕し、信徒は数人の教会事務室職員のみが参加し、聖歌は聖体拝領中にオルガン伴奏で歌われるだけという形で捧げられていました。司祭が福音書の他の聖書朗読をするのを聴くことは新鮮に感じられました。

人数制限されつつ公開ミサとなった現在、聖歌はオルガン伴奏と共に録音で入祭の歌、拝領の歌、閉祭の歌が歌詞に字幕を付けて流されます。司会や第一第二朗読は信徒が奉仕します。手話通訳者の画面が映像に組み込まれ、三つの聖書朗読、公式祈願、答唱詩編、アレルヤ唱(詠唱)、共同祈願は字幕表示が付きます。聖体拝領中には“カルメル会の祈りの友”からの霊的聖体拝領の祈りが字幕付きで表示されて、霊的聖体拝領が出来るように配慮されています。

ミサに聖堂で参加する会衆は、教区の感染対策に従い、聖歌を歌うこと、祈りを共唱すること司祭のあいさつ共同祈願の応唱を控えることになっているため、会衆に代わって言葉を唱える役割の人だけが言葉を発する状態になっています。配信担当の教会事務室の方の苦労は大変と聞いて感謝しています。

配信ミサは二つの面を持っていると思います。配信を行う聖堂で捧げられるミサは、完全なミサという面と、配信ミサを視聴することが典礼の本質からすると聖堂でミサに参加したことの代わりにはならないという面です。ミサは感謝の典礼で聖別されたキリストの御からだと御血を参加する信徒が分かち合う聖体拝領(コムニオ)が行われて完成するのですが、配信ミサでは実際の聖体拝領はできないことになります。配信ミサは新型コロナ感染症感染拡大防止のための緊急避難対応として必要でありますが、第2バチカン公会議の典礼刷新後の教会の姿勢から考えると、信徒が自由に意識的に行動的にミサに参加することの実現を図ることはとても重要であることは確認しておかなければならないと思います。

公開ミサ中止当初は御聖体を頂けないことを寂しく感じましたが、やがて飢え渇きを覚えるようになりました。このことはミサに参加することや教会共同体とは何か信仰の意味について問いかける試練の時となっています。コロナ前のようにミサが人数制限も申込の必要もなく、捧げられる日が一日も早く来る日を心待ちにしています。

私は教会で1997年以来ミサの勉強会「ミサがわかるセミナー」を企画実施する奉仕をしています。年6回、講師として典礼の専門家である石井祥裕氏や宮越俊光氏、そして司祭、聖歌隊指揮者に講演を担当して頂いています。その立場からも神様からの問いへの答えを祈りのうちに見つけていきたいと願っています。

以上、配信ミサに参加して思うことを書いて来ました。配信ミサは聖体拝領ができないというマイナス面を持ちつつ、主日に神のみことばを聴き、司式者が会衆を代表して祈る祈りに心を合わせて祈る、説教を通して主イエス・キリストが今語りかけて下さるメッセージを受け取る、他者のために祈るという行為を通して、キリストの預言職、祭司職に与り、教会共同体の一致を促進するといったプラス面もあることに改めて気づかされます。コロナが終息してもミサに実際に参加できない人のために配信ミサが続けられることを希望します。コロナの一日も早い終息を切に祈ります。

 


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