特集55 お酒とともに揺らめくもの


酒が懐かしくなる時

今、お酒が注目を浴びています。しかも、これまでなかったような仕方で。新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などで、酒類を提供する飲食店への休業要請や時短営業要請ということが話題になっているからです。こんな措置が気にならない人もいるとは思いますが、不自由を感じている人もやはり相当多いことでしょう。「飲める、飲めない」の体質を別としても、人間同士の交流・交歓に酒やそれに準じる物が欠かせないという実感は、普遍のものではないでしょうか。こんなかたちで控えるべきものとされるとは……(;o;)

逆に、このような時だからこそ、酒が懐かしいものとして現れてきます。酒という物とともに、それにまつわる時代、自分自身、家族のこと、仲間のこと、酒がともにあった時がいっそう懐かしさとともに意識に巡ってきます。もちろん、ホモ・サピエンスは、さまざまな道を考えます。新しい家飲みのスタイルを開発し、オンライン飲み会の趣向も増えるなど。

いずれにしても、お酒がさまざまな角度から興味ある対象となっていることを、キリスト教という視点からも考えてみようと思い始める特集です。そういえば、使徒たちの宣教の始まりも、酔っぱらいと誤解され、あざけられるところからスタートしていたのでした。ペトロの第一声は、「酒に酔っているのではありません」でした(使徒言行録2:12~15参照)。

近東、地中海世界、ヨーロッパ大陸の文化圏を経てきたキリスト教にとって、「酒」は隠れた大きなテーマだったといえるかもしれません。そもそも、パンとぶどう酒がキリストの体と血のかたちとされたことによって、ぶどう酒(ワイン)には新しい聖なる意味が与えられ、以来、それは、キリスト教の典礼と文化の重要な要素となっていきます。他方、日本の文化、宗教にとっても、酒や酒の節制といったことが、人の生き方にとって大きなファクターとなってきました。そんな国のお酒文化の中にどのようにキリスト教のお酒文化が溶け込んでいるのか、いないのか。

多種多様なお酒の色合い、味わいの中に、宗教や文化や時代の面影が映り込んでいます。外出自粛、巣籠もり生活といったことが、新しい(?)ライフスタイルの一つになりつつある、この日々、お酒に焦点を当てて、いろいろなことに思いを馳せてみたいと思います。楽しく集える宴の再開の時を待ち望みながら。

 

人と酒

おやじ

サントリーの広告から読み取れること

恵みと賛美としての酒

酒と杯の味な関係

 


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