私の教会:日本正教会


鈴木裕子(上智大学神学部・日本正教会信徒)

正教会は「正統派の教会(Orthodox Church)」という意味で、イエス・キリストに始まる初代教会の信仰を今日に至るまで正しく継承してきた、もっとも伝統的なキリスト教の教会です。正教会は東方正教会とも呼ばれます。キリスト教が生まれた中近東を中心として、ギリシア、東欧、ロシアに広がり、日本には江戸時代末期に函館のロシア領事館付きの司祭として来日したニコライによって伝えられました。

ギリシア正教、ロシア正教などと呼ばれることがありますが、正教会は世界中のどの場所でも同じ信仰と教義を共有しています。「ギリシア」や「ロシア」は民族や地域を指すもので、わたしたちは「日本正教会」です。ギリシア正教、ロシア正教、日本正教はどれも同じ東方正教会に属しています。

キリスト教の信仰共同体としての教会の中心は、イエス・キリストを囲む食卓に集まることです。それは聖体礼儀(カトリックではミサ、プロテスタントでは聖餐式といわれるもの)として初代教会から引き継がれ、毎週日曜日(主日)と諸祝日に行われています。聖体礼儀はイエス・キリストの働きと復活を思い起こし、現在もここにいて働いてくださることに感謝を捧げるためのものです。

聖体礼儀の原型を作ったのはイエスご自身でした。「主が来られるとき(再臨)に至るまで」(Ⅰコリント11:26)、「私を記念(記憶)するためにこのように行いなさい」(ルカ22:19)という教えを守り、主日ごとの聖体礼儀に信者が集い、主のお体と血としてのパンとぶどう酒を分かち合うことが教会の基本的な務めであると理解しています。一つのパンから、また一つの爵から聖体聖血を分かち合うことで、信徒はキリスト・神と一つになると同時に、互いが一つとなり、キリストが集められた「新たなる神の民の集い・集会」が確かめられます。

正教会のイコン『ウラジーミルの生神女』(モスクワ、トレチャコフ美術館所蔵)

この神との交わりの体験の積み重ねこそ信徒の成長の源であり、そこで受ける神の恵みがなければ「よい生き方」を目指すどんなまじめな人間的な努力も実を結びません。正教会は、人生に夢を描くことではなく、どんなに厳しい現実でも神から与えられたものとして受け入れ、じっくり生き抜くことを教えます。

正教会は、人間の理解をこえた事柄については謙虚に沈黙するという古代教会の指導者(師父)たちの精神性を受け継いでおり、後にローマ・カトリック教会が付け加えた「煉獄」、「マリヤの無原罪懐胎」、「ローマ教皇の不可誤謬性」といった新しい教理は一切退けます。また、プロテスタントのルターやカルヴァンらのように「聖書のみが信仰の源泉」だとも「救われるものも滅びるものもあらかじめ神は予定している」とも決して言いません。現代ではかたくなに見えるほどに古代教会で全教会が確認した教義に、付け加えることも差し引くこともなく守っています。

教義も確立せず、歴史の積み重ねもなく、文化としてはまったく未熟で、しっかりした教会組織もなかった古代から現代にいたるまで、信徒ひとりひとりを生かしているのはキリストの復活のいのちそのものです。いのちは言葉では伝わりません。体験の中からしかつかむことができないし、体験を通じてしか伝えられないのです。イエス・キリストとの交わりを体験していただくために、友ナタナエルに呼びかけたフィリポにならって「来て、見なさい」(ヨハネ1:46)とみなさんにお呼びかけするほかありません。

※この記事は、名古屋正教会ホームページ「正教会とは」に掲載されている内容、ニコライ堂で聖堂見学に来た方々に配布しているパンフレットを参考にしています。

 


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