『人生をしまう時間(とき)』


いとうあつし神父(東京教区司祭)

 ある晩のこと、外出先から清瀬教会の司祭室に戻ると、留守番電話にメッセージが1件録音されていました。

「堀ノ内病院の小掘と申しますけれども、伊藤神父様にちょっとお願いしたいことがありまして、お電話しました。お帰りになりましたら、携帯にお電話頂ければ幸いです」

 何事かと訝りながら指定された番号にかけ直すと、電話口に出られた小堀先生から「カトリック信者の患者さんが病者の塗油の秘跡を希望しているのですが、来て頂けますか」との依頼。珍しく飲んでいなかった私は、取る物も取り敢えず車に飛び乗り、堀ノ内病院を目指しました。

 午後8時、到着した病院の入り口に、小堀先生の姿がありました。先生自ら、わざわざ迎えに出てきて下さっていたのです。

 簡単な自己紹介を交わし、長い廊下を歩きながら患者さんの事情などを伺い、病室に入ったところで先生は続けざまに三つ、予想もしないことを仰いました。

「下村さんというディレクターがNHKの番組のために撮影します」

「そのディレクターはカトリックです」

「実は私もカトリックです」

 カトリック率100パーセントの病室で、聖霊の導きとしか思えないような奇跡的状況に驚き、狼狽え、緊張しながら、小堀先生と下村監督にも一緒にお祈り頂き、なんとか無事に塗油の秘跡を執り行うことが出来ました。

その時の様子がBS1スペシャル『在宅死死に際の医療” 200日の記録』に収められて放送され、私の貢献度は不明なものの番組自体は高い評価を得られたようで、新たなシーンを加え再編集を施して映画化されるに至り、ついに私は銀幕デビューを果たすことになったのでした。

 この映画『人生をしまう時間(とき)』は、在宅死に取り組む小堀医師とその同僚の堀越医師、このお二人とチームで協働する看護師やケアマネージャーと、自宅にあって死を迎えようとする患者本人やその家族との関わりを、一人ひとりの生きざまとともに描出した、出色のドキュメンタリー作品です。

小堀鷗一郎医師は森鴎外の孫で、東大病院や国際医療研究センターに外科医として40年間勤務した後、それまでの専門とは全く異なる終末医療に携わるために、埼玉県新座市にある堀ノ内病院に移られました。

堀越洋一医師も世界30ヵ国で活躍してこられた外科医でしたが、コルカタのマザー・テレサのもとに滞在したのを機に、終末医療の世界に入られました。

お二人とも、自らの運転で患者さんの自宅をフットワーク軽く往診して回り、世間話の延長のような診療をなさっているのが印象的です。「病気を治す」という馴染み深い医者の姿勢とは次元の異なる姿が、そこにはあります。

また、患者さんとその家族が、そう長くはないことを十分に予感させる「生」と、確実に迫ってくる「死」を前に、悲嘆に暮れたり取り乱したりすることなく、ある意味で淡々と、誤解を恐れずに言えば朗らかに、日常を過ごしておられる様子に安堵させられます。

患者さんが亡くなる場面も、包み隠さず映し出されています。亡骸を囲む家族は、その死を当然の帰結として、しかし厳粛に受け入れておられる様子です。死という事実が、忌避されることなく、感傷に流されることもなく、自然なものとしてそこにあるのです。

これも、お2人の医師と、そして忘れてはならない看護師やケアマネージャーの皆さんの、温もりのある親身の対応から生まれてくるものなのでしょう。そして、これこそが、在宅死に関わる小堀医師や堀越医師が望む、逝く者と看取る者の一つの理想のあり方であり、下村監督が観る者に届けたいと願う一つの現実なのだろうと思います。

この映画が、老いと死を(時には若過ぎる死を)映し出していながら、不思議な明るさ、温かさを感じさせるのはどうしてでしょう。それは、撮っている人にも撮られている人にも、愛があるからではないでしょうか。愛といっても、世界の中心で声高に叫ぶような愛ではなく、ガリラヤの村々を歩き回りながら病人の傍らでその手を握り共に苦しみ悲しんだ同伴者イエスが示したような愛です。この映画に関わったすべての人がお互いを愛している、言い換えれば大切にし合っていることが伝わってくるからこそ、死を題材にした映画であるにもかかわらず、優しい印象を抱かせてもらえるのだろうと思います。

下村幸子監督は、200日にも及ぶ密着取材を通して、親密でありながら濃密にならない絶妙な距離感で、かけがえのない人間の生と死の尊厳を丁寧にあぶり出して下さいました。

ぴあ映画初日満足度ランキングで、吉岡里帆主演作を抑えて第1位となったこの作品、誰にでも必ず訪れるものでありながら現代社会において不可視化されている「死」を、現実のこととしてしっかり見つめ直すために、きっと大きな助けとなるはずです。


921()より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国公開
CNHK

 

公式WEBサイト:jinsei-toki.jp

 

監督・撮影:下村幸子/プロデューサー:福島宏明/編集:青木観帆・渡辺光太郎幸太/制作:NHKエンタープライズ/製作:NHK/配給:東風



『人生をしまう時間(とき)』” への4件のフィードバック

  1. †主の平和
    初めまして
    この番組、後半を見て感動したことを覚えています。
    小堀医師は小堀杏奴さんのご子息でいらっしゃるのでしょうか?
    伊藤神父さまの文章から勝手に想像しました。
    残念なことに伊藤神父さまご出演のシーンは見逃していました。
    映画が地方でも上映されることを希望して観賞できる日を待ちます。
    お知らせくださりありがとうございました。

  2. 福永真紀様
    † 主の平和
    まず、ご質問に関しまして、お答え申し上げます。
    仰る通り、小堀鷗一郎先生は小堀杏奴様のご子息でいらっしゃいます。
    映画『人生をしまう時間(とき)』ですが、東京・渋谷の映画館では、連日満席が続いていると聞いております。今後、全国各地で上映されるようになる可能性も高いのではと、推測いたしております。もしお近くで上映されるチャンスがございましたら、ぜひ足をお運び下さい。
    神に感謝!

  3. 伊藤神父様
    外国の老人ホームでボランティアをしているときに幾度か塗油の秘跡の儀式に居合わせたことはありましたが、NHKのテレビ及び映画の中で伊藤神父様の塗油の秘跡の場面を拝見し、これまでに経験したことのない不思議な『美しさ』を感じました。死にゆくご老人の願いに真摯に耳を傾け、神父様の支援を求められた小堀先生の医師としての深い人間愛に感動していたこともあるでしょう。
    東京大司教区とのご縁といえば、もう何十年も前に、ブラジルで白柳大司教様をご案内したこと、又、フランスの家族の依頼を受けて、ホスピスで東京大司教区のジョルジョ・ネラン神父様の最後を看取ったこともございました。私の霊性を深めた貴重な経験でした。
    神父様の御健康をお祈り申し上げております。
               賀来 弓月(かく ゆづき)(終末期を生きる80才の老体)

    • 賀来弓月様

      † 主の平和
      コメント、拝読致しました。どうもありがとうございました。返信が遅くなって大変失礼致しました。
      ふつうは病者の塗油の秘跡は、ご家族からお願いされるか、教会のお友達や知り合いから頼まれることしかありません。患者さんを担当するお医者さんから直々に依頼を受けたのは、今回の小堀先生が初めてでした。今後も二度とない経験だろうと思います。小堀先生という方が、普通の医師、ただの医師ではないことの証左のひとつではないでしょうか。小堀先生のそうしたお人柄によるものでしょう、静謐さが漂う病室には、聖霊が濃密に注がれているように感じられました。賀来様が仰った「美しさ」を、私も感じました。
      ネラン神父様の最後を看取られたとのこと、ネラン神父様も安らぎのうちに帰天されたことでしょう。エポぺで飲んで絡んでご迷惑をおかけしたことをお詫びするべく、ネラン師のためにあらためてお祈りすることに致します。

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