聖公会の聖餐式


市原信太郎

「聖公会」という教会

小生は、「聖公会」という教派の司祭です。分類で言えば聖公会は「プロテスタント」教会になりますが、この語は現代では「カトリックでも正教会でもない」というくらいの意味しか持ちませんので、まずは教派の背景を含めて少しお話しするところから、本稿を始めたいと思います。

「聖公会」は英語では「アングリカン(Anglican)」と呼ばれ、イギリス(イングランド)の国教会が母体です。この教会が、イギリスの海外進出によって世界中に広がり、現在は世界で第3位の大きさの教会と言われています。日本の聖公会は、アメリカ・イギリス・カナダからの宣教師によって建てられ、立教大学、聖路加国際病院などは聖公会の系列に属します。

カトリック教会との組織上の大きな違いは、各国の聖公会(管区)は基本的に自治独立であり、それらが「アングリカン・コミュニオン」という比較的緩やかな世界大の交わりを持っている、ということでしょう。(たとえで言うなら、本部がコントロールを持つ「チェーン店」というよりも、「のれん分け」というような感じでしょうか。)

この結果として、礼拝に関する決定権も個々の管区にあり、カトリックが基本的にローマ典礼を世界中で用いているのとは対照的に、それぞれの国が独自の典礼書を持っています。そして、典礼の実践に関しての詳細な規定は明文化されていないことが多く、一人一人の司祭の神学的な強調点や理解の差が現われることがあり、所作などが人によって異なる、ということもあります。

従って、以降お話しすることは日本聖公会の事情を中心としており、小生の主観も多分に入っている、ということをあらかじめお断りしておきます。

 

聖公会の祈祷書

先ほどから「典礼書」と呼んできたものを、聖公会では「祈祷書」と言います。16世紀に聖公会がイギリスで成立(=カトリック教会からの分離)した際の理由は、政治的動機に端を発する離婚問題であり、教義的な動機でなかったことは他のプロテスタント諸教会と異なっています。そして、1549年に聖公会独自の典礼書として「第1祈祷書」が成立し、ここから聖公会が独自の教会としての歩みを始めていきます。

第1祈祷書は、当時のイギリスで一般的だったソールスベリーの典礼を元につくられており、カトリックの色が濃いものですが、3年後の1552年にはプロテスタント神学の色が濃い「第2祈祷書」が成立しました。一例を挙げれば、カトリックでは「ミサ」と呼んでいますが、これが第1祈祷書では「主の晩餐または聖餐、通常はミサと呼ばれる」とされました。続く第2祈祷書では、「主の晩餐または聖餐式の執行の式次第」と変化し、「ミサ」という語が消え、宗教改革的な性格が前面に出るようになりました。

このことに代表されるように、聖公会では教会の公文書や信仰告白文などによってではなく、礼拝用書である祈祷書によってその神学が表現され、規定されています。そんなところから、しばしば「祈りの法は信仰の法(Lex orandi, Lex credendi)」の教会だと言われます。

その後、1960年代までの聖公会祈祷書は第2祈祷書を元にして作られた結果、カトリックとの相違が色濃い典礼が行われていました。しかし第2バチカン公会議や、20世紀の典礼刷新運動(リタージカル・ムーブメント)などの影響を受け、現在では各国聖公会の聖餐式は、かなりカトリックと近いものになっています。

 

聖公会の聖餐式の「外見」

聖公会の教会は、総じてカトリックよりも小さい規模のところが多く、建物も古いものがそのまま使われているところも多いため、昔からの信者の方々はかえって「懐かしい」と感じるところがあるかも知れません。また、イースターの時期であれば復活ろうそくが置かれていたりなど、他のプロテスタント教会よりは多くの共通要素を見出すことができると思います(写真1)。

写真1:大森聖アグネス教会聖堂

しかし一方で、聖堂の十字架にキリスト像がなく、シンプルな形のものが多いのにはすぐ気がつくでしょう(写真2)。聖堂内にマリア像が置かれている教会も少なく、聖櫃のある教会も限られています。(カトリック教会のほとんどにはこの両者があると思います。)

写真2:聖公会神学院聖堂

多くの場合、司式の司祭の服装もほとんど変わらず(祭服類をカトリックの「ピエタ」で購入することも多いので、ある意味当たり前とも言えます)、アルバ・ストラ・カズラ(聖公会では用語の多くが英語読みで、これらは「アルブ・ストール・チャズブル」と呼ばれます)などが用いられます。しかし、スータン(キャソック)の上にスルプリ(サープリス)のみを着用し、それにストラを着用するという、聖公会で頻繁に用いられるスタイル(写真3)は、ほとんどカトリックでは見られないと思います。

写真3:聖公会の司祭のスタイル(モデル:青木政憲)

祭具類もほとんど同じものですが、セットされた祭具に「チャリスベール」という布のカバーを掛ける習慣が今でも多く残っています(写真4)。

写真4:チャリスベール

祈祷書を礼拝に用いることはすでに申し上げたとおりですが、カトリックとの大きな違いは全員がこの本(もしくはここからの抜き刷り)を手にして参加していることです。そのため、聖餐式が「読書会」に見えかねない、というのはあまりお勧めできない特徴かもしれません……

聖歌に関しては、独自の「日本聖公会聖歌集」を使っています。カトリックの「典礼聖歌」に比べると、日本聖公会独自の曲だけでなく、他教派・海外の曲が多く取り入れられているのが特徴です。典礼文を歌う場合の楽譜もこの本に含まれていますが、参照が大変なので、多くの教会では抜き刷りを作って用いています(写真5)。

写真5:祈祷書と聖歌集

 

聖餐式の式次第

現在の日本聖公会の聖餐式は、おおよそ次のような順序になっています。

式次第

【参入】
・始めの応唱
・清めの祈り
・主よ、あわれみを or キリエ or ほめ歌え
・大栄光の歌
・特祷

【み言葉】
・旧約聖書
・詩編
・使徒書
・福音書
・説教
・ニケヤ信経
・代祷
・懺悔

【聖餐】
・平和の挨拶
・奉献
・感謝聖別
・主の祈り
・パン裂き
・近づきの祈り
・神の小羊
・陪餐
・陪餐後の感謝

【派遣】
・祝福
・派遣の唱和

 

いくつかの点を除き、式次第そのものはかなりカトリックに近いものがあります。しかし、カトリックの方が聖公会の聖餐式に参加されたら、おそらくさまざまなところが違っていると感じることでしょう。そのあたりを想像しながら、少し説明を加えてみたいと思います。

 

聖書

主日の聖書朗読箇所は、その多くがカトリックと共通です。これは、第二バチカン公会議後に作成された3年サイクルの朗読配分が大変優れており、多くの教派がそれを取り入れた結果で、世界中の教会に対するカトリック教会の大きな貢献のおかげと言えるものです。そのおかげで、世界中の多くのキリスト者が主日に同じ福音を聴いていることになります。また私たちは、カトリックの資料を用いて説教の準備ができますし、逆もありです。(「アンデレ講座 福音に聴く」をインターネットで検索してみてください。私たちのオンライン聖書講座をお聞きいただけます。講師のお一人は、雨宮慧神父です。)用いられている聖書も、現在は新共同訳聖書がほとんどで、この点も共通しています。

詩編も、カトリック教会の典礼用詩編に一部変更を加えたものが用いられています。

 

懺悔

カトリックでは、ミサの冒頭で全員で懺悔をしますが、聖公会はこれを奉献の前に持ってきています(冒頭で行うオプションもありますが)。これは、マタイ福音書5:24「まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」に基づくものです。また、懺悔の形が司式者と会衆が相互に祈り合う形になっているのも特徴的です。

 

主の祈り

主の祈りは、カトリックと聖公会で同じものを用いています。この度、日本福音ルーテル教会でもこの主の祈りを取り入れられましたので、主イエス・キリストが弟子に教えられた祈りが、日本の3教会の目に見える一致のしるしとなっているのは嬉しいことです。

カトリックでは「副文」と呼ばれて本文と区別されている「国と力と…」の部分を、聖公会では毎回必ず本文に続けて用いているのが違いと言えば違いです。

 

平和の挨拶

聖公会で平和の挨拶を聖餐式に取り入れて、30年ほどが経過しました。最初は違和感のあったこの挨拶も、今ではすっかり定着したものとなっています。ただ、カトリック教会よりも規模の小さい教会が多いことから、握手をしたり、声を掛け合ったり等、より親密度の強い実践が多く見られます。聖堂中を移動して、ほぼ全員とあいさつをする、ということも少なくありません。

この挨拶は、カトリックだと聖体拝領の直前、「交わりの儀」の一部として、平和の賛歌(神の小羊)の前に行われますが、聖公会では懺悔とのつながりで懺悔の直後に置かれ、先ほどのマタイ福音書の「和解」を現わすものとなっています。

 

奉献文(感謝聖別文)

プロテスタント諸教会ではこの部分がシンプルになったり、なくなったりしているところも多い中で、聖公会はカトリックと同様の実践を保っています。特に、第二感謝聖別文はカトリックの第二奉献文と同じものを用いていますが、言葉の選び方がずいぶんと違っているので、それと気づかないかも知れません。
あと、(当然と言えば当然ですが)教皇様のための祈りはありませんし、聖人への祈願は「すべての聖徒」で置き換えられています。「信仰の神秘」の部分も、全員で「キリストは死に、キリストはよみがえり、キリストは再び来られます」と唱えます。

 

聖体拝領(陪餐)

大きな違いは、カトリックだと信徒は一種(パンだけ)を拝領することが多いのに対し、聖公会では特殊な場合を除けば必ず両形態(パンとぶどう酒)を拝領します。ここは、宗教改革の伝統をも受け継ぐ聖公会の「こだわりポイント」の一つと言えるかも知れません。

用いられるパンはカトリックのものとほとんど変わりませんが、ぶどう酒についてはカトリックよりも制限がゆるいので、教会によりいろいろな種類のものが用いられており、たまに違う教会に行くと思わぬ「発見」があったりします。

 

「聖体」についての聖公会の理解:「キリストのからだ」

さて、今回の特集は「聖体」についてですが、実はこの語自体が聖公会ではほとんど用いられていません。(とは言え、聖公会にはカトリック寄りの「アングロ・カトリック」という伝統もあり、一概にこう言い切ることもできないのですが。)祈祷書では、「聖品」という語が使われています。これは単なる言葉の違いだけでなく、聖体に対する理解の差の現われと考えた方がよいでしょう。

聖公会の聖堂について、「聖櫃を持つ教会も少ない」とすでに書きましたが、聖櫃が置かれている場合にも、カトリックのように正面の、人目につきやすいところに置かれているとは限りません。大森聖アグネス教会では、聖櫃が正面左側の壁面に埋め込まれ、ふだんはカーテンで覆われていて、まるで金庫のようにも思えるほどです。これは、聖公会での聖体保存が「陪餐のため」という目的のゆえに行われていることによると思います。聖餐におけるキリストの臨在を、物質的な存在と直接結びつけてしまうことを恐れているということかもしれません。ですから、カトリックでしばしば行われる聖体礼拝は、聖公会ではほとんど行われません。

聖公会の聖餐理解では、「そこにキリストがおられる(臨在される)」ということを局所化しない、特定のところに留めない、ということが大切で、パンとぶどう酒のうちにキリストがおられる、これがキリストの体と血である、ということは、聖餐式の特定の箇所ではなく、聖餐式全体を通して起こることだと理解されています。

「キリストのからだ」という言葉は、聖体を現わすものでもありますが、一方では教会全体を指す言葉でもあります。聖公会では両形態の陪餐が基本であることをすでに述べましたが、これは中世のミサで信徒の参与がほとんどなくなってしまったことへの反対の主張でもあり、聖餐の共同体性の回復が意図された結果でもあります。聖餐式は「キリストのからだ」である教会の業であり、聖公会では司祭が一人で聖餐式を献げることはありません。

 

おわりに

個人的なことになりますが、小生の妻はカトリックの信者で、そのおかげでカトリックの典礼にもずいぶんとなじみができたことをありがたく思っています。妻の側では、結婚当初は聖公会に様々な違和感を訴えていましたが、現在では特にそういうこともなく、ごく自然に聖公会の聖餐式に参加しています。今まで、聖公会の聖餐式や聖餐理解について述べてきましたが、しかしそういったところを超え、「共に聖餐にあずかる」ことを通して、わたしたちは教会が一つであることを深いところで経験しているのだと、改めて感じます。

写真6:小3の初陪餐

そしてカトリックでは起こり得ないことですが、結婚して家庭を持つ聖公会の司祭として、小生は自分の子どもに自分で洗礼を授けるという恵みをいただきました。そして、小3の時に初陪餐(カトリックでは「初聖体」)を受け、陪餐するようになりました(写真6)。成長につれて忙しくなり、今では主日の聖餐式に出席できないこともしばしばですが、それでも用事を終えて帰ってきてから陪餐するというような形で聖餐に連なってくれているのは、教会の司祭としても、また父親としても嬉しいことです。「神さまなんてほんとにいるのかな」などとも言うようになりましたが、しかし一方で陪餐を通して恵みを頂いているという感覚は自然に持っているようです。「キリストのからだ」のうちにおられるキリストと共に、これからも人生を歩んでくれることを願っています。

「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(1コリ12:27)。わたしたちがこのことを体験する、聖餐の恵みに共に招かれていることに感謝したいと思います。

 

聖公会の聖餐式” への1件のフィードバック

  1. 聖公会の聖餐式についてわかり易く説明してくださり、有難うございました。私の理解しているところと一致していたので嬉しく思いました。

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