明治憲法制定の軸にキリスト教があった


鵜飼清

新元号が決まり、5月からは令和の時代がはじまります。「和」が付いたのでなんだか昭和の面影を追ったりしてしまうのは、わたしが昭和生まれだからでしょうか。

平成最後の今年1月1日、朝日新聞は「昭和天皇 直筆原稿見つかる  晩年の歌252首 推敲の跡も」と報じました。題材は戦争や地方訪問など多岐にわたるとされますが、そのなかで

「あゝ悲し戦の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり」(88年8月15日全国戦没者追悼式―昭和天皇最後の公式行事―に寄せた歌)

「国民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな」(85歳)

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が紹介され、また

「われかへりみて恥多きかな」(60歳)

「かへりみればただおもはゆく」(70歳)

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と歌に詠んでいます。大元帥として開戦や敗戦を宣明された昭和天皇の率直な心境なのでしょう。

新聞には昭和史に詳しい作家の半藤一利氏の評価が書かれています。そこに「今回の原稿も『さびし』『悲し』『うれし』と直截的な言葉で表現されており、生の気持ちを推し量れる。……昭和天皇が晩年まで抱えていた尽きせぬ悲しみが伝わる」とされていますが、注目されるのが日米安保条約改定を実現した岸信介首相(当時)が亡くなったときに詠んだ歌です。

「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」(言葉は声なき声のことなり―天皇自身の注釈)

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安保条約が国論を2分し、国会をデモ隊が包囲するなかで、岸首相が語った「いま屈したら日本は非常な危機に陥る。私は『声なき声』にも耳を傾けなければならぬ」を半藤氏は想起させると言います。デモに参加する者の声だけが国民の声ではない、とのことを考え、昭和天皇の「声なき声」という注釈は岸首相に思いを寄せていたのではないかとし、複雑な気持ちにとらわれるとしています。

『朝日新聞』2019年1月1日 日刊

昭和天皇は、終戦後には米軍による沖縄の占領を長期間継続するように側近を通じてアメリカ側に伝えていたし、側近にも日本は軍備を持っても大丈夫だと漏らしていたようです。だから、半藤氏は「日米の集団的自衛権を定めた安保条約に賛成の気持ちがあったのだろうか」と驚きなから自問し、「生涯、大元帥としての自分がなかなか抜けなかったのか」と筆を収めています。

戦後に生まれた昭和世代のわたし(昭和26年生)には、戦争の時代だった昭和を直接知りません。父親が近衛兵で、8月15日には二重橋の衛兵だったという話を聞いているぐらいです。しかし、日本は先の大戦(第二次世界大戦)まで、戦争に明け暮れた時代を通りました。そのはじまりが近代でありましょう。つまり「富国強兵」というスローガンにより帝国主義国家への道を歩むようになることからです。

日本の近代について考えるにあたって、とても良い本に出会いました。それは『日本の近代とは何であったか―問題史的考察―』(三谷太一郎著、岩波新書、2017年)という書物です。特にこの書の「第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか」にある「キリスト教の機能的等価物としての天皇制」という部分が目に留まりました。

「日本近代化の推進力としての機能主義的思考様式は、最も機能化することの困難なヨーロッパ文明の基盤を成す宗教をも基本的な社会機能ないし国家機能としてとらえ、キリスト教がヨーロッパにおいて果たしている、このような機能を日本に導入しようとしました」とあり、「日本を近代化し、ヨーロッパ的な機能の体系として形成し維持するには、さまざまな諸機能を担うべきものを必要とします」とされます。そこで、明治国家形成にあたった政治指導者たちは、ヨーロッパにおいてこの機能を担っているものを宗教=キリスト教に見出したと言います。

伊藤博文は憲法草案にあたって、憲法制定の大前提は「我国の機軸」を確定することと考え、ヨーロッパにおいてキリスト教が果たしている「国家の機軸」としての機能を日本で果たすものは何かが最大の課題でした。

伊藤は、日本には宗教なるものの力が微弱であり、1つとして「国家の機軸」たるべきものがなかったとしています。そして伊藤は「我国にあって機軸とすべきは独り皇室あるのみ」と断案を下し、三谷氏は「『神』の不在が天皇の神格化をもたらした」とします。それを福田恆存(つねあり)の著書『近代の宿命』を引用して解説します。

ヨーロッパ近代は宗教改革を媒介として、ヨーロッパ中世から『神』を継承しましたが、日本近代は維新前後の『廃仏毀釈』政策や運動に象徴されるように、前近代から『神』を継承しませんでした。そのような歴史的条件の下で日本がヨーロッパ的近代国家をつくろうとすれば、ヨーロッパ的近代国家が前提としたものを他に求めざるをえません。それが神格化された天皇でした。

(三谷太一郎『日本の近代とは何であったか―問題史的考察―』216頁)

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ヨーロッパにおけるキリスト教の「機能的等価物」としての天皇制を考えるとき、そこにはヨーロッパにおける君主制(特に教会から分離された立憲君主制)以上の過重な負担がかかり、それがヨーロッパと日本の君主観の違いとして現れたとされます。つまり、日独の君主観の違いは、「明治日本の憲法起草者たちがヨーロッパにおけるキリスト教の機能を、天皇制がそれを担いうるかのごとく想定し、天皇制を通してそれを導入したことに起因しています」とし、これによって、「近代日本の天皇制は、ヨーロッパのキリスト教に相当する宗教的機能を担わざるをえなくなった」と言うのです。

 

三谷氏はトマス・アクウィナス(西洋中世の哲学者)の言葉を引用します。

「王国の職務は霊的なものを地上のものとは区別するために、地上の王に委ねられるのではなく、聖職者に、とりわけ最高の司祭、ペトロの後継者、キリストの代理者、ローマ教皇に委ねられている。そしてかれに対して、キリスト教徒人民のすべての王はあたかも主イエス・キリストその人に対するように、服従しなければならない。というのは終局目的の管理に関わる人よりも、先行目的の管理に関わる者は下位に位置し、その人の命令に服さねばならないからである」

(柴田平三郎訳『君主の統治について――謹んでキプロス王に捧げる』岩波文庫、2009年、89頁)

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三谷氏は、ドイツ帝政はこのような中世以来の「聖」と「俗」との価値二元論を前提としていたが、日本の天皇制ではトマスが説く「霊的なもの」と「地上のもの」とが明確に区別されず、「聖職者」と「王」とが一体化していたと言えるでしょうと結んでいます。

「昭和天皇は近代の天皇の中で唯一、少年時代から軍人として育てられ、11歳で陸海軍少尉となった」(半藤氏)とのことを思えば、日清戦争、日露戦争から第二次世界大戦にいたるまで、戦争に血塗られた歴史を鑑み、昭和天皇の詠まれた歌をもう一度再考してみたくなります。

戦争のなかった平成の次にやってくる令和という元号の「和」について、国文学者の中西進氏は読売新聞(2019年4月17日朝刊)で「聖徳太子が作った17条の憲法の第1条『和をもって貴しとせよ』を思い浮かべます」と言い、「あれは1400年前くらいにできた平和憲法です。604年に制定されるまで、あの当時の日本は、朝鮮半島で泥沼の戦争をしていた。その戦いを停止した時にできたのが、17条の憲法です」と話されます。

戦後に生まれた平和憲法の下で、いまこそ確かな世界平和に向け、日本人としてキリスト教のインカルチュレーション(文化内開花)をどのようにしていくべきか、令和の時代にその真価が問われるように思います。

(評論家)


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