聖家族崇敬が生まれた状況


石井祥裕(カトリック東京教区信徒/実践神学者)

「聖家族」という言葉は、カトリック教会では、主の降誕後にある日曜日に祝われる祝日の名前である。その日のミサの集会祈願では、次のように祈られる。「恵み豊かな父よ、あなたは、聖家族を模範として与えてくださいました。わたしたちが聖家族にならい、愛のきずなに結ばれて、あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。」拝領祈願では、「いつくしみ深い父よ、とうとい秘跡で養われたわたしたちを強めてください。いつも聖家族の模範にならい、生活の労苦を乗り越えて、ともに永遠の喜びに入ることができますように。」

このように繰り返される模範としての聖家族とは、イエス、マリア、ヨセフのこと。『カトリック聖歌集』には聖家族の祝日のための聖歌として「イエズス マリア ヨセフ」という歌があり、「悲しみ 憂いに イエズス マリア ヨゼフ 慰めを賜え」と歌っていく。

このような聖家族観や崇敬はどのように生まれたものなのだろう。その歴史を調べてみると、いかにも、ヨーロッパらしいと思われるようなキリスト教の実態が窺われる。7つのトピックに分けて見ていこう(『新カトリック大事典』、フランスのカトリック事典:Dictionnaire de spiritualité, ascétique et mystique, La Catholicismeなどを参照)。

 

1.中世末期からふくらむナザレの家族への関心

日本も同じかもしれないが、中世まで、「家族」(ラテン語で「ファミリア」)といえば、大家族制度の家族だったようだ。教会では信心会、コンフラリアや兄弟会・姉妹会などの信者の結社をファミリアと呼ぶ慣習もあり、いわば「教会家族」を幅広く意味することばだったようである。父と母と子どもたちという最も親密な血縁家族を意味する家族の概念が生まれるのは、フランス語圏では17世紀だという。「聖家族」崇敬がはっきりと形成されるのは、まさにこのフランス語圏なのである。

その背景をなす、イエスの生涯に対する関心の変化は、やはり中世末期から見られたようである。幼子イエスを囲む母マリアと養父ヨセフの人物像や、その三人によって営まれるナザレの家庭生活についての関心が、1300年頃に成立した『キリストの生涯の観想』という書物(著者不詳)、1350年頃にザクセンのルドルフス(生没年1300~1378)が著した『キリスト伝』に反映されているという。美術の世界では「聖家族」を画題とする絵画が頻繁に描かれるようになるのもこの時期である。聖家族には、これら三人のほか、やがて、エリサベト、その子どもの洗礼者ヨハネ、またマリアの母アンナ(選りすぐり洋書紹介14『中世末期におけるマリアの母・聖アンナ』の紹介文を参照)も含まれるようになる。

 

2.“地上の三位一体”

ムリーリョ作『二つの三位一体』(1675~82頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)

なかでもイエス・マリア・ヨセフのいわば聖なる“核家族”には、三人ということで、神の三位一体との類比を含めて崇敬するという考え方が、16世紀末から17世紀初めの霊性家たちによって説かれるようになった(参考にムリーリョの『二つの三位一体』の画を掲げよう)。フランシスコ会のアンドレ・デ・ソト、イエズス会のオソリオ、そして有名なフランソア・ド・サル(フランシスコ・サレジオ)たちである。この見方とともに、「イエス・マリア・ヨセフ」の名を呼んで、取り次ぎを願うという、カトリック聖歌の歌に表現されているような信心がスペインで生まれた。ミニミ修道会のガスパール・デ・ボノが積極的に提唱していったという。やがてフランス、オランダへと広まっていった。あたかも「イエス・マリア・ヨセフ」という家族そのものが一つの聖人となったかのような祈りにも思える。

ちなみに、イタリアのマルケ州にロレート(フランス語ロレット)という町があり、ここには1291年にエルサレムが陥落した後、ナザレにあるサンタ・カーサ(聖母マリアの家)が1294年に移ってきたという伝承があったことから、マリア崇敬のための巡礼が盛んになっていく。1468年からこのサンタ・カーサの上に聖堂が建設し始められ、16世紀から17世紀にかけてますます巡礼が盛んになり、聖家族ゆかりの地となり、聖家族崇敬の高まりに拍車をかけた。

 

3.カナダ植民地が舞台となった聖家族信心会

中世末期から醸成されてきたこの崇敬が1630年代以降、信心会によって担われるようになる。注目されているのは、ジェローム・ル・ロアイエ・ド・ラ・ドーヴェルシエール(生没年 1597~1659) というフランス人信徒。ラ・フレシュに生まれ、当地の市参事官を務めていたが、1630年に妻、子どもたち含め一家全体を聖家族に献げるほどこの崇敬に熱心だった。彼は、貧しい人や病人、旅人を受け入れ世話をする信心会の創立を志し、故郷のラ・フレシュに昔からあった施設を広げて、1636年に聖家族にちなむ女性たちの信心会を創立。それはのちに聖ヨゼフ病院修道女会に発展することになる。

1639年、ル・ロアイエはパリでジャン・ジャック・オリエ(生没年 1608~1657。サン・スルピス司祭会の創立者)と出会い、彼から示唆を受けて、フランスのカナダ植民地(ヌーヴェル・フランス)のために信心会の派遣を進めた。カナダ植民地は一躍、聖家族崇敬の主要舞台となる。1642年に建設されたモントリオールが都市ごと聖家族に献げられたほどだった。1674年に設立されたケベック司教区の初代司教フランソア・ド・モンモランシー・ラヴァル(生没年1623~1708)は、1684年、教区のために聖家族の祝日を定めた(復活祭後の第3主日)。この祝日の始まりである。こうしたカナダでの聖家族崇敬の推進は、植民地社会の形成にあたって、その核となる入植者の家族の育成が促進され、その模範として奨励されたという意図が明らかに窺える。

 

4.19世紀に再び開花

同じ17世紀半ばから聖家族崇敬は、フランス、ドイツ、オーストリア、ナポリ、シチリアなどに広まっていき、信心会や祝日の形成(期日は多様)が相次いだ。しかし、啓蒙と革命の世紀、18世紀には、いったん衰退する。この崇敬が盛り返し、全教会的なものとなるのは19世紀のカトリック復興の気運の中でのこと。キリスト教的な家族生活の再建が目指され、また貧しい人々の救援、子どもたちの教育、信徒の信仰生活の充実が必要とされるなか、聖家族の姿がまぎれもなく模範と考えられるようになった。

1803年から1900年まで全欧米で聖家族の名を掲げる修道会(男子女子含む)や信心会が60余りも創立される。その推進者としてとくに名前が挙げられるのがピエール=ビエンヴュニュ・ノアイエ(生没年1793~1861)である。1816年にイシーのサン・スルピス司祭会の神学校に入学。ロレート大聖堂をたびたび訪問し、聖家族崇敬に熱心だった彼は、社会を再びキリスト教的なものとするための活動を志し、1819年司祭叙階、以後、聖家族姉妹会、同婦人会を設立、修道女会へと発展させる。近代社会の諸条件の適応した聖家族信心協会(アソシアシオン)といった組織を生み出すなど、19世紀におけるカトリックの霊性復興の一翼を担った。

 

5.ローマ教皇による奨励

ミケランジェロ作『聖家族』(1507年頃、ウフィツィ美術館蔵)

このような潮流にいわば祝福の冠を授けたのが教皇レオ13世(在位年1878~1903)である。教皇は1890年の教令で愛徳の精神、生活の聖性、信仰心の育成のために意義があると認め、聖家族の崇敬を奨励するとともに、各地の多様な聖家族信心会を統合し、総本部をローマに置き、各教区司教には、教区内での信心会の統括者を任命するように定め、聖家族運動を組織化することに努めた。同時に全教会のための任意の祝日として聖家族の祝日を公現後の第3主日と定めた。

その後、1920年、教皇ベネディクト15世(在位年1914~1922)は、これを全教会が守るべき祝日として、主の公現(1月6日)の次の主日と定めた。第2バチカン公会議後の典礼暦の改定(1969年)により、現在は、主の降誕後の年内の主日(それがない場合は12月30日)という決まりになっている。この祝日のために福音朗読箇所は、(主日A年)聖家族のエジプトへの避難(マタイ2:13-15、19-23)、(主日B年)幼子イエスの神殿奉献(ルカ2:22-40)、(主日C年)神殿での少年イエス(ルカ2:41-52 )と、イエスの幼年期、少年期のエピソードを内容としている。

これが、カトリック教会独特の信心形態である聖家族崇敬とその祝日の現在形である。

 

6.歴史が突きつけるもの

近世に形をとった聖家族の崇敬・信心は、幼子イエスへの礼拝意識、マリア崇敬、とくに聖家族崇敬と並行して高まるヨセフへの崇敬と絡み合いながら、展開してきた。近世期の聖堂に幼子イエスを抱く聖ヨセフ像とマリア像が据えられることも慣習化した。狭い意味では、近代社会におけるキリスト教的な霊性の核となる家族・家庭形成を促進するという教会の課題が徐々に強まってきた歴史かもしれないが、ファミリアという単語が中世までもっていた大家族の考え、それに信心会という観念自体が教会家族、信者家族を意味していたことを思い起こすと、関連する範囲はぐっと広がってこよう。

貧しい人々、病気の人、移動者移住者、難民など寄る辺なき人々を受け入れ、世話をする奉仕活動を展開する聖家族信心会は、近世期、とくに19世紀の産業革命による社会の激変のなかでは、キリスト教的社会福祉を増進する重要な役割を担っていた。聖家族は、狭い意味でのキリスト教的家族のモデルというよりも、教会家族、あるいは神の家族、ひいては人類家族を形成するための理念となってきた面のほうが意義深いのではないだろうか。

 

7.“非家族の家族”の模範として

考えてみれば、イエス、マリア、ヨセフの家族は人間的な意味で完全な家族ではない。イエスは神の子であり、マリアは母といわれながらおとめであるという神秘。ヨセフは人間的な意味ではマリアの夫ではなく、イエスの実父ではなく、養父である。いわば神の意志がたえず介入している“非家族の家族”。今日読まれる福音箇所も、すべてが神の意志に生かされ、導かれていることをあかしするものである。

しかし、人間的な意味での家族として完結しない、“非家族の家族”であることによって、今日、聖家族はまさに福音である。伝統的な家族関係が崩れ、個々人のつながりのかたちさえ揺らいでいる現今、イエス・キリストを要としてつながり合う、寄る辺なき人々の新しい家族が、新しい人類家族の糸口となっていく一つのモデルとして、その歴史における変遷をも含めて、聖家族崇敬を見つめ直していく味わいは新鮮である。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

14 − eleven =