パリ外国宣教会のシルベン・ブスケ神父。その名は、幼いイエスの聖テレジア(リジューの聖テレジア)を敬愛する人々の心に聖なる響きとともに深く刻まれている。1911年、『小さき花』と題して、この修道女の自伝を翻訳して日本で初め Continue reading

パリ外国宣教会のシルベン・ブスケ神父。その名は、幼いイエスの聖テレジア(リジューの聖テレジア)を敬愛する人々の心に聖なる響きとともに深く刻まれている。1911年、『小さき花』と題して、この修道女の自伝を翻訳して日本で初め Continue reading
戦争と神父の関わりという点で、思い起こされるべきもう一人は、ブスケ神父と同じくパリ外国宣教会の司祭ソーヴール・カンドウ神父である(1897~1955。日本語表記カンドーもあり)。戦後の著作活動、講演活動などで、カトリック Continue reading
カンドウ神父が関口の神学校の校長だったとき、1926~1928年の3年間、ラテン語と哲学を学び、その薫陶を受けた神学生の一人が後の東京教区司祭・志村辰弥(しむら・たつや)神父(1904~1997)である。志村神父には『教 Continue reading
石井祥裕 別稿では、ブスケ神父、カンドウ神父、志村神父に関して、戦争と司祭との関わり関する事実や考え方を見てきたが、ちょうどこうした問いかけもって研究を進めている宗教学者の仕事に出会ったので紹介したい。石川明人氏の一連の Continue reading
矢ヶ崎紘子 一 名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと 在原業平 (訳:都鳥という名前だからおまえに尋ねよう、都にいるわたしの愛する人が無事かどうかと。) 業平のこの歌にちなんで名づけられた言問通り Continue reading
矢ヶ崎紘子 2019年8月6日、わたしはデリーで開催されたSIGNISのアジア会議に参加していました。そこで出会った何人かの新しい友人と食事や移動の時に話したことをまとめます。かれらは、韓国人、アメリカ人、そして、イギリ Continue reading
最近の新聞を見ていると、児童虐待や学校生徒の自殺を伝える記事の途切れることがありません。「子ども」をめぐる世の中の事象も目まぐるしく動いています。それは、社会全体で取り組むべき永遠の課題であるでしょう。それと同時に、キリ Continue reading
矢ヶ崎紘子 子供への二つの語りかけ 読者に十歳の一人娘がいるとしましょう。待望の子です。でも、あなたよりもパートナーの性格を受け継いでいるようで、あなたはいつも「自分の子なのに、どうしてこんなにわたしと違うんだろう?」と Continue reading
あき 私が小さかったうん十年前。 近所のおじさんおばさんからよく怒られた。 塀によじ登って蝉をとっていたわたしに「そんな高いところ上っちゃだめだよ」 沼でザリガニをとっていて池に落ちておぼれて泥だらけのわたしを 「危ない Continue reading
ますますひんぱんに聞く「子ども/こども/児童」 児童の権利に関する宣言60年、条約成立30年 衝撃の発言――小学校1年生が思う「子ども」 注目したい本を紹介 「子ど Continue reading
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