今年は、日本でラジオ放送が開始された1925年3月22日から100年ということで、ラジオ放送100年、ないし端的に放送100年と言われています。SIGNISというカトリック教会におけるメディアに関する世界的な連盟活動の前身の一つ、ウンダ(UNDA)が創立したのも1928年でした(ちなみにUNDAとは、ラテン語で「波」を意味するもので、電波によるメディアを指しています)。
日本だけでなく、世界全体が放送の時代を迎えたのは、概ね1920年頃ですからまさしく、放送ということが、現代世界、そして人の生き方にとってもっている意味を、ラジオに焦点を絞って考えてみることが手始めになるのでは……AMORの思案の展開です。それは、第一次世界大戦後の時代、ある意味で現代世界の始まりと並行していました。ラジオが第一次世界大戦後の生活文化の新しい顔となり、平和と戦争の相剋の時代を彩っていきます。第二次世界大戦も日本においては、ラジオニュースの音声(真珠湾攻撃による対米開戦、そして玉音放送まで)が経緯を刻んでいきました。
戦後はテレビが普及し、この時代を代表していきますが、ラジオは決して脇役になったわけでも、前代の遺物になったわけでもありません。ラジオにはラジオの独自な空間があることがあらためて知られ、親しまれ、今に至るまで生命を保っています。今、インターネットを介して、ラジオ番組もテレビ番組同様、電波とは異なる方法での配信サービスを通して、時間的な束縛も消え、いつでもどこでも、全くパーソナルに視聴し、鑑賞できるものとして、新たな生命力をえつつあります。時代とともにあったラジオ放送100年のメディアの歴史における意味、そしてラジオがもつ魅力などを幾つかの体験記からも分かち合っていきたいと思います。