石井祥裕
「ラジオ」というテーマ、「ラジオと私」というテーマに引き寄せられて、思いがけず、自分のラジオにまつわる思い出を掘り起こすことになった。記憶の底に沈みそうだったその思い出は、自分の人生の節目にあったことをよみがえらせてくれた。全くの個人的な思い出だが、いくつか綴り出してみよう。
1950年代半ばの生まれである自分の家では、テレビが来る前の記憶が少しだけある。居間での食事時の思い出。ラジオは部屋の上の隅の三角棚に置かれていた。子どもが触らないように、ということだったのだろうか。
あるときのこと、食事中、自分や妹が騒いでいたのだろう。突然、父親が「うっ」と言って、目を閉じたまま顔を上に向ける。「静かにしなさい!」の合図だ。ラジオから流れてきたニュースが重要なものだったのだろう。子どもたちはシーンと息を止めて、父親のほうを見る。上を向いた父親の太い首と大きな喉が記憶に刻まれている。ラジオが家族の上に君臨していた。
そんな我が家にもテレビがやってきた。幼稚園児だった自分の記憶に残るのは1960年のニュースの断片。安保闘争、ローマ・オリンピックの一場面(アベベ選手がゴール近くに向かってひた走る姿)、それから社会党の浅沼稲次郎刺殺事件などであるが、翌1961年、小学校1年の自分は、なぜか地元のNHKラジオの番組に出演したことがあった。市内のいくつかの学校から3名ぐらいが選ばれていたようだが、自分がなぜ選ばれたかはわからない(成績優秀の誉れ?も立つ間もないころである)。
番組のテーマは「おやつ」。保護者(母親)の同伴はなかったと記憶している。後述のように母親は家でその放送を聞いていたからである。NHKからの送迎の車に一人緊張して乗ったようである。初めての放送局の中で暗く、広い収録スタジオには、真ん中に大きな丸いテーブルがあり、3人の小学生が囲むように座り、大きな体格の男のアナウンサーがいる。「好きなおやつは何ですか」と聞いていったのだろう。自分はなにか話したのか……「りんご」。その一言だけだったようである。
自宅に戻ると、母親が「『りんご』って、低い声で一言だけだったねえ~~」とカラカラ笑う。人前では緊張してうまくものが言えない、というその後も長く(今まで?)続く性格の出始めの一瞬である。そんな性格への自認が芽生え(させられ)た一幕である。
後にも、先にも、今に至るまで大手放送メディアへの出演はこのとき唯一回である。たぶん今後もないだろう。
テレビをお茶の間で見る時代になって、テレビの思い出も積み重なってくるが、10歳頃の自分がだんだんと自分だけの領域を持ち始めたとき、そこにあったのがラジオだった。当時の我が家は小さく、夜寝る場所も自分の体を一回り囲む程度だった。そんななか小型ラジオを(買ってもらったのか、親から譲ってもらったのか)イヤホーンで聞くという習慣が身についた。野球中継に夢中になる。王貞治や堀内恒夫の活躍。もちろんテレビでも中継があったが、ラジオでの興奮の記憶のほうがなぜか印象深い。後楽園球場の試合に、北海道に住む一人の少年が心の中から入り込み、胸を躍らせる、そんな経験をラジオが運んでくれていた。
和洋ないまぜのヒットチャート、ビートルズ、ローリングストーンズ、ビーチボーイズなど英米のロックグループ音楽、日本の歌謡曲、加山雄三、グループサウンズの各グループ、フォークソングの始まり……テレビでも伝わるが、ラジオのほうがより個人としての自我を養うものだったように思い起こされる。やがて、中学・高校にかけては、ラジオだけでなく、自らもするスポーツ(サッカー)、音楽レコード(ポップスからやがてクラシック)、そして文学書や歴史書が自分の世界を形成する友となっていく。
ラジオがいったん遠くなった時期もあるが、大学生になって東京にやってきて、初めの4年間テレビのない生活を送ったとき、再び心を養ってくれたのはラジオだった。自分探しの不安定な時代にいつも友でいてくれた。東京の放送では、居住地域的にTBSが良好に視聴できるので、TBSの野球中継や深夜のパックインミュージック、またNHKや東京FMでの音楽番組、1970年代後半から80年代の歌謡曲シーンで大活躍した兄貴世代の大滝詠一や松本隆、南佳孝らの音楽語りの番組なども愛聴した。テレビよりもラジオという耳メディアへの志向は、ナンディな(ソニー製品型の)機器でのカセットテープ・CDでの音楽鑑賞にもつながっていく。
その30代半ばの4年間に体験した海外留学生活でもテレビがないことが長く、当地のラジオがなによりもその国の雰囲気を伝えてくれるものだった。行った先はオーストリアで、面白いことにクラシック音楽だけのチャンネルと、ロックなどのポップスだけのチャンネルと、当地の民衆曲ばかりかけるチャンネルとに分かれていた。教皇のミサでのメッセージがリアルタイムで聞こえてきたときは、さすがにバチカンや教皇という存在の地続きの近さを感じさせられたものである。
それからもラジオは、しばらくは離れ、またしばらくは聞き続けるという自分の中で浮き沈みのあるメディアになっていく。散歩の習慣時はイヤホーンで聞くラジオがその友でもあった。パーソナリティの一人語りや二人語りも面白いものはあるが、やはり、さまざまなゲスト・トークやリスナーの便りの読み上げが愉しい。テレビで知られる人々よりもはるかに広い世界がそこにある。
そして高齢者世代に仲間入りした今、ラジオがradikoといったインターネットを介して、タイムフリーで聴取できる親しい友となっている。通勤のとき、昼寝のとき、就寝のときをさまざまな生きた通信や交流に耳を傾けるひとときとしてくれている。地上波ではききにくかった局の放送をクリアに聞ける。プレミアムに登録すれば、全国の地方局の番組にもアクセスできる。ラジオ天国の到来ではないか。
ラジオということばと音楽のメディアの特質は、テレビ自体も配信時代を迎えているなかで新たに気づかれていくだろう。人生の終盤、映画も、テレビも、ラジオも、新たな動態の中で息づいている。そして、オンラインニュースに、ウェブマガジンと、新しいメディア環境の訪れを感慨深く愉しんでいるところである。