イエスを探し求める旅の友~~二つの書に注目


AMOR編集部

イエス・キリスト像を問いかけ、一人ひとりの心に生きるイエスの姿をことばにしてみよう……今回のテーマにとってきっかけとなった二つの本があります。それぞれ博識ぶりに舌を巻く本ですが、「イエス・キリスト」という直球テーマへの取り組みとしてしっかりと視野に収めておきたい内容です。

 

『イエス像の二千年』――ヤロスラフ・ペリカン

一つは、ヤロスラフ・ペリカン(1923~2006)の『文化史の中のイエス――世紀を通じての彼の位置』小田垣雅也訳(新地書房 1991)です。のちに『イエス像の二千年』と改題され、今は講談社学術文庫(1998年)から出ています。遠藤周作と同年生まれでもある著者ペリカンは、米国のルター教会に属するキリスト教史学者・神学者で、通称「ペリカン版」と呼ばれるルター全集の編纂者でもあります。日本では全5巻の『キリスト教の伝統――教理発展の歴史』(教文館 2006~2008)でも知られています。

本書は、イエス伝でもキリスト教史でも神学的教理史でもなく、文化史の中のイエスの位置、その像を概観するという趣旨でまとめられた一種の学術エッセイ集です。主な項目は次のとおり:

(1)1~2世紀、ユダヤ教の背景からイエスの独自な姿が際立ってくる過程

(2)古代教会の教父における「異邦人の王」「王の王」「宇宙的ロゴスとしてのキリスト」「人となった神の子」としてのキリスト像やキリスト論の深化

(3)ビザンティンのイコンに表わされる神の真の像としてのキリスト

(4)西方中世で強調されるようになる「十字架につけられたキリスト」、修道生活の模範としての「世を統べる修道士」、神秘主義における「たましいの花婿」としてのキリスト、アシジのフランシスコのよるイエスのまったき人間性の再発見

(5)ルネサンス期のキリスト探求、宗教改革・カトリック改革の時代における「真の鏡」「美の鏡」「善の鏡」としてのキリスト、宗教戦争の時代に希求される「平和の君」としてのキリスト

(6)18世紀、啓蒙時代における史的イエス探求の始まり、「良識の教師」としてのキリスト像

(7)19世紀、ロマン主義に求められた「霊の詩人」としてのキリスト

(8)19世紀~20世紀における社会変化の中で希求される「解放者」としてのキリスト、伝統的なキリスト教的世界を超える諸宗教、諸文化共生の世界にとってのキリスト

各テーマに関連する思想家の著作の引用は、キリストをテーマにしての西洋精神史への窓口、そして、各時代に開花する美術史や文学史へのアクセス案内となるものです。このような西洋文化史的エッセイを通して、わたしたちは、おのずと、アジアの文化史、諸宗教史、日本の文化史、日本人の精神史の中で自分たちのイエス・キリスト像を掘り下げるというテーマに誘われていくでしょう。

 

『イエス伝』――若松英輔

もう一つ注目されるのは、若松英輔さん(1968~)の『イエス伝』(中央公論新社 2015)です。『中央公論』誌(2013年5月号~2014年9月号)に寄せられた連載「イエス伝――神のコトバ、コトバである神」をまとめ、加筆修正されたものです。連載のサブタイトル「神のコトバ、コトバである神」は、単行本では外されていますが、この本におけるイエスへのアプローチを端的に示すもの、その軸となる考えを示すものとして重要です。

単行本の「あとがき」で若松氏はこの著述のモチーフを語っています。「人生においてイエスと、ある程度の交わりをもった書き手なら、いつかイエス伝やそれに近似する著述を書いてみたいと一度は思うのではないだろうか」「これまで日本では、研究者や小説家によるイエス伝の試みはあった。しかし、批評家が一冊の本をもってイエスの生涯を論じたことはなかったように思う」(271~272ページ)。

さらに言っています。「イエスと出会った者の心の内には、誰にも『私のイエス』の姿が刻まれている。井上〔洋治〕と遠藤〔周作〕の著作が優れているのは、……読み手にも個々の『私のイエス』があることを想い出させてくれたところにある」。本書でも「イエスは、誰の前にも心を開く人物であることを描いてみたかったのである」(173ページ)。このモチーフは今回のAMORのテーマそのものでもあります。

本書は、具体的に、イエスの誕生、そのお告げ(夢と天使)、洗礼、預言者の使命、荒れ野で試みる者、山上の説教、祈り、祝祭とゆるし、死者との交わり、エルサレム入城、神殿との関係、使徒の裏切り、最後の晩餐、逮捕、十字架の道行、死と復活、といった各局面を取り上げ、著者が関心を寄せる思想家、詩人(内村鑑三、遠藤周作、シュヴァイツァー、リルケ、ユング、エックハルト、井筒俊彦など多数)の書との対話を繰り広げつつ省察をしています。取り上げられる福音書の箇所は、一般にもよく知られ、また、ミサの聖書朗読でもしばしば出会うところなので、だれでも、なにがしかの思いを巡らせているところのはずです(筆者にとっては、とりわけ使徒ユダについて、力がこもっている内容が新鮮でした)。ほかにも、イエス像をそれぞれに掘り下げていくためのヒントや刺激が詰まっていると思います。一読をお勧めします。

 


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